第19話

「よもや巷間を賑わす怪人が赤石の形見とはな」


 流暢な、だが日本語に対する敬意や親しみを微塵も感じさせない冷えた調子で、おそらく頭目であろうその老人は口を開いた。

 脇に控えた鳳象は、変身解除の前に正体に気がついていたのだろうか。相変わらず読めない、穏やかな微笑を称えている。


 老人に、申し訳なさそうに近づいた部下が耳打ちし、彼は返す。

 おそらくは

「申し訳ありません、白泉内記には逃げられました」

「構わん。肝心の少女は抑えた」

 と言ったニュアンスの会話だろう。視線は、千明から外さないままだ。


「白泉から、何を聞いた?」

 そして腰を曲げて顔を近づけて、彼は言った。合図をすることもなく、自発的に背後の構成員たちが千明の背後に回り込み、地に押さえつける。


 身体をねじ切られるような痛みが奔る。

 人体に最大限に効率化された苦痛を与えるような、拘束の仕方をしているのだろう。

 なけなしの治癒とダメージの緩和能力が働いているとはいえ、少女の一身には耐えがたい。千明は悲鳴にならない悲鳴をあげた。


「千明!」

 ネロが声を絞る。だがその肺を強烈な爪で獣は圧迫し、彼女と同様に苦悶を声に出す。


「言え、何を手に入れた? どこに隠した? ロックは? かかっているのか? であればどう解く?」


 矢継ぎ早に質問が飛ぶ。だが千明はそのいずれにも解を与えない。

 黙秘こそが命綱だと分かっている。

 それを秘すからこそ、彼らはまがりなりにも自分を生かしているのだと。


(っていうか、痛くて口を開くどころじゃないんですけど……っ!)


 老人は、酷薄な調子で笑みを浮かべて、顔を近づけた。。


「黙ってれば殺されまい……いや、死にさえしなければおのれの勝利、とでも思っているのか?」


 片手を挙げる。獣は主人の意に従い、足下のネロにさらなる重圧を加え、彼に悲鳴をあげさせた。


「むしろ死を乞わねばならぬほどの苦痛を与えることは、我々の得手とするところだ。お前に限ることではまい。今のように、お前ではなく大切な者に向けることもできる。このままお前の返答如何や反応速度によっては、あの者の臓腑を引きずりだすこともやぶさかではない」


 千明は、何も言わなかった。ネロに対する助命嘆願も。一度でも、折れたら負けだ。


「強がりかね。よろしい、ではこの場から解き放ってやっても良い。だが、君の素性はすでに割れている。つまり、いつでもどこでも仕掛けられるのだよ。ある日、君の知人が不幸かつ理不尽な死を遂げるかもしれない。あるいは、強姦でもされて見ることさえ耐えられぬ廃人と化すか」


 一瞬、対岸鹿乃が脳裏に浮かんだが、表情に出さずその虚像を振り切った。


「自宅が荒らされクレジットや嗜好物、家電類が強奪され、爆弾や盗聴器などが仕掛けられている。通う学校は数百人規模で爆発に巻き込まれるかもしれぬし、行きつけのラーメン屋に立ち寄ろうとした刹那、その場所が炎上してすべて喪われるかもしれない。……安穏な場所などあるとは、ゆめ思わぬことだ」


