#_4 透き通るほど純粋なクズ
魔法。それは奇蹟の顕現。物理法則を無視して引き起こされる超常の力。
対象となる属性の神や精霊に
対象となる神、精霊を纏めて『聖霊』と称するのだが、闇魔法や死霊魔法を司る精霊も例に漏れず『聖なる霊』と呼ばれている所には、些かこの世界の教義や信仰に矛盾を感じざるを得ない。
兎にも角にも。聖霊に助力を乞い、魔力を捧げる。その手順を踏んで、魔法と呼ばれる奇蹟の力は現世に顕現するのだ。
故に、魔法の威力は術者の魔力にも影響されるが、その信仰心によって左右される割合も大きく、信心深い者ほど行使する魔法は強力になるとされている。
火、水、風、土、雷、光、闇。これらの基本属性に加えて、先に出た死霊魔術などの特殊属性なる分野も相当数あるのだが、それぞれを司る聖霊には位階が存在する。
この世界の創造に携わった最高神から、僻地でのみ名を知られた土地神、果ては名も無き只の精霊まで。例えば一概に火属性と言っても、どの聖霊から力を借りるかによって魔法の威力は大きく変わる。
当然、高位の聖霊に力を借りられるならそれに越した事は無いのだが、その
ーーとは言っても。火の魔法を行使する者が必ず火の聖霊を信奉していなければならないなんて制限は無いし、複数属性を操る者が今から使う属性に応じて改宗しなければならないような馬鹿げた話も存在しない。何故なら、
例えば、運命神イクセリオを信奉している信徒も、火の魔法を行使する場合は火属性の聖霊に祈りを捧げる。その祈りは自らが信奉している運命神イクセリオを通じて当該属性の聖霊に届けられ、魔法としてこの世界に顕現するのである。
主神を通じて聖霊に助力を乞うのだから、当然神への信仰が厚い者ほど
ーー無神論者に魔法は使えない。
この世界に転移した時、俺はまずこの難問にぶつかった。
俺は現実主義者だ。合理主義者だ。当然、無神論者だ。生まれてこのかた神の存在なんて毛ほども信じた事は無い。そんな俺が魔法を使おうとしても、聖霊は俺の祈りなんて聞いてはくれない。
信仰している宗教が無いとはつまり、どれだけ懸命に祈ろうともそれを聖霊に届けてくれる仲介者が居ない事を意味する。それでは魔法が使えるわけがない。
この難題をクリアするまでに俺は半年近い月日を浪費した。そして、結果から言えば俺はこの問題を既に解消している。
魔導書を読み耽り、闇雲に呪文を唱えては落胆する日々の中で、ふと気付いたのである。ーー信仰とは何か。神とは何か。
現実主義者にとって考えるだけでも寒気がするほど面倒な、この哲学的な疑問に対する答え。それは答えさえ分かってしまえば存外単純なものだった。
信仰とは、イデオロギーだ。
この世界に生きる全ての生物には命があり、意思があり、感情がある。そしてその全てが多少なりとも魔力を有している。にも関わらず、魔力を魔法に変換出来る生物は人族や魔族、そして一部の魔物に限られた極僅かな種族であり、多くの生物は魔力を有してはいるものの、それを魔法としてこの世に顕現する事が出来ない。
俺はその理由こそがイデオロギーの欠如にあると考えた。
イデオロギーとは、単なる意思とは似て非なる概念だ。それは信念や信条、個人が持つ思想の様なものに近い。
生物は腹が減れば何かを食べるし、眠くなれば睡眠をとる。それは確かに生物の意思ではあるが、イデオロギーとは呼べない。
例えば、イスラム教徒はどれだけ腹が減っても豚肉を口にしないだろうし、敬虔なクリスチャンは風邪をひいても日曜礼拝を欠かさない。それが一見すると理に適わない行ないだとしても、人は信念や信条によって非合理な選択をする場合がある。それこそがイデオロギーであり、獣と人との一番大きな違いでもあるのだ。
