#_5 曇りなき勇者の器




「……神託オラクル、だと?」


 ーーこいつは、何を言っている?

 彼の突然の宣告にベネディクトは狼狽した。それは驚きと言うより、怒りに近い感情だった。

 テーブルの上にはひび割れたティーカップが転がっている。亀裂から流れ出る黒色の液体。器としての役目を終えた陶器の塊が、皮肉にも異世界より喚び寄せた彼と何処か重なって見えた。


「ああ、そうだ、神託だ。『アイリスを魔王討伐に向かわせよ。さすれば人族に永き安寧が齎されん』ーー俺にはイクセリオの声が、確かに聞こえた」


 彼が至極真面目な表情で嘯く。ベネディクトはその言葉に目を細め、僅かに口角を吊り上げた。


「そうか。確かにそう聞いたんだな? 一言一句、間違いは無いな?」


 すかさず言質を取る。これ以上この男が言い逃れ出来ない様に。その言動に楔を打つ。


「……? ああ、間違いない。神託に従い、アイリスを魔王討伐に向かわせるべきだ。お前も運命神に仕える敬虔な信徒なら異論は無いだろう、ベネディクト」


 眉を顰め、しかしベネディクトの確認に彼は頷く。徹底して感情を隠した平坦な声色。その内心は一片たりとも漏らさない。ーー何処までも狡猾な男だ。


「……勿論だ。神託が下ったのなら、それほど喜ばしい事は無い」


 ベネディクトはそう言って視線をアイリスへと向けた。


「教会最高指導者として、貴女に魔王討伐を要請しよう」


 アイリスを見つめ、含みのある笑みを浮かべる。最高指導者の要請。事実上の強制を受けた彼女は、青褪めた表情でそれに頷いた。頷くしかなかった。


「……同じイクセリオの信徒として、謹んでお受け致します、枢機卿猊下」


 喉から搾り出されたそのか細い声に、ベネディクトは満足気に頷く。……これでいい。両者から言質は奪った。機は熟した。召喚から半年、随分と長い時間を浪費したが、ようやくその労力が報われる。

 視線を移す。どこか安心した様な、少し気の抜けた表情で成り行きを見守る彼に、ベネディクトは語りかける。


「ところで、……ティーカップが割れてしまった。これは、どうするべきだ?」


 視線を落とす。テーブルの上、転がったティーカップには大きなヒビが入り、溢れた液体からは未だ湯気が上がっている。


「……処分すべきだ。それは、もう器として使えない」


 端的な返事。ベネディクトはそれに再び頷く。欲していた言葉が彼の口からすんなり出て来る事自体に奇妙な達成感を感じる。

 彼は、考えの読めない男だ。いつも予想外の言葉で惑わせて来る扱い辛い人間だ。しかし、それも今日までの事。既に詰み筋に入っている。

 それを確信したベネディクトが、畳み掛ける様に言い募る。


「そうだ。全くその通りだ。使えないだけなら未だしも、破片で指を切る危険すらあるのだから始末が悪い。割れた器など即刻処分すべきだ、害しかない。」


 彼と、アイリスを交互に見つめる。言葉の意図が分からないのか訝しげに見つめ返す二人。それに構わず、ベネディクトは言葉を続ける。


「……異世界より召喚されし神託の勇者。私は君に莫大な金と、半年もの時間を費やした。君が教会にとって、人族にとって、喜ばしい成果を上げてくれると信じていたからだ。しかし、当の君は一向に行動を起こさず、一杯の珈琲に執心したまま王都を出る気配すらない。……私はこの半年、君を注視し続けてきた。その言動を、その行動を、慎重に推し量ってきたつもりだ」


 視線を動かす。彼と、ヒビ割れたティーカップを交互に見やる。彼の額から流れ出る汗に、ベネディクトは彼のずる賢さを改めて感じた。ーー聡い男だ。既にこの話の行く末を悟ったらしい。


「使えない器は処分すべきだと君は言った。……では聞こう。神託の勇者よ、異世界より来りし救世の英雄よ。君のその器に……ヒビは入っているか?」


 彼の表情は変わらない。しかし、額に浮かぶ大粒の汗は、押し殺したその心情を言葉以上に物語っている。


「……いや、そんなものは無い。一点の曇りも無い。……俺は、勇者に足る器だ」


 当然そう答えるしかないだろう。答えを間違えば、待っているのは残酷な未来だけだ。多額の費用を投じた異世界召喚。それに見合った成果が出ないのであれば、ベネディクトはそれを隠蔽するしかない。枢機卿に失敗は許されないのだ。それこそ一片の証拠も残らぬ様に入念に召喚の形跡を処分するだろう。

 勿論、召喚された男を野放しにしておく訳が無い。教会とは信徒に手厚く、それ以外には手厳しい組織だ。どの世界でも、教義は時に狂気となる。

 故に、彼は断言する。自らが勇者であると。我こそが救世の徒であると。


「その言葉が聞けて良かった。君がアイリスと共に魔王を討ち果たす日を心待ちにしている」


「待て、それはおかしい。神託を無視する気か? 枢機卿ともあろう人間が、神の言葉を反故にするのか?」


 焦燥した様子で彼が捲し立てる。その光景が何とも新鮮で、ベネディクトは瞠目した。思わず吹き出しそうになる。初めて見た彼の感情的な姿が、ベネディクトには何とも愉快だった。


