第22話
「そうか。では殉死しなさい」
曹鳳象が吊し上げた少年に向けて振り下ろした拳は、決して速くはなかったが、充溢したその殺気を肌身に浴びれば即時理解できる。そのまま行けば臓腑をクラッシュゼリーか何かのように砕いていただろう。
だから千明は、魔法少女オーバーキルはその一撃を槍穂で受け止める。
遮られた拳圧をもって青いポニーテールが浮き踊り、鳳象のスーツの端々がはためく。
「おや?」といった調子で眉を動かし、彼は拳を引き、身を退いた。
「ごめんなさい、鳳象さん」
庇うように立った千明に、黒文は唖然としていた。
その背景にあるものをろくに知らない彼にしてみれば、千明の感情の動きはまったく理解できないことであったことだろう。
その少年を脇目に見ながらも穂先は鳳象から外さず、魔法少女は言った。
「でも、素直に感謝する気には、なれません」
「別に構わないですよ。こちらとしても君のためにやったわけじゃない」
まるでサイフを拾って、「人として当然のことをしたまでです」と謙遜するかのような物言いとともに、逆徒の拳士は微笑んで見せた。
「むしろ、こちらから逆に、君に感謝と尊敬の念を贈りたい」
「お師匠さんの隙を作ってくれたから、ですか?」
少しトゲのある千明の問い返しに、「そうじゃない」と鳳象はかぶりを振る。
「事自体はいつでも成せたんだ。ただ、いくつもの命を奪ってきた僕とて、親にも等しい老人を手にかけることは、気が引けたし、心が痛んでいた。悩みもした」
だが、と踵を切り返して両手を広げ、さながら鷹が飛び立つかのような大仰さとともに。
「ありがとう!」
声高に彼は感謝を伝えた。
「君のおかげだ! 君の言葉があったからこそ、僕は師の未練を断ち切ることができた。老醜を重ねて堕落しきる寸前で、かろうじて師の面目を保ったままに、お送りすることができた!」
耳を塞ぎたくなるような真実。だが、眼をそらしてはならない事実。
――そうだ。いくらネロがフォローをしてくれようとも、彼の無道に自分が加担し、後押ししてしまったことは事実だった。
黒文の視線が背を刺してくる。
「抜かせ、ゲスが」
ネロが吐き捨てるように言った。
「てめぇは生まれついての
端的ながら人に対するものとしては最大限の罵倒を受けても、鳳象は泰然としている。
代わり、ゆったりと拳を天地に広げて構えを取った。
「なんとでも言うが良い。だが、黒文は置いていってもらおうか。彼は修羅道に入る覚悟をした。それを表明した。であれば、それに応えて葬ってやるのが礼というものだ」
おそらく彼のみにして理解しえぬであろう独自の美学と信念をもって、彼は摺り足で前進する。それだけで宇宙飛行士の訓練かのごとく、重力が一段階引き上げられ、額と背に冷汗が流れ出して止まらない。一瞬、死と強烈な後悔と逃走欲が全身を駆け巡るほどに。
イグニシアを相手どった時でさえ、ここまでの恐怖はなかった。
だが、かろうじて、だが感覚が鈍磨している。
それがチープな責任感や子供っぽい正義感に酔った脳みそが出した脳内麻薬のせいだというのだとしても、今はそのことに感謝し、奥歯を噛みしめ踏みとどまるしかない。
大丈夫。数秒保てばそれで良い。
最大限の一撃を加えて、ふたりを連れてこの場を離脱する。それしか道はない。
「ネロ、他の人たちは」
「……少なくとも、この場からは一般市民は消えたよ」
確認、というよりも言ってもらいたかったことを、あえてネロに答えさせた。
正直これしか見つからないし、加減もできない。
ランタンのツマミを回す。
自身から魔力を組み上げて一層の輝きを放ち、それが杖槍の穂先に流動し、充溢を始める。
あふれ出たエネルギーが形を成して兵廠となって砲台を組み立てていく。
「魔導砲、一応非殺傷モードで全力発射ァ!」
そしてそれがくり返す明滅が、力の充填がピークに至った時、腕を突き伸ばす。
その砲口から魔力の奔流を、一気に放射させた。
それ自体が肉体を傷つけることはない。だが、確実に生命を果てまで吹き飛ばすだけの威力を有した圧力が、曹鳳象を襲った。
光の激流を、拳士は一手一足でもって迎え撃つ。
