第6話

 全てを取りこぼし、全てを失った男は、悄然と立ち尽くしていた。時折、何か縋るように五龍恵を見る。

 だが彼もまた言葉もなく、全てを諦めた様子で天を仰ぐばかりであった。

 それを見て、一抹の希望さえも粉砕されたかのように俯く。


 自業自得。振り撒いた因果が彼に巡ってきただけに過ぎない。ネロが近くにあれば、声にしてそう評しただろう。


 だが、千明には叔父を笑う気にはなれなかったし、罪を認めろと非難する気にもなかった。

 自分の意思で何も出来なかった人。誰にもなれなかった可哀想な人。それが千明の見るところの永秀の姿だった。

 言葉をかけることさえ、躊躇われた。


(もう、止めようよ。叔父さん)

 ただ祈るがごとく、内心で訴えかける。

 だがその心は彼には通じず、やがて物悲しい声調で笑い始めた。


 赤石永秀はたとえ人を、肉親を殺そうとも叔父のままなのだろう。どれほど醜い本性を曝け出そうともただの人間なのだろう。

 一線を越えたような怪人たちと巡り会ってきた千明には、叔父はどこまでもふつうの人間だった。

 ただ、世界の深淵に片足を踏み外してしまっただけの。


 だがそんな彼に手に、相応しくないものが握られていた。

 マスケットの銃身のような赤銅色の円筒、歯車。

 それが一対となった剣。

 イグニシアの置き土産。


 反射的に千明は飛び出した。

 使えるかどうかではない。それは、異界の物には、手をつけた瞬間から、のっぴきならない状況に追い込まれる。

 自分は良い。それでも、彼はまだ引き返せる、やり直せるはずなのだ。


「……俺も」

 それに乾いた目を落としながら、永秀は薄く笑う。


「手元に魔法があれば、こんなことにはならなかったのかな」

 自嘲めいた言葉と共に、彼は歯車を漫然とした手つきで回した。


 瞬間、怪焰とどす黒い煙とが、彼の肉体を覆い包んで肥大化させた。


 ・・・


 その変異は、ネロ達にも見て取れた。いや、距離を置いていた彼らの方がより正しくその全容を捉えていたと言った良い。


 それは、突然に都会に生じた鉄のジャングルだった。

 あるいは赤鋼の巨人。その下肢は無数の蛇となって、バイパスの下を、道路を、際限なく分岐と増殖を繰り返しながら流動的に埋め尽くしていく。

 それに支えられた鉄人はやがて鬼とも獣ともつかぬ形相となり、ぐわりと大口を開けた。


「おい!」

 ネロは声を張り上げた。そこにいた男ではなく、念をもって、その渦中に巻き込まれたであろう相棒へ。


「あれはイグニシアの置いていった武装だな!? 誰が暴走させやがった!?」

『わ、わかんないよ! 叔父さんが使ったらこうなって……』

「ただの人間が使っただぁ? おい、そいつそのまま行くと死ぬぞ」

『えっ!?』

「あの馬鹿は自分に使ってやがったが、それはエンジンの強化装置だ。あの馬鹿の体力と魔力があったからブーストに使えたしコントロールできた。フツーは魔力どころか生命力さえ吸い上げられて暴走の挙句死ぬぞ」


 短い悲鳴とともに声が途切れる。

 次の瞬間、破砕音が千明たちのあたりから聞こえてきて、粉塵を巻き上げる。


「あンの脳筋王、毎度毎度余計なことしかしないなぁ!」


 歯噛みと逆恨みをしながら、ひたすらに千明の安否を祈り、かつ念話の再接続を試みるよりほかない。

 しかし、いかにあの粗忽者の兵装と言えども、さすがに自分で認証機能をかけたはずだった。だがそれが破られている。

 いったい誰が……などと問うまでもなく目の前のひとりしかいない。


 オリバーは腹を抱えて、街が崩壊する惨状に大笑いしていた。


「ご名答。応酬した時にロックを解除してやった。ほんっ、と。あの道化ぶりだけは見てて飽きないよなぁ! ちょっとそそのかしたら本気で使いやがって……まっ、その時軽く暗示をかけたりもしたがなぁ! ……どうだ、手酷く見限った相手が、自分に匹敵する技術者だったという事実に後悔するが良い!? それともそれが故に嫉妬し、恐れていたのか!?」