「勿論、神託は守るとも。例えそれが偽りだったとしても、だ。ーー神託はアイリスを魔王討伐に向かわせる事だった筈。それに君が同行してはいけない理由など、何処にも無いだろう?」


「…………」


 苦虫を噛み潰した様な表情で彼が押し黙る。その様子に大きく首肯し、ベネディクトは続ける。


「出立は今日より三日後。必要な物があればそれまでに揃えよう。君が向かう先は要塞都市ドーラだ。狡猾な悪魔に包囲された人族の防衛拠点を奪還せよ」


「……クソが」


「不満か? 真の勇者ならば悪魔など恐るるに足らんだろう? 君の偉業にイクセリオの加護があらん事を祈る」


「……上等だ。……狡猾な悪魔みたいな奴の相手は、もう慣れてる」


「ふっ。それは……奇遇だ」









 ーーああ。こんな事なら、今すぐ魔王が目の前に現れて、逃げる隙も無く襲い掛かって来てくれればいいのに。


 出立の朝。数日続いた曇天を吹き飛ばし晴れ渡った青空を見上げると、詮無い妄想が頭に浮かぶ。


 俺の行動原理は、合理性だ。それだけが俺の信条であり、信仰だ。

 故に、ベネディクトと敵対する危険性と、魔族を一匹片付ける労力を天秤に掛け、俺の心は魔族の討伐を選んだ、選んでしまった。双方を比較すればベネディクトを敵に回す方がより危険であると、魔族を討伐する方が合理的であると、そう判断してしまった。


 判断してしまったのなら、俺は動かなければならない。そこにどれだけの危険や面倒が待ち構えていようとも、その行動原理に俺は従わなければならない。それが俺の信仰だからだ。

 魔法は、俺がこの世界で生きて行くために無くてはならない力だ。剣の腕も生活基盤も頼るべきものが何も無いこの世界で、魔法を失う事が一番の危険であると俺は判断している。

 だからこそ、信仰を失わない為に、俺が俺を信じ続ける為に、自らの判断には必ず従う必要がある。


 ーー何とも厄介な状況だ。


 様々な思いが、ささくれ立った心を逆撫でる。纏まらない思考が苛立ちを募らせ、思わず盛大な溜め息が出た。


 寧ろ魔王を討伐するしかないと判断出来るほど切迫した状況に追い込まれたとすれば、俺は信仰を失わずに魔王に渾身の魔法をぶちかます事が出来るのだが。

 残念ながら自らそんな状況に飛び込んで行く事を、俺は合理的だと思っていない。そのジレンマが、この厄介な状況を生み出しているのだ。


 俺はあくまでも消極的に、必要最低限のリスクで、その合理性を失わない配慮をしながら、勇者としての行動を全うせねばならないーー。


「……面倒だ。どう転んでも面倒な予感しかない」


 青空に向かって独りごちる。憎たらしい程の晴天が、まるで俺への当てつけの様に思えて何とも腹立たしい。


「私のほうが面倒です。神託とは言え、とばっちりみたいなものですから」


 隣でアイリスが文句を言う。ゲームに出てくる女騎士をそのまま実写化した様な甲冑姿。風に靡くブロンドの髪と、仕立ての良いマントが絵になって見える。


「……そうか。それは、災難だったな」


 ーー神託は、嘘だ。咄嗟に出た方便だ。しかし、それを今更告げるのは気がひけるし、彼女の剣は大きな戦力になる。口が裂けても俺はアイリスに真実を語らない。


「それで、旅順は考えていますか? 普通に行けば十日と掛からない道程でしょうけど、ドーラは魔王軍に包囲されていると聞きます。敵の配置次第では、迂回する必要もあるかも知れません」


「そうだな。……もう真正面から全員ぶっ殺して直進するのもありに思えて来たんだが」


 面倒だ。斥候を雇って、敵を窺い、動きを予測し、ドーラに潜入。情報を集め、宵闇に隠れ、指揮官を殺す。恐らく正規の手順はそんな所だろう。

 ……面倒過ぎる。何が合理的とか、効率的とか、そんな事を考える事自体が非効率に思えてくる。


「全員殺すって、馬鹿ですか? 指揮している者が誰かもわからないのに」


「背の高いもん順に殺すか。どうせデカいんだろ、親分は」


 もうそれくらいの感覚で行きたい感じもある。自暴自棄になりかけているのは自認しているが、旅に出た時点で既に捨て鉢だ。闇雲に魔法ぶっ放しとけば何とかなる気もする。


「……もっとちゃんと考えて下さい。仮にも、勇者は人族の希望なんですから」


 含みのある諫言。何処と無く棘を感じる。……嫌われているのだろうか。ーー珈琲の件か? 不味いのは本音だが、言い過ぎたか?


「なんだ、ビビってるのか? 戦うのは嫌いか? 戦術級LV.strategy剣士ともあろう者が、情け無い」


「ええ。戦争とあなたが嫌いです」


 ……凄いな。嫌いの比較対象がえげつない。そうか、そんなに嫌われているのか。

 まあ、いい。速やかに狡猾な悪魔とやらを殺して解散しよう。俺がベネディクトに求められたのは悪魔の討伐であって、魔王ではないのだから。ドーラから先は、アイリスに一人で逝ってもらおう。俺は急病でリタイアだ。


「……取り敢えずドーラに向かう。近くの町で斥候に長けた冒険者でも雇えばいい。俺も、無駄な労力とお前が嫌いだ」


 後、ベネディクトも。教会も、魔王も、この世界も。


 ーー全部嫌いだクソったれ。

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