第23話

「やはり、こうなったか」


 『泰山連衡』の劇的な政権交代が行われた場より少し離れた区画。

 無人となった廊下を、セリアという通名を持たせられた少年は闊歩する。


 意図的なものか、日ごろの信心が神の御業を招来させたか。『オーバーキル』と曹鳳象の激戦に介入していた『トンボ』部隊は機材こそ破壊されたものの生命と意識は取り留め、無事に各個の判断と生存本能に従ってすでにこの場を離脱していた。

 むしろそれ以外、ブルーノの護衛や『連衡』とことを構えていた連中こそ、悲惨な末路を迎えていた。


 その屍を乗り越え、ガレキを足先で除け、足下のうめき声に耳を傾ける。


「う、うううう……」


 ――残されたのは、セリアと、足を鉄筋仕込みの落盤で挟まれで身動きが取れなくなったブルーノのみであった。


「やってくれたなブルーノ。お前が馬鹿やらかしたせいですべてがご破算だ」

「て、テメェ……ナメた口きいてんじゃ……いや、なにボンヤリ突っ立ってやがる!? 早くオレを助けろ!!」


 あ? とレンズの奥底で目を眇める。そしてセリアは、踵をブルーノの上の落盤に叩きつけた。

 彼の細腕でコンクリートの塊と苦痛を取り除くのは容易ではない。だが、そのほっそりした脚で少し重圧を加えれば、『ボス』に最大限の苦痛を与えることができた。


 身もだえるだけの空間的余裕はブルーノにはなく、逃れようのない等身大の苦痛が彼を苛み、情けなく声を裏返していた。


 唯一動くのは、首。

 天に向けられた耳元に、少年は囁いた。


「何故、この『ファミリー』には名がないと思う?」


 あ、と足下より声が漏れる。だが明答ではない。

 痛みでそれどころではないのか。それとも、今まで考えすら上らせなかったのか。


「お前の言うようなケチなシノギでしかないこの国の一支部。なのにどうして本部は手を引かなかったと思う? ……ふん、即物的な金儲けしかできないお前には、思い及びもしなかったことか」

「な、なにを悠長に……」

「そう言うな、お前の将来を左右する事実を、俺は打ち明けている」


 そう言って身を離す。加圧の痛みからとりあえずは解放され、シチリア男の額からはいくらかの冷汗が抜け落ちた。


「それは、この支部に求められているのが収益アガリじゃないからだ。それでは贖うことが容易ではないもの……秘密だ。ゆえにこの組織は名乗ることも許されず、本部から軽視されるように仕向けられている」

「ひ、みつ……? いったい、何を……?」


 大方この男、自分の仕入れた荷の中に横流しの裏帳簿とか、偽札の原版か何かでも仕込まれていたとでも浅い思考を巡らせているのだろう。


(だから、そうではないと言ってるだろうが)


 想像と偏見も込みでそう内心で吐き捨てたセリアは、おもむろに腰周りを隠していた上着を捲り上げた。

「――たとえば」

 そこには黒革のベルトにぶち込まれた、三十センチばかりの短刀。束と鞘とで、翡翠カワセミが頭部と両側に広げた翼とで一対になるようなレリーフが施されている。


「そ、その家紋は、スオーノオルコ家の……」


 ブルーノの声が強張る。痛みのためではなく、自分が何者に暴力を振るっていたか。それを察知したがゆえに。


「そう、たとえば……糖尿病で死んだどこぞのデブの、私生児とかな」


 間接的に自身の正体を明かした少年は、さて、と話を手短に切り替え、ふたたびブルーノの足に重圧を加えた。


「ここからはお前の大好きな損得勘定の話だ。お前は今、渦中の真珠に食指を伸ばそうとして案に相違し閉じた貝口にその指を食いちぎられた。兵隊の大半を喪い、パワーバランスを崩しもはや拠点の維持さえままならない。失態を犯したお前に、お友達は律儀に約定を守って良い席を用意するかな」


 その未来図を空想させることで判断力を不全に陥らせる。そのうえで、ブルーノの眼前で膝を折って胸ぐらを掴み上げる。


「だがお前は今、逆転のシュートを放てる立ち位置に在る」


 それがネットに入るかどうかは別として、という『自虐』を伏して、彼にパスを回す。


「どうすれば良いと思う?」

「おま……アンタを後継者として担いで帰国する。いやいや、させて下さい!」


 セリアは頷いた。この程度の判断を即座に下せぬ者であれば、担がれがいもないというものだ。彼としても、いかに戦力を半壊させた浅慮なチンピラ集団であってもブルーノ一派の助力は不可欠だ。明確な後ろ盾を持たずに単身本部に赴いて後釜を自称したところで、本妻の子らにリンチにされるのが眼に見えている。


(だが、巣穴が壊れた以上はこれしかない)


 彼としては表舞台に出るつもりはなかった。

 しかし秘密の洞は崩れ去った。こちらの素性は本国に知れる。白日の下に引きずり出され、叩き殺される。そんな年若いネズミが生き抜くためには、あえて我が身を窮して突出し、敵の喉を食いちぎるしかない。


「行くぞ」

 彼の考える限り必要最低限なだけのプロセスを経てブルーノを説き伏せたセリアは、同様に必要最低限の号令をもって促した。


「お、お待ちください……その」

 ブルーノは、ブロックに挟まれたままの自身の足を恥じるように見返した。


「あぁ、すまない。失念していた」


 故意にそう嘆いて見せて、セリアは自身の短刀を半ばまで抜き、そして再度納めた。

 この国のサムライはかつて古来、金打キンチョウなる誓いの儀式を執り行ったらしいが、所作はそれに似ている。ある意味これもセリアとブルーノ、そして己自身に対する誓約と言って良いかもしれない。


 潰れた刃の鈍い閃きに、『もしやそれで切除する気か』と色を喪ったブルーノの周りで、異音が鳴り始めた。

 ナイフの鞘鳴りから端を発したその振動と甲高い音は鉄骨やガラス片を次から次へと移っていく。まるで目に見えぬ鳴禽が、木々から木々へ飛び交うように。


 やがてそれは……共鳴によって最大限に研ぎ澄まされた高周波の刃となって、熱したスプーンをジェラートに通すかのように、ブルーノの腫れ上がった足を残して岩盤を八方から裁断した。


「風の精霊の力を借りたのさ」


 少年はそう嘯いたが、唖然としたまま、かつ胡乱げなブルーノを見て、


「冗談だよ」


 と言い直す。

 これで奴はこの異能……いや現象の正体を見失ったはずだ。

 秘密と力は恐怖であり、そしてそのまま抑止となる。自分が実力者で勝利者である限り、ブルーノはセリアを裏切らない。


 ブルーノが揶揄と共につけた名だが、『真面目セリア』とは良く表した者だと思う。娼婦がつけた元の名前に、未練もない。


 自身の生き方はその通りであれかしと、刃鳴りによって誓う。

 その名のごとく、彼は実直に、自身の運命と生命とに執着し、そして挑戦する。

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