 聞くまでもないことを得意げに吹聴するこの男、どうやら本当に言いたかったことは最後のあたりの訴えらしい。


「あぁ、正直に認めよう。実は今、凄く後悔してる」

 ふわりと微笑んで、かつての公王は言った。


「お前のような職人の風上にもおけねぇゲスに、放逐処分なんざ甘過ぎたってなぁ」


 顔を変えぬままに吐き捨てた。その陰影に何かの感情を見出したらしいオリバーは、確実に怯みを見せた。

 だがそれで自身の行状を改めるような人間性でもない。

 ふてぶてしく笑い返すと、右腕を突き天へと突き上げた。

 そのリストにあるブレスレットが、鈍い光を放射する。それが呼び水となって空間に大きめの亀裂が入る。その中に収納されていた白銀の塊が現れ、引き出される。


 赤子のように四肢を折り曲げた、巨大な人型兵器。

 それが手足を伸ばして直立すると、ゆうに五メートルはあろうかという鉄人となって、背より飛行に耐えうるだけの両翼が展開する。


 胸のハッチが開き、オリバーは意気揚々と飛び上がって内部へと搭乗した。

 レトロフューチャーに美意識を見出したネロの嗜好とは真逆の、流線型でスポーツカーのように近未来的なデザインだった。


「『駆動鋼天使メトゥルムメーデン』……完成したのか」

『あんたが没にしてくれたおかげで計画が頓挫しちまったが、閣下が資金と技術両面で援助してくれたおかげでなぁ』

「グラシャが?」


 ネロはその白銀の兵器をつらつらと見上げて、そしてため息を吐いた。

 自分よりも遥かに勝る体格差と装備を手に入れ、まさに得意の絶頂期と言った様子でハッチを閉じた。

 そんなオリバーに今更言うこともないし耳にも届かないことを九割がた承知で、ネロは進み出た。


「こんなことをわざわざ言ってやる義理もねぇが、それでも最後の忠告だ。……それから降りろ。今すぐに」

『ハッ! 今からビビってハッタリかましても遅いんだよ!』


 だがその温情の、もはやオリバーの僻んだ五感には臆したがゆえの虚勢としか取れなかったようだ。

 躊躇なく起動させたらしい。マスク部分のバイザーの奥で、赤いカメラが不気味に輝く。


 だが、その動作は彼の思うようにはいかなかったようだ。


『な……なんだ……この固定器具は。なんだこの内部機構は!? こんなこと、テストの段階では一度も』


 それを感情のままに発露させる。

 機内がその叫びと抗う音と、そして金属の摩擦音とで騒々しくなっていく。


『おい、なんでチェーンソーが内向きについている!? よ、よせっ、止め! 助けギャアアアアア!!』


 生きた豚をミンチにするかのような、というかそのものの音。断末魔。半透明のコクピットが朱に染っていく。

「……だから言ったんだよ、あの女がお前を重用する? それどころか生かしておくわけねぇだろ」

 やがて内部の血液を主とする体液が天使の『胎内』より抜き取られて機械の全身に隈なく行き渡る。


「悪趣味だが徹頭徹尾合理的。いかにもグラシャらしい」

 魔力の回復が容易ならざるこの世界で、どうやってこの質量を動かすだけのエネルギーを確保するのか、目にした瞬間から疑問が湧いたが、なるほどこういうことかと納得する。

 おそらく後生大事に温存していたであろう、そして術者としても優秀なオリバーの魔力を、肉や皮膚から骨に至るまでに搾取し、それを霊的な伝導率がもっとも高い当人の血液等によって循環させて当分の活動源を確保。


 その仕様は、オリバー本人には当然聞かされていないだろう。

 おそらくはネロを認識した時、その『アイアンメイデン』は真に起動する。


「……顛末までお揃いとはまったく似合いの主従だよ、お前ら」


 曰く、オリバー・アローテイルは自分が生まれる前より魔導精錬技術において名を馳せた前時代の寵児であったという。

 

 だが、挫折のない彼はいつしかその才能に溺れ、実態以上の特権が自分にはあると錯覚した。

 故にこそ、ネロから等身大の査定を食らった時、彼の中で何かが壊れたのかもしれない。そして打ち砕かれた自負が若い天才職人に対する憎悪にそのままシフトしていったのだろう。


 それこそ謂れのない逆恨みではあろうが、それでもネロは技術者として、自分も一歩間違えればそうなり得た可能性として、元部下の末路には一抹の憐憫を抱かなくもなかった。


〈対象、ネルトラン・オックスを確認。本国に報告を送るとともに、その身柄を確保。反撃を確認した場合は殺害も視野に入れます〉


 中に人の意思を感じさせない挙動で首を動かし、声を発する。

 そしてオリバー・アローテイルであった成れの果ては豪風とともに羽を撃った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る