第3話

 千明たちを荷として積んだ護送車が、行き先も告げないまま進んでいく。

 かつてここにやってきた灯浄駅に通じる道。そこから分かれてインターチェンジに乗り、高速道路へ。


 先の騒動を受けて道路はごった返しているかに思えたが、意外にも空いている。いや、空かせているというのだろうか。

 ここにいては危ない。過去のことは水に流すから、今は街を離れて安全な場所に非難していなさい。

 おそらくはそういう思惑のうえに、自分たちは護送されているのだろう。


(――なわきゃないでしょ)

 みずからが『魔法少女オーバーキル』であることを見破られた千明は、そんな甘い考えを即座即時に否定した。

 どう考えても、秘密裏に処分されるアレだ。沈むなら山か海か選ばされるソレだ。

 だが意外だったのは、千明の向かいには同じように、叔父がいたことだ。もちろん一対一ではない。例のスーツ男たちのリーダーが護衛についている。だが、ネロと自分とは切り離されて、別々の車両に乗せられた。つまりは、一方的な保護者同伴というわけだ。


 不思議と、死への恐怖はなかった。

 この一両日中にあまりに多くのことが起こって麻痺しているのか。

 あるいは一番腹を割って話をしたかった叔父と面会するチャンスを期せずして得たからか。


「……その眼」


 背を丸めて、赤石永秀は姪を睨み据えた。


「いやな目だ。お前のクソ親父を思い出す。全部見知ったかのような、逆になんにも気づいていないかのような」


 よく、誰それと似ていると言われる日だ。

 その詰られた目にさらに困惑の色を浮かべると、永秀は背もたれに腕を巻いて言った。


「だが、お前は知ってんだよな。俺が、兄貴に何やったのか?」


 首を引いて肯定する。

 ただ一言、

「どうして」

 と紡ぐ。一番問い質したかったこと。

「どうして、パパとママを……そして、僕を」


 その真剣な詰問を、叔父は鼻で笑い飛ばした。

「そのパパが馬鹿だからしょうがねぇだろ! 何を血迷ったのかクソしょーもねー意地で俺たちの親父や同盟に逆らいやがってっ」

「……同盟?」


 千明は問い返す。だが、当惑の度合いはオウム返しにされた永秀のほうが大きかった。


「……おい、こいつは驚いた。とんだお笑い草だぜ、署長。この魔法少女サマは、ご自分が何を相手どってたのか、まるでご存じでない!」


 ゲラゲラと笑って肩を揺らし、遠慮なく隣に座る男の、迷惑そうな様子も気にせず二の腕を連打する。

 だが、和やかな表情も一秒と保てなかった。


「ふざけんじゃねぇぞこのクソガキがッ!」


 予想はしていた。だが激し具合は千明の見立てをはるかに超えていて、無意識に千明の半身が上下に揺れ動いた。喉輪に掴みかかられて、身がすくむ。


「何も知らねぇで引っ掻き回してたってのか!? ここまで、無意識に俺の足ばかりを引っ張ってたのか!? まったく親父同様にイラつかせてくれるアホさ加減だ!」

「知る、もんか……!」


 千明は叔父を突き飛ばした。よもや、十代半ばの小娘に押し返されるとも思ってなかったのだろう。シートの奥まで身を傾けた永秀の目が、驚きで見開かれている。そして千明自身も、意外なまでの叔父の、このすべての元凶とも言うべき悪漢の呆気なさ、手ごたえのなさに戸惑っていた。


