第9話

「どうもありがとう。ここまでで結構です」


 その黒髪の東洋人に案内を頼まれた千明だったが、カップル御用達のフードエリアになど土地勘などあろうはずもなく、迷いに迷っていた。そして今、かえって気遣われてしまった。


「うううう……すみません、ご期待に添えず」

「いえいえ、とんでもありませんよ」


 物腰の柔らかな男の人だった。

 萎縮する千明をゆったりと、かつ流暢な日本語で宥めすかした。だが千明はその優しさゆえに、ますます小動物的に縮こまるばかりだ。

 せめてもの義理立てとして、彼の探しているというアイスクリーム屋ではなく、案内板を頼りに、誰もがよく知る全国チェーン店まで連れてきたのだが。


「でも、どこにあるんでしょうね。その『バスキンロビンス』って」

「いえいえ、ここで大丈夫ですよ」

「え、でもここはサーティーワ…………ウッソだろ!?」


 ――赤石千明。このチェーン店のフレーバーに慣れ親しんで十数年。

 あらためて、ポップなカラーリングの看板の正式名称を読み上げて初めて知る衝撃の真実であった。


 驚き立ちすくむ千明に、男は苦笑した。

「ニッポンというのは面白い国ですね。ありとあらゆる文化を取り入れながら、独自の色に塗り替えてしまう。国際色に取り込まれながらも、ナショナリズムとはまた違う、表現のしようのない爪痕をどこかしらに残す」

 褒めているのか皮肉を言っているのかわからない言い回しをする彼に、千明は言葉に窮した。初対面の、しかも素性の知れない相手に、数少ない会話デッキを切り回すほかなかった。


「え、えーと……日本語オジョウズですね? ここへは観光へ?」


 むしろ自身のほうが不自由な言葉遣いで問い質すと、すかさず男は答えた。


「もうずいぶん滞在していますが、こういうところに出るのは初めてなものでして」

「あ、じゃあ普段はお仕事か何かで忙しいとか?」

「仕事……まぁ、そうですね。というよりも、生き方そのものだったと言って良かったんですがね」


 妙にしこりを残す言い回しで、その唇に苦みのようなものが差す。

 その反応が、気まずい沈黙を生んでいることに気が付いたらしい。ハッと息を呑んだ彼は、ことさらに明るく手を振った。


「失礼。あまり踏み込んだことを初対面の方に言うべきではありませんでしたね」

「い、いえいえいえ」

「それじゃ、もう行きます。あえて嬉しかったですよ」


 親しげに別れを告げた彼は、そのまま店内の列にごく自然に並び、そして溶け込んだ。

 その様子を見届けてから、千明は


「……よし、ちゃんと話せるようになってきたな……!」


 などと、自身のコミュニケーション能力の上達を、実感として噛みしめていた。


・・・・・


 ネロの前に現れたのは、彼や千明と年頃を同じくする若者だった。

 男か女か判別のつかないほどに細い腰に、東洋系でありながら、俗世離れした端正な顔立ちは女仙を想わせる。

 何より特徴的なのは、その髪と瞳の黒さであろう。

 混じり気のない黒さではあるが、奇妙なことに、照り返す光沢には確かな『色』を感じさせた。吸い込まれそうな妖しさを持っていた。

 いかな画材を駆使しても、これほどの『黒』は生み出せまい。芸術家ではなくあくまで職人に過ぎないネロではあるが、美的感覚をなんともくすぐられる。


 その瞳が、ネロの碧眼を覗き込む。ほっそりとした指先を伸ばす。


(なんだ、こいつ?)


 ネロは当惑した。戸惑いながらも、微塵も動かない。それは容易なことだった。何しろネコの身体はあくまでアバターに過ぎない。視覚だけを残してあとの操作はカットすれば良いだけの話だ。


 そして彼の戸惑いの理由は、その美貌ゆえではない。

 指先から微かに感じる刺激。静電気や熱ではないが。臭いを感じるわけでもない。だがそれに類するもの。慣れ親しんだ、感覚。


(……魔力……?)


 いや、違うと即座に彼は否定する。

 もっと遡った場所に位置する流れ。生と霊気、命と魔、それが明確に分岐する前の、根源的な力の迸りだった。


 あるいは彼もしくは彼女も、自分に似たものを感じたのかもしれない。故にこそ側の荷物ではなく、ただのぬいぐるみにしか過ぎないはずのネロ自体に興味を持ったとも考えられる。


 だが警戒もまたしていたらしい。直には触れようとはせず、すぐに引っ込んで踵を返した。


 なんだったんだ、と思いながらもネロは過度の詮索はしない。すでにあの黒いののみならず、魔はこのモールに無数にひしめいているのだから。


 だが目前の存在に気を取られ、一時千明の存在を見失っていた。再度彼女の位置を掴むが、平穏無事のようだ。


「目を離してた間に、妙なもんと接触していないと良いけどな」


 ネロはそうぼやいて嘆息する。

 これでは専属技師というよりかは、保護者の気分だ。


 ・・・・・


 男が、少年に近づいていた。

 チョコレートとオレンジソルベ。二種類のフレーバーをコーンに一つずつ載せて所定の待機場所へと足を速めていた。

 棟と棟の中間地点。屋外テラスのベンチへ、足音を抑え気配を殺しながら。

 通りすがる人々に、気温でいい感じの柔らかさになったアイスや、彼自身の肌や衣服が触れることはない。行き交う客も、まるで彼が見えないように、かつ無意識に彼を避けるかのように、すり抜けていった。


 ――決して触れてはならないと、彼らの内でなけなしの直感が警告している。

 ――見るな、と生物的な本能が告げている。


 傍から見ていると少年には、そうとしか思えなかった。

 彼も反射的に立ち上がってしまった。、特別な力もない人間であるはずの、その拳士へと。


「師兄、お待ちしてました。……あの、それは?」

「お土産だ。開始まで時間があるし、一緒に食べようか? ヘイウェン


 畏敬とともに歓待した少年に、男は……『泰山連衡』筆頭幹部、ツァオフォンシャンは常と変わらぬ微笑を称えながら、チョコレートアイスを差し出した。

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