第9話

 わざと獣道に踏み込む。

 生い茂る木々の梢が天井を作り、日差しの通らぬ足元にはシダばかりが生い茂る。


 少し湿った土を踏みつけて、俺はさらに走った。


 のどかな森の中にドラムのような音が響いている。

 違う、俺の心臓の音がドラムのように響いているのだ。


 俺はついにシダの上に倒れ込み、そのまま天を向いて伏した。


 ドラムなんて呑気なことを言っている場合じゃない。

 全身が心臓になってしまったかのように脈打っている。

 すでに肺も限界まで荒れて、呼吸すらままならない。


(ああ、俺、死ぬかも)


 そんなわけはない。

 しばらく横になっていると、いくらか呼吸も落ち着いてきた。


「せめて、もう少しだけ遠くへ……」


 起き上がろうとした俺の鼻先に、ズンと突き立てられる何者かの脚。


 何者もクソもない。

 あの二人だ。


「ぐふ、逃げても無駄なんだな」


 俺は精一杯に虚勢を張って、ニヒルに笑った。


「ふん、やっぱり追跡系の能力を持ってたっすね」


 二人は息一つ切らさず、余裕綽々。


「追跡能力をもっているのはコチラ氏でござるよ。拙者の能力はコレ」


 痩せすぎた男の姿が、かき消されるように消えた。

 と、思った次の瞬間には、俺の背後に現れる。


「瞬間移動系の能力っすか」


「に、ござるよ〜」


「つまり、ボクたちの追跡から逃れることはできないんだな、デュフフフ」


 太った男は醜く口元を緩めて笑っている。

 だが、目が笑っていない。


「あんたらをいい人かもなんて思った俺がバカだったっす」


 二人は、此の期に及んでなお、自分たちの汚い腹を隠そうとした。


「いい人でござるよ〜、だから、この瞬間移動能力で、村まで送ってあげるでござる」


「そうそう。そんな走らなくても、楽に村に帰れるんだな」


 俺はヨロヨロと起き上がる。


「そして、そのまま俺らの村を焼こうってハラっすか」


 二人の人間は……特に慌てた様子も見せず、顔を見合わせただけだった。


「バレたみたいでござるな」


「どうやら丸っきりのバカじゃないみたいなんだな」


「かくなるうえは、プランBでござるな」


「デュフフフ」


 せっかく起き上がったというのに、俺は二人に突き飛ばされてシダの中に倒れ込む。


 太った方の男が、見た目にそぐわぬ俊敏な動きで俺の腹を踏みつけた。


「ボクは心優しいから、あまり君を苦しめたくないんだな。だから、君の村がどこにあるのか、素直に教えて欲しいんだな」


「絶対に言わないっす」


「あまりカッコつけないほうがいいんだな」


 俺を踏みつける足に荷重がかかる。

 ちょうど胃のあたりを押さえつけられて、俺はもだえた。


「うぶっ!」


 男の踵が食い込むたびに、ギリギリと痛みが走る。

 俺はその足を払いのけようと両手を振り回す。

 しかし悲しいかな、オークの短い腕では、ふっくらと肥満した腹の上には手が届かない。


「ぐうっ」


 苦しみと悔しさで胸をかきむしった俺は、そこに下がっていた笛を、いつの間にか掴んでいた。


(ライを呼ぶためじゃない……)


 村から遠く離れた今、どれほど力を込めて吹き鳴らそうとも、この小さな笛の音が彼の耳に届くことはないだろう。

 それでも、一瞬の隙を作るには有効かもしれない。


 俺はその笛を素早く口に当て、息の限りに吹き鳴らした。

 固く甲高い音が、あたりに響いた。


「な、なんなんだな!」


 思った通り、ほんの一瞬、俺を踏みつけている脚の力が緩んだ。

 俺は勢いをつけて、その足を押し返すように身を起こす。


「わ、わわっ!」


 太った男がよろけて尻餅をつくから、今度は痩せた方の男が俺に飛びかかろうとする。


「抵抗するなでごさるよ!」


 俺は身を低く構えて、これに体当たりを食らわせる。


 男の体は見た目通り軽く、俺の体重を受け止めきれずに大きく後ろへと飛んだ。


「いまだ!」


 男たちの間を駆け抜けようとする俺の前に、ざっと飛び出してくる人影。


 しかし、それは敵などではなく……筋肉を誇示するポージングを決めた、あの男だった。


「はーっはっはっは! 私の筋肉が必要かね?」

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