信仰とはイデオロギーであり、イデオロギーとは信念に基づいた思想と行動である。加えて言えば、それは一見すると合理性を無視した様に見える思想である。当人からすれば、その行動は教義や信念に裏打ちされた自らのルールの中での合理性を有しているわけだが、小難しい哲学はこの際どうでもいい。
要は損得感情を抜きにして行動を起こす信念こそがイデオロギーであり、その信念こそが魔法を顕現する為に必要な因子なのだ。
度重なる失敗と挫折の末にようやくこの真理に至った俺は、自らの信念について自問自答してみた。
現実主義者であり、行き過ぎた合理主義者である自分が、信じてやまないもの。そんなもの、果たして存在するのだろうか。
例えば俺は女と付き合った経験も人並みにあるが、付き合った理由は好きとか恋とか愛とか、そんな下らない理由では無い。それはもっと直接的で下世話な理由。付き合えばタダでセックス出来るから、である。
男である以上、性欲の発散は必要だが、毎回風俗を利用していてはコストが高い。適当な女と付き合った方が効率的だ。ーーだから交際した。
例えば俺が街中で不意に他人をぶっ殺すようないかれた真似をしないのは、人を殺せば捕まるからである。仮に殺人が罪では無かったとしたら……、俺は深夜にギターをかき鳴らす傍迷惑な隣人やパワハラ紛いの説教をする会社の上司を一目散に殺していた事だろう。
人を殺すのはそれなりに体力を使うし面倒な作業だが、油断している所を後ろから鈍器で殴るだけなら一瞬で片付くし失敗のリスクも殆ど無い。それで今後のストレスが恒久的に緩和されるなら効率的な選択である。罪に問われないなら自分にとって迷惑な人間はさっさと殺した方が楽だ。
この様に、俺の行動原理の全ては合理性と効率性に集約されている。損得だけを考え、感情を排し、労力と対価だけを天秤にかけて行動する。この世界に転移するより前から、俺はそんな人間だった。
自分でもいかれてると感じるが、徹底した合理主義と効率主義こそが俺の行動原理。
それを上回る信念や信条なんて、自分には存在しない。
ーーだから、魔法は使えない。
考えれば考えるほど、そんな諦めに似た思考ばかりが頭に浮かんだ。
転機が訪れたのは一ヶ月前。異世界召喚の目に見える成果を欲したベネディクトが、俺に魔族の討伐を急かし始めた頃だ。そんな命懸けの仕事を請け負いたくない俺は、『アイリスの珈琲が不味いから』という意味不明の理由でそれを断り、珈琲の品質改善に没頭した。ーー没頭しているフリをした。
奇妙な感覚だった。危険を避けたいという合理的な判断によって、他人の店の珈琲の品質を改善する非合理な努力に勤しんでいる。そんな訳の分からない状況が、魔法の習得に行き詰まっていた俺に一筋の光明を与えた。
一見すると非合理な行動をしている。
もしかすると、これこそがイデオロギーではないだろうか。
合理的な選択を全うする為に、非合理と分かりながら無駄な労力を使う。そんな慣れない状況が、俺の頭に全く新しい考え方を芽生えさせたのだ。
俺のイデオロギー。それは、何処までも合理性と利益を追求し続ける自分自身の思想だ。つまり、俺が信仰しているものとは、合理性そのものなのではなかろうか。
唐突に浮かんだその閃きが突破口となった。それを神と呼ぶのかは知らないが、俺は自らが最も信頼する合理性に
果たして魔法は顕現した。いとも簡単に、拍子抜けするほどあっさりと。
俺はその時ようやくその意味を理解した。
俺は俺を信仰している。言うなれば自分で自分を神に変えたのだ。故に、詠唱も必要無く魔法が発動した。
ーーそういうことか。正に神の領域だ。
まるで難解な知恵の輪が解けた瞬間の様に、その理屈と齎された結果がすとんと腹に落ちる、何とも形容し難い爽快な気分だった。
そして同時に、自らが魔王討伐に死ぬほど向いていない事も理解した。
