第18話

 曹鳳象が、翼を広げた鶴のように飛び上がる。

 その奇妙な姿形が、高度が、速さが、圧が、千明の距離感覚を軽く麻痺させる。


 次の瞬間には、淡麗な東洋人の顔が、それに見合わぬ必殺拳が、眼前に迫っていた。


「くぅっ」


 とっさにかつ自分の見立てに対し過度なまでに伏せる。頭上を通り過ぎた剛拳は、寸毫の開きしかなかった。

 自分当たっていれば、魔力の防壁さえ貫いて、トマトのように頭を潰したことだろう。

 彼女の身代わりとなったコンクリートの柱が、まるで特撮で使うようなスポンジのようの抉られているのがその証明だ。


 猛攻は続く。彼の長い手足が、千変万化の動きで迫る。


 曹鳳象は、技の中に獣を飼っている。

 水鳥が羽ばたくように、推進し、飛翔し、懐に入る。

 虎のごとく爪を立てて、魔風を切り裂き、文字通りの蛇行と、回遊魚のように巻き上げられた風の渦中を泳ぐ。蠍の尾を似せて研ぎ澄まされた刺突は風の壁を食い破ってなお進む。


 それを表情ひとつ変えずに、してのける。

 まさに心技体いずれも完璧な戦士、いやもはや兵器。それこそがこの曹鳳象なのだ。


 それでも、と魔法少女は思う。願いにも祈りにも似た、彼との寸暇の邂逅を想う。希望を抱き、『レンズ』を手の内に転送した。


 それを腰に当てると蒼く光を滾らせ、施設内の破裂したパイプより浄水を吸い上げて彼女を水兵へと変じさせる。


「本当は、こんなことしたくないんでしょう!?」


 姿を変え、己に向け問いかける彼女に対しても、拳士の武練が曇ることはない。

 だが、攻撃方法が一変したことによる、彼自身の戦術の転換、その一分いちぶにも満たない隙を強引に突く形で、千明は斧を地面に叩きつけた。

 亀裂だらけの床から、水が染み出し、飛び出し、彼を拘束するための綱となる。


「えぇとその……魔法的な何かで分かるんです! 貴方の心の声が聞こえてくるんですっ! 本当はこんな……無抵抗の女の子とかおじいさんを殺したり捕まえたりする仕事じゃなくて、自分の信じる正義のために使いたいって……!」


 斧銃をの柄をぎゅっと握りしめて、吼える。

 益体もないことを。バカみたいな科白だと自分でも思っている。あるいはみっともない命乞いに聞こえるのかもしれない。

 だがたとえ姿形も口調も滑稽な道化だったとしても、悩み苦しむ彼に本道を歩ませてあげたい。

 そう打算抜きに真心から訴える。


「正義、か」


 複雑そうに笑う鳳象は、しかしその眼差しを少女にではなく、自信を戒める魔術に向けていた。

 そしてまるで羽虫でも払うかのような手つきで、水の綱をはたくと、小刻みな振動をした末にそれは水蒸気爆発じみた蒸発とともにかき消え、無力化された。


 ……どうして、自分の知る限りではごくごく平凡であったはずのこの世界は、いつの間にやら魔法なる超常かつ未知の技術をたやすく破る人外たちの巣窟となったのか。

 そう問いたいところだったが、今はそんな余裕はない。

 その代わり、彼は続けた。


「そんな大層なものではないよ」

 自嘲めいた呟きとともに、彼は軽く靴底でタイルを叩いた。


 説得の最中にも油断は一切なく、集中は途切れてはいなかった。

 だがそれでも彼女の、曲がりなりにも戦士として守り続けていた万里にも等しい間合いはあっという間に越えられ、詰められた。


 押し広げられた彼の右掌が、千明の腹部に軽く触れた。

 だがそこから発せられる衝撃により、魔の防壁はたやすく貫通され、内臓をわしづかみにされるが如き苦痛が彼女を襲った。


 十メートルを超す距離を飛空し、そのまま突き当りの柱まで至って激突する。

 魔法少女になってから一度たりとも受けたことのない、それこそイグニシアの爆炎さえかくやという腹背への痛み。

 補助生命および魔力リソースは自己修復機能に惜しみなく回され、結果、戦装束の維持が不全となって、元の赤石千明へと戻る。つまりは変身解除である。ただ一度の寸勁のみで。


 そして天井が滑落する。

 辛くも破片は避けることができたが、その拍子に転げる彼女の数歩分置いて横に、異形の二体が落ちてきた。


 狩人を思わせる軍装のネコ人間と、それを前肢の爪で抑えつける黒い巨獣。

 多かれ少なかれその形態が変わっているものの、おそらくはネロとあの黒い少年だろう。


「いったー」


 目の前に迫る獣の牙より打ち付けた後頭部の方が気になるらしく、呑気にネロは当たった部位を撫でさすっていた。


「そうか、そういうからくりであったのか。姑娘お嬢さん


 そんな彼女たちの前に、わざとらしいほどの沓音を鳴らして一人の老人が現れた。

 あっという間に追いついてきた曹鳳象がその傍らに寄り添うのを見ると、彼こそが自分たちを追う組織の一頭目であることは明らかだった。


 ――そして、よりにもよって最も知られたくないその相手に、魔法少女オーバーキルの正体が知られた瞬間だった。

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