 それは直裁的かつ乱暴な恐喝だった。だが、今まさに受けている苦痛と彼らの言動を鑑みれば、実効性の伴うものでもあった。

 仮に拒んだとして、彼は言うとおりにネロを斬殺し、自分に関わる全ての事物を破滅させにかかるだろう。必ずやるという意思力を老人の言葉の端々から感じ取っていた。


 であるならば、選択は、返答は一つしか残されていなかった。


「いや、だ」


 老人の顔に、獣の笑みが宿る。

 痛いのは嫌だ。今の時点だって、おそらくは軽い脅しの段階だろうが、それでも限界に近い。

 そしてそれが本格化した暴虐が、自分にまつわるモノに及ぶのはもっと嫌だ。


「そうだろう。嫌だろう」

 老人の双眸に、嗜虐的な優越感が滲む。

 震える手を、精一杯に伸ばす。自身の勝利を確信して寄ってきた老人の足首を掴む。

 嘲笑うかのように、あえて彼女を捕らえた構成員が拘束を解いていた。


「でも」


 赤石千明は震える。

 恐怖はある。痛みもある。だがそれ以上に、怒りがあった。


「ただ脅しのために人を破滅させる……そんな連中に、僕や僕の大切な人たちの命や生活を左右されるのが、一番嫌だ!」


 歯を食いしばり、千明は思い切って手を引いた。

 文字通りに足下を掬われる形で老人は後頭部を打ち、その反動で千明はその場に屹立した。


「日常なんざあんた達にとっくに壊されたっ! でもだからこそ僕はあんた達がそれ以外のものを奪おうとするなら躊躇いなく動く! 友達……かどうかはちょっと自信がない知り合いも! 学校のみんなも、近所のラーメン屋もっ! ……そしてこの街もッ」


 着の身着のまま、魔装を用いず。

 魔法少女としてではなくただの女の子として。

 そう気炎を吐く千明を、血走った目でもって睨み据えながら老人は言った。


「ふん、父親そっくりだな。暗愚の質はたしかに受け継がれているらしい」


 そして目くばせし、暗黙のうちに命じる。

 獣へ対し、その足下の獲物の腹腸を、宣告通りに引きずり出せ、と。


「そもそも言っておくと!」

 それを牽制するかのごとく、千明は獣を指弾した。


「そのペテン師は、大人しくハラワタをくり抜かれるような奴じゃない」


 なに、というニュアンスの響きが、獣の喉奥より漏れ出る。


 瞬間、彼の前肢がタイルを踏み抜いた。

 ネロの身体を粉砕したのではない。粉砕すべきそれが突如として消滅……いやもっと小さな個体へと転換したことによって支えを失ったのだ。


 すなわち、ハロウィンに用いられるような、ネコの人形へと。


 そして次の瞬間、彼の頭上より光の柱が差し込んだ。

 『なっ、なんだ!?』

 それを浴びた獣は、動揺するもみじろぎしない。いや、みじろぎからこそ、動揺した。

 ちょうど、かつてのイグニシアがそうであったように、呪術的な呪縛によって。


 そしてその光の軌道に乗るようにして、装いも新たなネロが飛び蹴りをかます。

 狙うは奇妙な面。輪郭がおぼろげな巨獣のうち、唯一明確な実体を持つ部位。

 落下速度によって倍加したキックの衝撃をまともに受けたその内部より、少年の身体が弾き出されて、獣の身体が霧散する。


 少年の腹部を逆に踏みつける形で着地したネロは、白いインパネスコートを正す

もう一方の手で腰元より抜いた銃、その口を構成員たちに向けて、再び千明を捕らえようとする構成員たちを牽制した。


「おい、仕掛ける前に言うなよ。バレそうでヤバかっただろ」

 そのうえで、千明に向けて苦言を漏らす。

「やっかいましい! ヤバかったのはこっちだよ!? パートナーがゴーモンされてんのに傍観してる奴がどこにいるのさっ!」

「いや、助けてやっただろ」

「誠意の問題だよ誠意の!」


 丁々発止、いつもの口論はしているが、体勢は立て直した。

 老人と、その部下たちが色めき立つが、ネロはそれを、少年の呼吸器系を圧して生じさせた苦悶によって留めさせた。


「おっと動くな。こいつの術はまぁ大体把握した。仮に今気体化されても余裕で対応できる」


 その虚実はともかくとして、相棒の静かな恫喝をもって、均衡は取り戻した。

 問題は、ここからどう自分たちの側へ状況を転がしていくかではあるが……現状、自分たちの秘蔵っ子を質に取られても、『泰山連衡』たちにイニシアチブを譲る気はないらしい。


「鳳象、構わぬ。その娘をやれ」


 老人はこの場における最大の戦力に、吐き捨てるように命じた。

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