第13話

 息をついて曹鳳象は粉砕した柱の断面からから手を外す。黒文がその背後に


「師兄、イタリア人たちの航空戦力を無力化しました。ただし、その機内からいくつかの分隊が離脱。建造物内部に屋上より侵入しました」

「見てたよ。相変わらず能力に関しては組織において右に出る者はいない」

「とんでもない」


 謙遜ではなく苦笑で、文は風が吹けば全壊しそうな建物を見た。


「貴方のほうがよっぽど人外じみて……いや! 技が神域に達してます。おおよそ人の行き着く段階じゃないですよ」

「そうかな」


 鳳象もまた自身を持つどころか気重げに息を吐いた。


「こんなものは、誇るに値しない。抵抗できない大振りの存在に、渾身の力を打ち込むなど、木人を相手にするより愚劣だ。相手が生物であれば、あんな隙だらけの所作など許してはくれないだろうに」

「俺が言いたいのは武術の理屈ではなくもっと単純かつ物理的な話であって……まぁ良いですけど」


 何か別の点を指摘したい様子ではあったが、自分たちの間では修正しがたい齟齬が生じてしまっているのだろう。諦めたうえで、心配そうな顔をしていた。


「それよりも……本当に大丈夫ですか? ずっと、思い煩われています」


 鳳象は淡く笑ってみせた。


「君は、優しいね」


 そう言って頭を撫でつけ、それから笑みの裏にあるものを汲み取られないように背を向けた。


「だが我が拳にすでに曇りはない。我々も突入しよう。これが師父の最後の戦いとなる」


 ・・・・・


 ショッピングモールが、突如として自壊を始めていた。

 千明の脳裏を掠めたのは、アメリカのニュースとかでよく見る、ビルの爆破解体の光景だった。


 計算された必要なだけの火力によって建造物に負荷を与え、後は自重で自身を畳んでいく映像。

 だがこれが、自分たちの邂逅を狙った奇襲であることは、タイミングからして明らかだ。


 良くてせいぜい銃器を持ったマフィアが乱入してくる程度だと踏んでいた千明は、まさかここまで強硬な手段に出てくるなど思ってさえいなかった。


 それは浄都銀行の人たちも同様であったらしい。

 驚きを隠せない様子で、一帯を見まわしていた。


「曹鳳象か」


 そのうち老人が、虚空に問いか、あるいは推論を投げ、そして嘆いて見せた。


「お互いに歳を取ったね、黄大人。判断力より老いからくる焦りが勝つようになってきた。を起用してくるとは……もう、この灯浄の灯が落ちるか」


 なかなかに物騒なことを口走る老人は、それでも瞳に理性と温和さを滲ませて細め、そして千明を見た。


「千明お嬢さん、永燈の約束を果たしたいところだが、そうもいかなくなった。よろしければ後日落ち合おう。それまで、君のお父さんからの贈り物はもう少し預からせてくれるかな?」

「……は、はい……」

「いいかい、できるだけ誰かと、多くの人間一緒に逃げるんだ。別の服を持ってきているようなら途中でトイレに駆け込むなりして着替えるといい。もし捕まったら、素直に荷物を見せるように。命までは取られないだろう」

「わかりました!」


 噛んで含めるような老人の忠告に、千明はしゃんと背を伸ばして答えた。


「それじゃお言葉に甘えますっ! おじいさんもどうかお気をつけて!」


 勢いよく言った千明は、反転し、全速力で駆け去った。


「なぁ、束本くん」

「なんでしょうか」

「私の言い方が悪かったのだろうか。どうにもエスカレーターを逆走して上っていっているように見えるのだが」

「……さぁ」


 釈然としていなさそうな、老人たちの会話を背に受けながら。


 ・・・・・


 もはや電源が落ちて用をなさなくなったエスカレーターを登り切り、あらためて地表を見下ろす。

 吹き抜けのエリア、最下層には千明と同様に人の流れに逆らって、いや縫うようにして、数人単位に別れた人影が蛇行しつつ老人たちのもとへと向かいつつあった。

 まだ老人がそれに気づいた様子はない。千明は意を決し、固めた呼気を喉へと押しやった。


「お前、逃げる気ねぇな」

 リュックの中から、ネロが問い質す。


「逃げる気はあるよ。コレ、そういうためのものでしょ?」

 答えを返し、問い返し、千明は虚空に手をかざした。

 次の瞬間、その手にはバルブハンドルのついた鉄の棒が握られていた。


 空を滑り、風の力を得るための、ネロ謹製のマジックアイテム。

 何故これを呼び出せるかと聞かれても、それができる千明には答えようがない。散々使っていてもPCのスペックや構造について知らないように。逆上がりができるようになった子どもに「何故できるのか?」と尋ねても答えることができないように。


「言っておくがそれは、使仕様外だからな」


 まるで薬の用法用量を説明する薬剤師のような調子で、釘を刺してくる。

 だがそれはもはや、千明の決意を揺るがすには至らなかった。


「――もしかしなくても、だけど。これ、あのお兄さんの仕業なんだよね」

 崩落する天井が、千明の眼前を、吹き抜けを通過していく。幸いそれは、起動がそれで柱にぶつかったに過ぎなかった。


「あのシライズミとかいう爺さん、曹鳳象って名前出したろ。そいつは大陸マフィア『泰山連衡』の最強戦力の名だ。お前の予想どおり、それがヤツなんだろうさ」

 言外にネロは「絶対に交戦するな」と警告しているような気がした。

 たしかに彼は、その異常な力量をこの場にいる誰よりも早く察知したのかもしれない。それでも、曹鳳象という男の中身までは知っていない。


「なんとかなるかもしれないよ」

 彼は悩んでいた。思い煩っていた。

 初志、あるいは彼なりの信念や正義といったものと、周囲を取り巻く現実との板挟みで。

 短い交流ではあったが、最後に彼が導きだした答えが、自分たちにとって善きものだと、あの柔らかな微笑を想えば信じられるはずだった。


「はぁ、仕方ねぇな」

 リュックの重量がグンと増した。内側から開かれ、這い出てきたのは黒ネコのぬいぐるみではなく、金髪碧眼の美少年だった。


「まぁあいつのほかにも、ちょっとお前の手には余りそうな奴がいてな。どうやらそっちは俺の領分っぽいから、受け持ってやる。クライアント様の方針だ。追加出費の負担は惜しまん」


 相変わらず情報を小出しにしかしない秘密主義のせいで、言いたいことの要領は掴めないままだが、それでも賛意は得られたということだろう。


 ゆっくり起き上がる彼に頷き、千明はハンドルを回す。

 列をなして前方に現れた光の列に足を向けて一気に駆けだした。

 風の層が少女を覆い、その髪色を紫に、服装をツナギめいた戦装束に変化していく。

 そして手すりを踏み越え、吹き抜けから下層に殺到しつつある敵中目がけて一息に飛び降りる!


 ――というのが理想の運びではあったが、華麗なヒーロー着地ランディングを決められる自信がないので、というか普通に怖いので、身を翻し、上ってきたエスカレーターをえっちらおっちらと戻り始めた。


「締まらねぇなぁ……」

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