「僕はただ、ここまでは自分の身を守ってきただけだから」

 そう言ったっきり、奇妙な気まずさが、この肉親の相手に流れた。

 やがて虚勢を張る意味合いも兼ねて、永秀は鼻を鳴らした。


「まぁ良いさ。話してやるよ。この街の本当の顔、お前があの男から受け継いだものがなんなのか」

「……赤石さん」

「構いやしないだろ、五龍恵さん。どうせ秘密とコンクリートを抱きかかえたまま港に沈めちまうんだ」

 静かに制止をかける男を嗤うかのように唇を歪め、そして続けた。


「戦後の復興期、この街は駐留軍の拠点となって様々な人種や組織が、合法、非合法問わず乱入する地獄のような坩堝と化した時があった。これが事の発端だ」


 脚を組み直しながら、叔父はその歴史を嘲笑うかのような、あるいはその末端に至る己を自嘲するかのような表情を浮かべている。


「それからある程度淘汰され、整理された段になって奴らは思い至った。思い思いに利権をむさぼるよりも、分業による互助をした方が得だし楽だってな」


 窓は黒いスモークで遮光され、すでにどこに向かっているのかさえ定かではない。その中で明かされる真実に、千明は若干の迂遠さを感じつつもじっと耳を傾けていた。


「そうして生まれたのが、荒事担当の『泰山連衡』。国内外の流通ルートを取り仕切る『ファミリー』。資産運用を担当する金融の浄都銀行。司法行政面よりそれらの後始末する灯浄市警」


 伯父は一度ちらりと五龍恵と呼ばれた男の方を見、そしてあらためておのれを指で示してみせた。


「そして……輸入した物品人員の分配および情報の精査、共有、管理を委ねられた赤石一族……つまりは、俺たちだ」


 自分の生家のルーツを聞いて、赤石千明は軽く驚いた。

 この事件に巻き込まれるまでは、ただの商社にしか過ぎないと思っていた。それは誤りで、ブラックなゾーンへと半世紀以上前に脚を突っ込んでいたとは。


「で、ここまで来ればなんなのかはおおよその察しはつくだろ? お前の親父が俺たちの親父から何を受け継ぎ、秘していたものが何か」


 千明とて、察しの良い方ではない。

 だが、文脈を読み取ればそれぐらいは分かる。常に、自分について回っていた概念。


「――秘密」

「そうだ。今日に至るまでの各組織間の情報の推移。極秘裏な連絡記録。もみ消された犯罪履歴。そう言った本来は消去してしかるべきな、ともすれば街の破滅を引き起こしかねない歴史の裏帳簿。それをデータベース化したのがこいつだ。赤石家に代々引き継がれてきた」


 そう言って叔父がスーツの内ポケットより引き抜いたのが、身体検査のうえで没収された、黒いUSBメモリ。解除コードとともに白泉老より譲渡された代物だ。

 だが、その正体は知らされてはいなかった。その前に、『泰山連衡』と『ファミリー』による襲撃が始まった。


「……そんなもののために」

「あん?」


 ――だが千明にとっては、彼女の目に映りこんでいたのは、ただの記録媒体でしかなかった。組織の由来、遺産の真実を知った彼女に去来したのは、拍子抜けした虚しさと、その後の怒りだった。


「そんなもののために、僕は襲われたの!? パパとママは殺されたのか!」

「あぁそうだよ!」


 永秀は怒鳴り返した。


「そりゃ魔法使いサマにとっちゃちっぽけな代物だろうさ! 今、この街で起こってることに較べてもな! だが、そんなもののために……お前なんかのために兄貴も義姉さんも死んだのさ!」

「……僕の?」

「前にメシん時に言ったよな? お前を美しいこの街の学校に通わせることが、兄貴の夢だったって」


 美しい、その言葉を殊更に強調して、そしてそれに反応した千明の眉を見て、叔父は不釣り合いな尊大な笑みを浮かべた。


「そうさ、あの馬鹿は、この街が汚染されてるって考えてたのさ。均衡のためであれば犯罪も辞さない、殺人も容認する。そんな灯浄って都市は狂ってるってな! でもしょうがねぇだろ!? そうやってこの街は平和でいられたんだっ!」

 永秀の、いや赤石家をはじめとした連盟の言い分は、完全に矛盾していた。

 千明たち親子も含め、平和の裏で踏みにじられた人々に、その論調が通用するものか。


「なのにお前が生まれたばっかりに、お前をちゃんと故郷の学校に通わせたいとか言って、そんな日和った理想論くっちゃべって親父たちと衝突しやがって。挙句の果てに自分が持つこのデータベースを公開するよう動いてやがった! だから先手を打ってやったんだよ!」


