第9話

 五龍恵紫門を圧殺したはずの鋼の巨人の触手が、大きく盛り上がる。


「ふんォッ」

 そのうちの一房が内から加えられた強打がそれを押し上げ、浮かび上がった間隙から紫門は脱出した。


 素早く身を切り返して体勢を立て直し、追い討ちをかけんとした触手の第一波を手刀で弾き飛ばし、続く第二波を回し受けでもっていなしていく。

 回転式拳銃サクラの.357マグナム弾ではとうてい傷つくまい。


(ならば!)

 突破力を相殺されて浮き上がった触手の二本を両の腕で絡め取り、高速道路を踏みしめて思い切り引っ張った。

 大きく上半身を打ち崩す魔人は、反射的にその触手を牽引し返した。

 その反動をもって、紫門はその巨体の頭まで飛び上がり、正拳をその側頭部へと炸裂させた。


 その上体が大きく揺さぶられるが、明確なダメージは見受けられない。

(銃弾も、拳も届かない……これが魔法の力……ただの人間では太刀打ちできないというのか?)

 自分と、自分の部下の身を引き換えとして、勝てるかどうかという相手である。

 しかもその部下は未だ事故の衝撃から立ち直り切れてはいない。彼がそのまま後退できない理由のひとつである。


 対峙らしい形勢には見せかけられてはいるが、決め手や回天の策というものは一切ない。

 完全に窮するその彼の眼前に、火の鳥が降り立ったのはその刹那であった。


 その鮮やかで艶やかな閃きは、人の、一人の少女の形を成していく。街が安寧を取り戻すことを無心に祈ったのが通じ、土地神より神使が遣わされたのかとさえ思うほどの神々しさだった。


「ま、魔法少女オーバーキル?」


 だが、その姿は映像や報告に上がっていたものとはまるで違っている。

 今まで見たことのないような美しい、深い色合いの紅の外套。宇宙人の文字を言語化させたかのような文様が刻まれたそれが肩から腰回りまで覆い隠し、その下白いシャツにズボンといういで立ちは、それこそマントを羽織ったヒーローのようでもあり、夕陽にたたずむガンマンのようでさえある。


 黒く染め抜いたセミロングの髪は、日常性のある色のはずなのにどこか隔絶された雰囲気がある滋味を持ち、前髪の下からのぞく横顔は凛々しく彼を見返していた。


「大丈夫ですか」

 彼女が声をかける。

「……ってなんで大丈夫なんですか!?」

 そして仰天するように二度見した。


 だがその背後に、オーバーキルの小柄な全身を押しつぶすのに十分な質量と威力を伴って鉄拳が振り下ろされた。

 そして哀れ、少女の肉体はたやすく崩れ去った


 ――かのように、見えた。


 無慈悲なまでのスピード。如何ともしがたいサイズ差。

 逃れる余地などなかったはずだ。


 だが次の瞬間には、少女の身柄は高く上天にあった。

 真紅の衣が翻る。熾のごとく、情熱の焔がその双眸のうちで瞬く。

 自分のようにただ高く飛び上がって避けたというのではない。確かに今この瞬間までその気配が自身の手前にあったことは凡人でも分かることだった。

 まるで、それは空間そのものを……


 思案と残る触手への防戦に紫門が気を取られているうち、裂帛の気合いとともに彼女は叔父だったモノの側頭部に攻勢を仕掛けた。

 自分の攻撃ではびくともしなかった敵に、ようやく損耗らしきものが与えられた。

 傷がその赤銅色の表層に入った。


 裏拳のごとき旋回した巨拳が魔法少女を襲う。

 たかが拳を振り回しただけ。だがそれだけで十分だったはずだ。逃れる余地などなかったはずだ。


 そして紫門はようやくその瞬間を目の当たりにできた。

 オーバーキルはその身を空中で旋回させて、外套で自身の全身を巻き取らせるようにした。

 それが彼女を覆い隠すと、そのまま焔に包まれた。


 だが次の瞬間には外套は別の空中の区画にてふたたび燃え上がり、展開された。さながら火の鳥の両翼のごとく。

 外套は解け、彼女の身体が旋回しながら無傷で現れた。

 目標を見失った巨人に至近まで詰め寄り、強烈なソバットを見舞った。


 一撃。されど、猛禽につかまれたかのような三又の裂傷が装甲に刻まれる。

 空間を跳躍し物理法則を超越する。

 反則の力であろう。向こうで戦う魔人どももそうだが、ただ在るだけで


 だがその姿に、

「おお……」

 知らず、紫門は声を漏らしていた。

 内なる古傷から込み上がる、熱い血潮を抑え切れない。


 彼は自身の公言どおり、元は悪党として甘い汁を吸うために他の凶徒と与していたわけではなかった。


 元より彼は、正義の味方になろうとした警察官だった。

 正義のヒーロー、ではない。その味方だ。

 バットマンにおけるゴードンやアルフレッド。

 暴れん坊将軍におけるめ組一家。

 所謂サイドキック、チェアマン。陰に日向に、英雄を支え共に人々の生活や幸福を守る役割を、自身が担いたかった。

 通常の履修課程において司法国家の公権力の限界を知って、そういう存在に憧れた。


 だが、ヒーローたちは現れなかった。

 少なくとも、配属されたこの灯浄には。


 この街の宿痾と戦うには、ただの人間でしかない五龍恵紫門は、孤独で非力だった。

 せっかく舞台をセットしたところで、主演が空席では無法者たちがそこに上がって好き放題に暴れるばかりだ。


 だからこそ彼は必要悪となった。

 旧弊と付き合いつつも、彼らの手綱を引き締め大を守り小を切り捨てる。

 それが最善ではないにせよ最良の方策であったはずだ。

 しかしそこに妥協や甘えが無かったと言えるのか……?


 そして今、紫門がかつて待ち望んでいた存在が注ぐ視線の先にある。

 状況と年齢が許すのなら、感涙さえしていたことだろう。

 これが最後のチャンスだと、内なる運命の女神が、あるいは悪魔が告げている。


 そして突きつけられた命題に対する紫門の答えは、この時すでに定まっていた。

 すでに、自分たちに将来も退路もないのだから。


 体勢を立て直した部下たちが、無事だった護送車に乗り付けやってきていた。


「ど、どうしましょう?」

 あまりに混沌とした状況に、選りすぐりの精鋭らも指示を仰ぐばかりになっていた。


「まだ動くのか?」

 それを半ば無視し、かつ車内から追い出すようにして、紫門は問う。


「はっ、幸運にもなお健在ですが……あの?」

「お前たちは行け。近隣の所轄ほか関係各所と連携し周辺市民の避難を最優先に。ここまで来たら緘口令や報道規制など二の次だ。細かいことは副署長の判断を仰げ」


 必要最低限、かつ一方的に早口で捲し立てると、自身は逸る心を抑えてハンドルを握る。


「署長は、一体何を?」

「魔法少女を援護する。こんな無力な俺でも、何か出来ることはあるはずだ」


 は? と口々に聞き返される。

 彼らから見れば上司が突然変心、もとい乱心したとしか見えないだろうが、紫門自身は今までにないほどに穏やかな心境だった。


「今行くぞ、オーバーキル……!」

 そして己の本道に立ち返るべく、朝日輝くロードへ向かって五龍恵紫門は強くアクセルを踏み締めた。

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