第8話
果たして、銀行サイドからのリアクションは日を置かずしてあった。
他人には知られていないはずの電話番号に束本を名乗る女性から連絡がかかり、「お問い合わせの件につきましてかくかくしかじか」と、事務的な態度で、一方的に通達する。
ただでさえ他人からは滅多にお呼びがかかることのない千明はしどろもどろになって、もはや携帯ゲーム機と化した端末越しに相槌を打ったが、通話が終わった後はスッパリとその用向きが抜け落ちていた。
それも見越してそば近くで耳をそば立てていたネロが代わりに内容をまとめて説明した。
「俺らの読み通り、お前のオヤジは表向きの遺産とは別の何かを銀行に預けていた。そして、お前が成人するか、あるいはその存在に気づいて自分から確認しにくるか。そのいずれかがスイッチとなっていたようだ。今回の場合は後者に当たるわけだ。で、強盗の一件もあって銀行でそれを受け渡しをするわけにはいかないから、直接頭取と待ち合わせのうえ取りに来い、とさ」
その面会場所というのが、灯湾ユートピア。
千明の家から一駅分ほど離れたショッピングモールだった。
地上六階建、地下二フロアの東西のブースに分かれ、西側のブースからは客船が往来する港湾の様子が一望できる。
東棟の一階から三階までは国内外のファッションブランド店がひしめき、四回は生活用品や家電。西棟はちょっとしたテーマパークとレストラン街となっている。当然のことながらオーシャンビューであるがために、デートスポットとしても有名だった。
もっとも、恋愛模様に熱を上げる若者たちの有様とは縁遠い千明がここに来る日常の用事と言えば、その上の階層のゲームセンターで音ゲーを死んだ目つきと熟練の指捌きでこなしていくことぐらいだが。
そんな千明も、今日はさすがにめかしこんでいる。というよりも、変装をしている。普段は履かないスリムタイプのジーンズに、バンドマンっぽいシャツに野球帽。背の高さの特定の部位における脂肪の乏しさゆえに、少年っぽくも見られるだろう。
だが性別を偽るほど装う覚悟は要るだろう。何しろ、核心が今そこまで来ている。
落ち合うポイントである東棟五階の手前、そこで所在なく千明は彷徨っていた。
「……まだ時間があるな。どうする?」
「えーと、上の本屋寄っていい?」
「また場末の床屋みたいなラインナップのビミョーなマンガ増やすのか?」
「……君ってば僕をディスる言葉には事欠かないよね、っていうか異世界人がなんで場末の床屋の本棚事情を知ってるんですかね」
例のごとくリュックサックに納まっているネロの、無自覚な毒舌にもいい加減に辟易しながら答える。
そもそも、実のところはそこまで急を要する用など本屋にはない。ただ、時間を潰していないとどうにかなってしまいそうなほどに、緊張をしていた。
プリンの一匙、紅茶の一滴さえ喉が通らないからカフェにも行けず、かといって過去、家族の因縁の清算を前にゲームセンターというのもどうかと思った。
落ち着いた妥協点というのが、本屋という選択だった。
その辺りを汲み取ったのかそうでないのか、ネロは嘆息を背越しにこぼし、
「じゃあ、荷物見といてやるから適当に冷やかしに行ってこいよ」
と申し出る。
(いや、君ごと置き引きに遭うかインフォメーションセンターに持ってかれるんじゃ)
千明はチラリと懸念したが、しっかり度合いで言えば自分よりネロの方がはるかに勝ることを思い出した。
マスコットの方が自分より優秀なことに多少複雑な心境だが、千明はその好意に甘えることにした。
「やぁお嬢さん、ちょっと店の場所が分からなくて、案内お願いできますか?」
……黒髪の外国人ににわかに声をかけられたのは、ネロと別れてすぐのことだった。
・・・・・
(上のフロアに不審な外国人が二名。別方向にアカシヤのビルで見たのが三名。出入り口にずっと居座り続けるのがふたり。多分私服警官かな。この様子だと他のゲートも同様か。レストランの案内にはあのチャラいイタリアンの系列店。まぁ十中八九詰所として使われてるだろうな)
エスカレーターと吹き抜けの脇に設置されたベンチ。リュックから這い出たネロは、そこで見える範疇での勢力分析を行っていた。
千明に単独行動を許していいのか、という懸念はあったが、イグニシアによる強奪を反省し、変身ツールは千明とパスを繋げ直してある。彼女が望めばすぐにツールは転送され、オーバーキルへと変身できるように処理されている。
「あの、直接ノーモーションで変身できるようにしちゃダメなんです?」
などというロマンのない抗議は黙殺した。
そもそも、この段に至って千明を直接狙いに来るとも思えない。
いずれの勢力であったとしても、狙うのであれば、銀行と永燈の契約が履行された後、すなわちモノが千明に受け渡された、そのタイミングだろう。
万が一銀行に露見しても、約束が果たされた以上はある程度彼らのメンツは保たれるだろうし、仮に強引に銀行や千明のどちらかを襲っても品物に何らかのロックがかかっていては無駄足に終わる。
それよりも緊張感はあっても危機感ゼロな千明を泳がせていた方が、いちいちそれに反応して動きを見せる連中がいて炙り出しやすいというものだ。
「まぁ、俺も俺で警備員さんに持ってかれんように『出る』か……ん?」
独りごちるネロは数歩先の気配に気がつくと、口を閉ざした。
警備員のそれではない軽やかな足音が、ネロとその荷物の手前で止まった。
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