 さながら告解するがごとく、声を上ずらせわずかに背をのけぞらせ、語り終えてからも唇をわななかせる。

 隣の五龍恵署長に当たらんがばかりに腕を振り乱し、続ける。


「そしたらあいつ、この遺産を成人したお前に譲渡するよう銀行に根回ししてやがった! じゃあどうするよ!? お前を殺すしかねぇだろうがよ! お前が生きてたばかりにこんなややこしいことになってんだよッ! 俺に、俺に継がせてくれれば、こんなことには……!」


 ――つまり、千明が生まれたばかりに。

 ――自分が学校に通うまでに成長し、暗殺から生き延びてしまったばかりに、この街は、今こうも乱れて壊れていく。

 叔父はそう訴えたいようで、おそらくそれは事実


 こういう時、きっとネロなら言うのだろう。

「お前が負うべき責任ではない」と。


(それでも)

 きっと自分が継がねばならない過ちだと千明は思った。

 結果的に、父親の判断は誤っていたのかもしれない。だがそれこそが、思い出の少ない両親たちとのつながり、唯一かもしれない情愛の証だと、千明はその魂魄で、再燃したその命で感じていた。


「だから、渡せ。お前の耳から頭に入ったパスワードを。ジジイに聞いてやっても良いが、あいつは雲隠れしちまった」

「聞いても無駄だよ」

 千明はまっすぐに対面を見据えて言った。


「僕だけに分かるヒントしか、あの人も知らなかった」

「じゃあ、教えろ。こっちは、殺さず最大限に痛めつける方法だって知ってるんだぞ」


 ――せめて方便でも良いから先に生かすと約束すればよかったものを。

 そう言いたげに、五龍恵の瞳が険しいものとなっていた。


 だがそれには及ばない。教えて欲しければ教えてやる。

 だが、気づかないのか。その事実に。


「……叔父さんは、これを使ってどうするつもり?」

「……お前、話聞いてたのか?」


 叔父さんこそ。そう言いたくなるのをぐっとこらえ、ただ永秀の答えを待つ。


「決まってんだろ! あるべき場所にこいつを納めて。あるべき体制に戻すんだよ。こいつはそのための抑止力だ!」


 叔父さん。

 あなたは、どこまで……


 出かかった言葉を呑み込むと同時に、強い感情が

 怒りではなかった。むしろそれは、本来であれば立場が逆であることを承知で言うと……憐れみに近かった。


 目を伏せてそらし、声量を控えめに、千明は再び尋ねた。


「――それ、誰のための抑え? どういう体制?」

「だから、それは……っ!」


 叔父の喉元から言葉が突いて出ようとした刹那、それは現実という外気に触れて霧散した。

 と同時に、彼の目は見開かれ、舌は発声をしようとしたままに固まった。


 おそらくは、気が付いたのだろう。

 彼以外は知覚していただろう、その事実に。


 『泰山連衡』は解体され、『ファミリー』は逃散した。

 すでに、連合は、あってないようなものとなった。

 となれば、一体何に対して、その効力を及ぼそうというのか。


 つまりは、彼がやろうとしていたことは、必死に渇望していたものは、その意義の大半がすでに消失していた。

 その無常な答えに行き当たった瞬間、男の表情は空っぽになった。


 ・・・


 ネロは千明とは別の車両に乗せられていた。

 手錠をかけられていると、脱獄した時のことを思い出させてくれる。


 対座しているのは、谷尾とかいう赤石永秀の秘書だ。

 どことなく日本人ばなれした、掘りの深い顔の造詣をしている。


(だが問題は)

 自分が用意したマジックアイテム。魔法少女の姿へ換装するための一式。この拘束を破る工作具。

 それらが千明や自分のもとに転送できないことだ。念波による連絡さえもつかない。


 ほんの数メートル先を行く車両の密室で、自分と同じ仇と対峙しているはずなのに。転送が範囲圏外となるほどの間合いでもあるまい。

 まるで、どちらかか両方に、霊能的な妨害術式でも及んでいるかのような……


(となると、まさか……)

 その可能性に思いを馳せたその瞬間、谷尾は窪んだ眼窩に光をたたえて、薄く嗤っいながら尋ねた。




「なぁ、オレのことを覚えてるか? ……ネルトラン・オックス」

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