第7話

 暗転した瞬間、千明は自分が恐怖も痛みもないままに圧殺されたと思った。

 だが、ややあって落ち着くと、五感が戻った。鉄っぽい臭いがする。パラパラと散る音がする。

 そして薄らぼんやりと慣れてきた闇の中で、彼女をその想像通りに押し潰さんとしていた鉄の触手を、彼女の間に割り込むようにして、庇うように支えていた。


 砕けんばかりに歯を噛み締め、野太い腕に血管が浮かび上がらんばかりにさらに膨張している。


 それが、自分を助けたのが何者なのか。具体的に顔が見えずとも分かる。


「ご、五龍恵さん?」


 本来には『さん付け』をする必要がない、悪党の首魁のひとり。自分を追い詰めた仇。向こうにしても、排除せんとしていた千明をあえて救う義理などない。そう考えていたはずだった。


「どうして」と震える声で問う千明に、男は喉奥から言葉を振り絞る。


「さっきも言ったはずだ! この街と、出来る限り多くの市民を守るのが俺の目的だ……っ、たとえ我が身を犠牲にしようとも、悪に堕ちようともな!」


 そう気を吐きながらも、そこに自己弁護や虚妄の気配はない。少なくとも、自身を犠牲に千明を守ったのは紛れもない事実だった。


 救おうとした。だが、車中と同様彼女の手に角灯などが転送されることはない。

 焦る千明の襟首を、闇に溶け込んでいた何者かが掴み上げた。

 今となっては非力な少女に抗う力も時もなく、鉄の密林を抜けて外部へと引きずり出された。

 五龍恵紫門を残して鉄の林が完全に閉ざされたのは、この直後だった。


 彼の名を呼び縋る彼女を、獣の爪牙が引き戻す。

 遠ざけられるその過程で、彼女は叔父だったモノの醜悪な姿を見て愕然とした。

 それほどまでに、こんなモノに成り果ててしまうほどに、叔父は己の業に苦しみ、思い悩んでいたのか。


 脱力した彼女を放り投げて、日光に我が身を晒す影の怪物は、そのまま少年の姿へと戻った。


「行かれちゃ俺が困るんだよ」

「黒文、くん……どうしてここに」

「別に逃げたわけじゃなく最初っから紛れて様子を見てたんだよ。ネロとか言う異次元人の服に。で、ヤツと取引してお前を助けることになった。だから自殺行為なんてやめてくれ」


 と言うことは、彼はネロがどうなったかも知っているはずだ。何やら派手に横転していたが、そこで何かしらの事情を把握していたはずだ。

 そのことに気づいた千明は、暴れる叔父を見上げながら尋ねた。


「力が、装備が出ないんだ! 黒文君、何か知ってる!?」


 その問いに対する答えは、黒文の口から冷え冷えとした調子で語られた。


「……谷尾って秘書がいただろ。あいつはどうやら、ネロを追ってきた刺客の一人だったらしい。そいつに、お前関連のアイテム全て放り投げられて壊された」


 千明の心を再び暗澹たる寒波が襲う。血の熱が全身から引いていく。

 つまり自分は……


「つまりお前は、今何の力もない、ただの姑娘だ」


 言われずとも良い厳然たる事実が、あらためて少年の口より突きつけられた。


「どうして」

 最初は、不本意に得た力が正直に言えば重荷だった。

 これのせいで余計な荒事に巻き込まれているのではないか、とさえ考えることもあった。

 それでもやっと、その力の意義が、使い所や使い方が分かった時に。必要としているこの瞬間に。


「どうしてこんな時になって、全部無くなるのさ……!」


 絞り出した悲憤が、虚しく谺する。

 それに応える者は、誰もいない。




 ――



 自身の嘆きに、引っかかるものがあった。

「ほら、さっさとこの場を離れるぞ。あのオッサンのことは諦めろって」

「待って」

 その不審さが具体性を持つ前に、黒文に疑問を投げかけた。


「それ、いつのこと?」

「は?」

「僕のデバイスが壊されたのだよ」

「そんなの、俺が車を横転させる前のことに決まってるだろ」


 だとすればおかしい。時系列が矛盾している。

 だって自分はついさっき……車が横転し、永秀が怪物化したに、遠く離れた彼の声を聴いたのだから。


「ネロ!」

 声で叫ぶ。心で叫ぶ。


「聞こえてるんでしょ、通じてるんでしょ!?」

 もし自分の思い違いだったらとんだ恥さらしだ。だがそれでも、問わずにはいられない。


〈聞こえてるし、通じてる。というかついさっき会話してたじゃねぇか〉

 至極まっとうな感じで返される。

 嘘つきの秘密主義と罵倒してやろうかとも思ったが、少なくとも彼の中で意図して隠してるわけではなだそうだった。


〈もう良いか? 俺今忙し……うわコイツビーム砲まで搭載してんのか〉

 遠方にて、白銀の機人の姿が見えた。光の柱が地面水平に伸びているのが見えた。

 それに当たったビルの鉄骨や窓が炙った飴細工のように融解していくのも。

 あの渦中にいながらにして、会話をしている。到底届かぬ距離、環境に在って。念波でもって会話している。

 つまりはそれは……


「僕はまだ、魔力を持ってるってこと?」


 激戦のためか。その問いに対する返答はワンテンポ遅れて、呆れ切ったように飛んできた。


〈最初に言ったぞ〉

 と。


〈『ケージ』本体はお前の生命そのものに組み込まれている。俺が今まで目に見える形で手渡したモンは、補助装置に過ぎない〉

「つまりは」


 追及しようとする千明の思念を先回りするかのように、手早く直裁に、自身の『職人』は答えた。


〈お前の力の種火は、まだお前自身の中にある〉

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