第15話

 赤石千明は動揺した。

 そのあまり、学んでもいないロボットダンスの才能に覚醒してギコギコと手足を四方八方へと彷徨わせるほどに。


 まさか、この老人はこちらの正体をいち早く看破したというのか。


「あの、こちらの魔法少女と頭取は旧知であったのですか?」


 認識阻害とやらの効能は、十分に発揮されていることはトランクとチェーンで武装した秘書の、当惑した様子から明らかだった。


「こらこら。お客様のお顔を忘れるものじゃないよ。ついさっき会ったばかりじゃないか」

「…………まさか、赤石千明、様?」

「何やら『見えにくく』なっているようだが、前後の事情と物事の本質を見ていれば、それほど難しい話でもない」


 だが老人から与えられたヒントによって、彼女の幻惑も晴れたようだった。

 老人は言ってから、踊る千明の様子に気がついた。


「あぁ、ひょっとしてコレ、シークレットだったかい? 他人には正体を知られたら、動物にされてしまう的な。……その背後のバードマン君に」


 『鳥男』と例えられた視線の先には、ネコフードの怪人がいた。言うまでもなく、ネロである。

「さすがにネタが古すぎてあんた以外にわかんねぇよ」

 格闘術と銃撃でもって追いすがる敵を難なく蹴散らしながら、ため息をこぼす。


「――爺さん、あんた何者だ? なぜ俺の術が効かなかった?」

「いやなに、長いこと生きているとふしぎな事というのは結構出会うものでね」


 束本と名乗る秘書の警戒を解くため空いた両手を掲げながら、ネロの方こそが疑念とともに問いかける。

 だが白髪の地方銀行の主は、理智の光をたたえた瞳を、静かに細めるのみだった。


「しかしこんな老いぼれのことよりも、解決しなければ案件は目の前に山積しているのではないかね?」

「――たしかに、腹立たしいがな」


 そう言ってネロはジャックオランタンのようなマスクをぐるりと、ロボットダンス中の千明に向けて傾けた。


「いつまでもパニクってんじゃねぇ。言い出しっぺがまず血路を開け」

「え、あ、うん。ハイ」


 なんだか物騒な言い回しに促されるまま、千明は集団の先頭に立ってふたたび商業スペースの通路に出た。


「……まぁ互いの事情はともかく、協調するしかなさそうですね。私も身軽になりましょう」


 束本がその背後で言って、一見しても生地の良さそうなスーツの上着をためらいなく脱ぎ捨てて店内に投棄した。そして自分の上司の足下に屈むと、慣れた手つきでトランクケースを、車椅子の車輪の後ろへと押しやった。


 老人はその一部始終を静かに見守りながら、やがてゆったりと口を開いた。


「……束本くん、人をアイテムBOX代わりにするのはやめてくれんかね」


 ・・・・・


 先行して千明の足下で、高速の摩擦音が爆ぜる。

 だが射角的には、それは上層から撃たれたものだ。物陰に、上の階の手すりに射手がいる。

 そう判断した千明は顔を上げ、そしてその想像を超える角度と高みにいるそれを目の当たりにして、言葉を失った。


 人が、彼女らの頭上に滞空している。

 ゴーグルをつけた飛行士然とした格好をしていた西洋人は、死刑囚に用いるような鉄錆びた色合いの、電気椅子のような座席に腰掛け、両手に操縦桿を握りしめている。そしてその脇を機関銃めいたもので武装している。

 彼を浮遊もしくは飛翔たらしめているのはその頭上に伸びて空をかき混ぜる三セットのプロペラだ。

 

 ヘリコプターを外装だけ取り払ったかのような、あえて造語を作るのなら人間ドローンと言いたいような……そしてゴーグルで感情を隠して飛行するさまを動物に例えるなら『トンボ』であった。


 その同型機が二機、三機と銃で天窓を撃ち破りながら、羽音を響かせ続いて下降してくる。


「うわぁー! なんか読者公募企画で採用された少年漫画の雑魚キャラみたいなのが出てきたーァ!?」

「例えが冗長な上にヘッタクソだな! でも俺、あいつらの装備、サイコーに頭悪過ぎて嫌いじゃねぇよ!?」


 そりゃいかにも君ごのみでしょうよ。テンション爆上げではしゃぐネロに内心でこぼしながら、魔法少女は鉄杖を突き出す。


 噴出された突風が障壁となって彼らの弾幕を遮っていく。

 だが彼ら自身は大きくプロペラを旋回させながらにわかに生じた乱気流を泳ぐように難なくかいくぐっていく。

 ――というか自分たちの銃砲の反動でまずバランスを崩してもおかしくないはずなのだが、もはやそんな些細なツッコミを入れることさえ無粋だった。


 そして、彼らが割った天窓から、一個の細長な影が、まるで爆弾のように投下された。オブジェの頂点に、奇跡的なバランスをもって着地した。

 ひとりの人間が。ついさっき見知ったその男、曹鳳象が。

 戦地とはほど遠い穏やかな瞳で眼下の多種多様な相手を見澄まし、そして軽く一礼を手向ける。

 その眼差しが、一瞬千明を捉えたような気がした。


(でもなんで、どうやって?)