半身を左右に傾けて地を踏み鳴らし、撃ち出した鉄拳が真っ向からその力に拮抗する。
さしもの鳳象も、その攻防と光芒の狭間で眉間にシワを寄せているのが見えた。実際に、踏み固めて不動となったはずの脚が、地面に跡を残しながらも下がりつつあった。
「なるほど、これは中々どうして」
という声にも、余裕を取り繕おうという必死の気配が隠れていた。
「だがっ!」
――だが。
彼の腹筋が服の上からも分かるほどに大きく前後した。
行われたのは独特の二呼吸。一の納によってふいに魔力の砲撃がたわんでほどけ、二の吐によって一気にそれが弾け、まるで彼の武威を怖れて避けるかのように、四方八方に飛散した。
「刃引きされた技など、僕には届かない」
千明が持つ超世の力のうち、火力重視の形態の、最大出力の砲撃は、彼に傷ひとつ負わせることができなかった。
「……心が折れそうだ」
傲慢だったその設計者は、憮然としてその男を見返していた。
「きっと、駄目だと思ってた」
千明もまた、トーンを落とした調子で呟いた。
だがそこに込めた感情は、落胆と失望ではない。諦めきれない希望というのも違う。
「いや、信じてた。貴方が、きっと攻撃を凌ぎ切るだろうって」
あえて言語化するのであればそれは、
――してやったり。
という、達成感だった。
踏み出そうとした鳳象が足を止める。
その頭上の天井が崩落し、千明と鳳象の間をガレキが埋めていく。
最大の火力。攻撃重点。だがそれ以上に、最初にもらったこの戦装束最大の特性は、エネルギーの操縦にある。
たとえそれが、一度敵に散らされた力であっても、集結させてその頭上に回り込ませて再起爆させることだってできる。
「最初からこれを、狙っていたのか?」
鳳象は土砂とコンクリート片で姿が見えなくなっていく千明に向けて問う。
だがその視線は、ともすれば自身の頭にさえ落下する恐れさえある天井を仰いでいた。まるで、初めてアミューズメントパークに来て観覧車を見上げる子どものように。
「――素晴らしい。ファンになってしまいそうだ」
そして情緒を噛みしめるように感嘆を漏らす。
そのうえで、その痩躯が切り返されて、別の出口へ向かって歩き出す。
「君の智勇と叛骨に免じ、その黒文の命は一時預け置こう。もとより赤石の遺産にも興味はない。存分に永らえて、自身の性質をこの世に発揮しなさい。そして、またいつか会おうじゃないか」
「会いません。会いたくないです」
にべもなく率直な千明の即答に、濃くなってきた土煙の中から苦笑の気配。
「僕は君との出会いに運命さえ感じているのだがね」
「……どうして?」
「我々はよく似ている。そしてお互いを高め合っている」
どこがだ、そう言いかけたが、鳳象の熱弁が千明の抗弁を遮った。
「さっき僕の話ばかりしていたが、君だってそうだろう? 出会った当初、君は所在なさげで触れれば壊れそうだった。だが僕と語らうことで、君は自身の中に真実を見出し、師父を喝破し僕と対峙できるまでになった」
(……一理ある)
そう言いかけた口をつぐむ。認めても良いことかもしれないが、口にしてはならないことだと、本能的に警鐘が鳴っていた。
「では、またいずれ。再会の暁にはもっと相応しい場を用意させてもらおう」
魔法少女の前から魔拳士の気配が遠のいていく。気が付けば頭上のその部下たちも姿を消していた。
やがてそれが完全に消えてから、ネロの声が聞こえてきて、我に返る。
そして自身もほぼ不意打ち気味に黒文の腕をつかむ。
命の危機が去ったという事実と、人生のすべてを喪ったという自覚が、獣の姿と心を収めた少年の中では今、その二つの重い事実がのしかかっていることだろう。
「ネロ、そのおじいさんの方をお願い」
「はっ? おいっ!」
自身のマエストロに一方的にオーダーを伝えた千明は、少年を小脇に抱えてその場を離脱した。
そして彼女たちが去るまでは、建物はかろうじて総合商業施設としての威容と面目を保ち続けていた。
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