第3話

「なるほど、『キンニク』とな……」

 案の定、俺らの話を聞いた村長はぽかんと口を開けてしまった。その表情には困惑ばかりが色濃く浮かんでいる。

「そのキンニクというのは、異界の法術とか、何かの戦術とか、そういうものかね?」

 戸惑う村長の前で、ロースがライをまねてキンニクムキムキポージングを決めた。

「やだなあ、村長、筋肉ったら筋肉のことっしょ!」

 もっとも、やや脂肪の多いロースの体では、脂肪ばかりがブヨヨーンと強調されるばかりで、ちっとも強そうには見えなかったが。

「見ててください、俺だって結果にコミットしてやるんだから!」

 ロースの闘志は良しと認めるが、俺らオークが結果にコミットできるとは思えない。ぽってりと脂肪に膨れた柔らかい体は俺らオークという種族の特徴であり、目の前にいる村長はもちろんのこと、村の子供から大人に至るまでみんながぽっちゃり体形なのだ。

 つまり、種族的に無理。

 それでもライは少しも揺るがず、ロースの隣でむきっと腕をあげて見せた。

「いいぞ、ロース君! 君のやる気が筋肉を育てる! 実にいいぞ! 村のみんなにも、筋肉の素晴らしさを知ってもらおうじゃないか!」

 ちっとも良くない。ロースは乗り気だからいいが、村全体を……特に俺を巻き込むのはマジで勘弁してほしい。

 もう一度だけ言うが、俺は体を動かすことが嫌いだ。飯を食わないわけにはいかないから、仕方なく最低限の畑仕事くらいはするが、午後は自宅の一番風通しのいい場所にごろりと寝っ転がって過ごすのを日課としている。

 畑仕事以外に、余計な運動をするなんてまっぴらごめんだ。

「やりたい奴だけでやってくれっす、俺は抜けるっすよ」

 踵を返そうとしたその時、美しく太った女オークが部屋へと飛び込んできた。

「異世界からのお客様が来てるんですって?」

 ああ、ミミガー、麗しきオークの姫……いや、姫はさすがに盛りすぎかな。

 彼女は村長の娘であり、村一番の美人でもある。ふっくらと丸い頬は、走ってきたせいでいつもより鮮やかなバラ色に輝き、好奇心でキラキラと輝くつぶらな瞳は呼吸を忘れて見入ってしまうほどに愛くるしい。ほかのやつらにとってはどうだか知らないが、少なくとも俺にとってはこの女オークが麗しの姫なのだ。

 その姫が、たくましいライの体つきを見て恥じらいに頬を染めた。

「すてき……とっても強そう」

 ライは得意げな顔で、ついに上半身に来ていたものを脱ぎ捨てる。

「はっはっは、存分にご覧あれ!」

 悔しいが、腹筋はその存在を皮下から主張するかの如く、つまり見事に六つに割れてたくましい。胸筋が大きく張り出し、肩幅も広い逆三角形の体は、確かに男であれば一度は憧れる『戦うボディ』だ。

 ミミガーがうっとりした顔でライを見上げ、もう一度つぶやいた。

「本当に素敵……」

 ところが、次の瞬間、俺は我が耳を疑った。ライがとんでもなく失礼な一言をミミガーに向かって投げかけたのだ。

「君は全く美しくないな、まるで豚だ」

 ミミガーがぽかんと口を開けて見上げていると、ライはわざわざ身をかがめて彼女の耳元で囁いた。

「この、メス豚」

 俺たちは見た目は太っているが、オークというれっきとした魔族の系統である。もちろんオークとしての誇りもあり、これを家畜である豚と一緒にするなど言語道断、人間を猿呼ばわりするような、最大級の侮蔑の言葉なのである。

「この野郎、ミミガーさんに謝れっス!」

 俺はこぶしを固めて彼に襲い掛かったが、驚いたことにミミガー自身が片手をあげてこれを制した。

「やめて」

「え、何でっす?」

「いいから、やめて」

 ミミガーはそれっきり、俺には完全に背中を向けてライに向き合う。

「あの……もう一度言ってください」

「ああ、何度でも言ってあげよう、今の君は豚だ」

 ミミガーがキンキンと割れるほどの甲高い声で絶叫した。

「いやあああああああああ! いいいいいいいいいいい!」

 さらに床に身を伏し、耐えきれない衝動のままにゴロゴロとのたうち回る。

「はあぁ、いい……そう、私は豚ですぅうううううう!」

 どうやら彼女は、何か新しい扉を開いてしまったようだ……。

 やがて少し荒れた呼吸を整えながら立ち上がったミミガーに向かって、ライは、今度はひどく甘い声で囁いた。

「しかし、もったいないな」

「何が?」

「本当の君は美しいのに、その美しさをこのまま肉に埋もれさせて終わるつもりかい?」

 バターンと派手な音がして、家屋が軽く揺れた。ミミガーがライの甘い言葉に充てられて、豚のように鼻を鳴らしながら床に倒れたせいだ。

「もう……死んじゃうかも」

 か細い声でつぶやく彼女を抱き起こしながら、俺はライを見上げる。

 彼は不敵に笑っていた。

「これがダイエットの基本、飴と鞭だ」

「飴と鞭っすか?」

「そうだ、ダイエットというのは時に単調で作業的である。それに、ダイエットは究極的には自分との戦い、いくら個人に合ったメニューを用意しても、必ず壁に突き当たる時期がやってくる。それは主に、停滞期という形で現れる……」

 ライは、きっと自分が味わった苦悩の日々を思い出しているのだろう。悩み深くうなだれた横顔は、かつて死地に赴いたことのある傭兵が時折見せるそれだ。

「順調に落ちていた体重が、ある時、減少をやめる。運動量を増やしても、食事量を減らしても効果はなく、焦りがストレスに代わる……これがダイエッター最大の敵、停滞期だ!」

「だ、だいえったー?」

「こういう時期は焦らずに、自分を甘やかす。好きなものを食べ、好きな音楽を聴き、心の回復に努める。つまり、飴だな」

「そうしたら、体重が増えるんじゃないっすか?」

「その通り、そこで必要となるのが鞭だ! 回復した心に鞭を入れ、再びダイエットへの闘志を掻き立てるもの……それはいつだって初心なのだ!」

「つまり、ダイエットを始めようと思った時の気持ちってことっすか?」

「察しが良いね、君は!」

 ライはからからと笑った。その声に心惹かれたのか、俺の腕の中でミミガーが幸せそうにうわごとをつぶやく。

「ああ、筋肉……♡」

 その様子を見ていたライは、俺の顔をまっすぐにのぞき込んだ。

「で、君はどうするんだ?」

「いや、俺は……」

 さっきも言ったような気がするが、俺は本当に、心底体を動かすことが嫌いだ。筋肉をつけるためのトレーニングメニューなんて、マジで絶対断然お断りしたい。

 しかし、俺の愛しの姫君は、狙ったかのようにうわごとをつぶやくのだ。

「はぅん、筋肉……♡」

 俺はすっかりやけくそになって、ライの顔をにらみあげた。

「わかったっすよ!」

「お?」

「俺も筋肉ってのを手に入れてやるっすよ! やるからには、あんたよりずっと美しい筋肉を手に入れてやるっす!」

「はははっ、そうそう、その意気。男はそうでなくっちゃあ」

 ライの朗らかな声を聴きながら、俺は早くも自分の言葉に後悔し始めていたのであった。

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