俺自身が魔王討伐を合理的な行動だと思っていないからである。
自らの命の危険と、魔王を討伐する必要性を天秤に掛け、討伐よりも保身こそが合理的選択だと判断した。
これが俺のイデオロギーだ。俺の信念だ。それを曲げれば、俺は俺自身への信仰を失う。そしてそれは、苦労して手にした魔法という力を失う事に直結する。
俺は俺自身を信仰している。それは恐らく、
しかし残念ながら、命の危険を考えると魔王討伐は御免だ。自分がそう判断してしまっている以上、それを反故にすれば俺の信仰は消え失せる。魔王に届き得る力を持ちながら、魔王を倒そうとすればその力が消えるのだ。
ーー厄介なジレンマだ。
故に、俺は今後の行動方針を合理的に考え、一つの結論を見出した。
自らの安全マージンを最大限に確保しながら、極めて消極的に魔王を倒す。
勇気とか、正義とか、覚悟とか、そういう下らない概念は必要無い。合理的じゃない。
魔王が魔王城に居るのなら、その手の届かない遥か彼方から炎でも放って焼き払えば良い。或いは毒を盛って殺すのもありだろう。勿論、その役目は他の誰かに行かせるが。
だが、まずは。魔王が何処に居て、どんな姿で、どれ程の脅威を持つ存在か。それを確認する必要がある。
ーーそれには捨て駒が必要だ。
長い長い思考の末に辿り着いた結論は、そんなありきたりな戦略だった。
・
「大丈夫。大丈夫だ、アイリス。美味い珈琲は俺が淹れよう。お前はちょっと、あれだ。……魔王殺ってこい」
彼女の肩にそっと手を置き、出来る限り優しい口調で語りかける。その肩がピクリと動き、細くしなやかなアイリスの筋肉から緊張が伝わってきた。
「わ、私が……ですか?」
動揺を隠せない声色。彼女はきっと混乱している。自分の淹れた珈琲を否定され、その生き方も否定され、畳み掛ける様に魔王討伐を勧められ、整理のつかない様々な感情が渋滞している。
ーーチャンスだ。ここで上手く丸め込めば、アイリスは必ず首を縦に振る。そして責任感の強い彼女の事だ。一度引き受けさせれば途中で投げ出しはしないだろう。
まあ討伐出来るとは思えないが。と言うか、絶対死ぬと思うがーー俺には関係ない。
魔王の情報を少しでも得られるなら、その死は無駄では無い。世界の為、俺の為に……。アイリス、ちょっと死んでくれ。
「待て待て、何を言っている。行くのは君だ、君しか居ない。百歩譲っても彼女は単なる同行者だ。勇者と成り得るのは君を置いて他にいないだろう」
事の成り行きを静観していたベネディクトが、すんでの所で割って入る。
「……無理だ。俺には美味い珈琲を淹れる大任がある」
クソが。大事な所で邪魔をするな。アイリスが平静を取り戻してしまったらこんな無茶を受け入れる訳がない。今を逃せば機は失われる。頼むから、ちょっと黙ってろベネディクト。
「必要ない。魔王を倒せばそんな時間は幾らでもある。まずは魔王討伐。珈琲はその後だ」
「…………」
ぐうの音も出ないど正論を言うな。……わかっている。そんな事はわかっている。俺だって無茶苦茶だと思うし、自分でも何を言ってるのか分からない。
だが、ここで押し切らなければ俺の命が危うい。かけがえのない俺の命が危うい。例え魔王の手によって王都の民が数千人単位で死んだとしても、俺は俺が楽しく生きられればそれで良いのだ。他人の命なんてどうなっても関係ない。
訝しげに見つめてくる二つの視線を交互に睨む。ここでの対応が運命を分ける。
脳が煙を上げるほど高速で回転し、理屈の通った屁理屈を搾り出す。
「……ベネディクト。これは、
枢機卿相手に、神を騙る。一見すると無茶に見えるその選択に、俺は一縷の望みを懸ける事にした。
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