 見る限り、彼の背にはジェットパックの類はない。スーツのまま、身ひとつ。

 それで、どうやってあの高さに到達したというのか。


 ――崩落する高層建造物の壁を、わけがない。


「うう……」

 あの優しそうな彼のことを、自分が会った中でもっともマトモだと思っていた男を、皆が敵だと認識していた。

 そしてあらためてその事実を、超人的な彼の立ち姿を前にした時、千明は思わず後ずさった。


 壁についた手の先が、ふと違和感を覚えた。

 まるで指先に辛子が付いたかのように、微小な、だが確実な刺激。

 ふと壁を見ると、クリーム色のその壁に、絵が描かれていた。

 墨絵というべきだろうか。黒一色の濃淡だけで表した、『獅子』の顔。


 なんの変哲もない壁に唐突に描かれてるためか、異物感さえ覚えるほどの強烈な印象である。

 まるで本当に生きているように、そしてこちらを見つめ返していた。


「おい、あの男は陽動のつもりか?」


 ネロがふと、要領を得ない独語をこぼした。

 かと思いきや、おもむろに千明の身柄を突き飛ばし、彼女のいた位置に我が身を割り込ませた。


 瞬間、その絵が奥行きを得て立体となった。

 爪が、牙が、ネロを襲う。その急襲を巧みに凌いだネロの手砲には、長細いひし形の短刀が数本突き立っていた。爪牙に扮していたのは、それだった。

 たしか鏢とかいう、ゲームにもよく出てくる暗器だったか。


 実体を持った墨絵は、一度球形となってから炭酸の抜けるような音とともに霧散した。

 その中から現れたのは、いや『墨』に化けていたのは、自分と同じような背格好の少年だった。

 肌は白い。だが髪は黒く、瞳も黒い。

 モノトーンといった調子の彼だが、こちらに対する明確な殺意だけが、その中で『色』を成している。


(なに、この子)

 それらを五感六感で受け止めて、千明はぶるりと身を震わせた。


「ほら見ろ、やっぱコイツは俺の領分だ」

 短刀を引き抜いて体勢を立て直したネロは、即席チームメンバーを庇いつつ、少年の前に再度立ち塞がった。


 彼の宣うとおり、おそらくこの少年は魔術的な領域に位置する存在だ。

 ほかに相手をした連中も、というか現在進行形で取り巻く輩もたいがい人外の者らだが、この黒い少年はそれとは明らかに毛並みが違っている。

 これはネロやイグニシア……あるいは千明じぶんと同義ならずとも類義の異能者。

 この世のありようを歪める生物だ。


 階下には超人的な身体能力を持つマフィア。

 宙を人体ドローンが旋回し、さらにその上には人間兵器。


「……これ、何個ドモエ?」

 だんだんと感覚がマヒしてきた千明は、若干空気の読めないジョークを飛ばす。

「さぁな、少なくとも三つ巴だろうよ」

 そんな千明の質問にマジメくさってネロが答えた。


「ここは俺が食い止める。結集したところで悪いが、もう一度散ったほうが良さそうだぜ?」

「……そうですね。ここまで状況が混沌としてきたのなら、お互いの持ち場で最善を尽くすのが吉かと」


 魔少年と見合ったままのネロの提言に、束本が賛意を示す。老人は静かにうなずき、千明としても、半ば流されるかたちでそれを受け入れるほかない。


「えっと、どこかで落ち合ったりとか」

「落ち合う必要なんてないさ」


 千明のせめてもの懸念を、ネロは蹴った。


はもう、もらってるんだからな」


 うそぶいた彼は、

「行け」

 と静かに、かつ全員の耳に届くように檄を飛ばす。


 鶴の一声ならぬ、ネコの一鳴。

 ネロは墨絵の少年と対峙したまま留まり、内記頭取を伴って束本は構成員相手に突破口を開く。

 そして上天に陣取る怪人たちの大部分を、損な役回りながらも魔法少女が受け持つべく、今度こそ手すりを乗り越えて千明は飛翔した。

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