第4話

 灯浄キャッスルホテル、10F。

 市役所の前にあるホテル内のレストランは、海外から進出した本格の一流イタリアンだった。


 その奥の席に、一組の妙な取り合わせの男女が通された。

 片や壮年真っ只中の男で、もう一方は年端もいかない高校生か、大学生ぐらいの少女だった。

 ほかの客はその来店から奥間へ通される過程を、疑るような目で盗み見ていた。

 両者の関係はなんなのか。

 金持ちが道楽で若い女でも買ったか。パパ活か。それとも正真正銘の、親子か。


 その視線に若干の居心地の悪さをおぼえながら、出された料理の前で少女……赤石千明は委縮していた。


「どうした、お前から誘ったんだぞ」

「ええとその……まさかホントに来てくれるとは思いませんで」

「まぁ……これといって緊急に予定もないしな」

「それにこんな場所だなんて思わなくて。来たことあんまなくて、こういうとこ」

「アニ……兄さんさんたちは?」

「食事自体、揃うことがあんまりなくて」

「じゃあこれ自体貴重な時間ってわけだ。ほら、遠慮するな」


 正面の叔父に促され、あわててストゥッキーノのスープと生ハムのアスパラ巻きを口に運んでいく。しかしあまりに急いたために喉に詰まらせ、スープの残りと水とで強引に流し込み、むせる。せっかくそれなりに着飾っていても、そういう不作法が台無しだ。


〈お前、仮にもセレブのくせに食い方に品位ってもんが……むぎゅ〉


 バッグにしまわれたネロを上から押さえつけて黙らせ、その過程で呼吸を整えていく。最近会ってなかった相手というのもあるが、それ以上に自分の両親を殺し、そして今なお殺人計画を自分に向けて実行中の相手と対面しているのだ。

 多少の狼狽と緊張は無理らしからぬと見逃してもらいたいものだ。


「ええと……本日は、オヒガラもよろしくて」

「曇ってるけどな」


 あぅ、と声が自分でも意図せず萌え声じみた嘆きが漏れる。

 たしかに叔父、赤石永秀の指摘通り、見晴らしのいいはずの灯浄の外観はあいにくの天候不良に見舞われていた。


 永秀は少女の一挙一動にそれほど気にかけることはせず、前菜のキャビアをスプーンですくってそのまま食べ、カプレーゼをフォークで刺して口に入れていく。

 その過程で、彼は眉をしかめた。


「ど、どうしたの?」

「なんでもない」


 という割には彼は露骨に不機嫌になった。

 というよりもここに食事に誘って待ち合わせて以降、ずっとこの調子だ。心ここにあらずというか、心底疲れ切っているというか。

 それに心なしか、この街で迎えてもらった時よりもやつれている気がする。


(やっぱり、社長業って大変なのかなぁ)

 などと、他人事のように同情する。


「さっきからなんなんだ?」

「いや大したことじゃないんだけどさ。マナーきれいだなって」

 そんな彼の慰めの一助になればと……そして詮索から逃れ、かつ自分は本題を吹っ掛けるための足掛かりとすべく、何気ない会話を織り交ぜていく。

 だが、実際永秀の食器捌きは流れるような手つきではあった。


「これでも身に着けるのに苦労したんだ。四十の手習いでな。工場やってた頃は二五〇円ぽっちの弁当を工員と囲んで、こいつのカツは一切れ足りないとか、サラダにハムが入ってないだとか、今思えば馬鹿らしくなるような騒ぎで」


 そう言いかけた永秀の唇が、吊り上がりかけていびつに固まった。

 まるで何か、古くなったまずいものでもふいに口に入れてしまったかのように、苦い顔で奥歯を噛みしめている。


「……悪い、こんなレストランでするような話じゃなかった」

「あ、全然全然大丈夫デス……」

「お前のほうはどうだ? 夏休み、だったか? 学生は」

「あ、うん」


 問われるがままに、千明はうなずく。

 那須とアンチョビのホットサラダを食べ、次に運ばれてきたパスタをフォークで巻いていく。

 その銀食器の反射で自分の目に険が宿っていないか確かめつつ、唇を薄く開いた。


「だから遊びに行くための軍資金を引き出すためにこの間銀行に行ったんだけどさ」


 銀行。その言葉を極力、彼女としては必死にさりげなく織り交ぜたはずだった。

 だが、


 ――ガシャリ、と音がする。


 相手の反応は、劇的だった。

 フォークに巻きかけたパスタを皿の上に放り出して俯き、ただテーブルクロスをじっと睨んだまま、


「どこの銀行だ?」

 叔父は今まで聞いたこともないような、低い声で脅すように問いを投げ返す。


「えっと、そりゃ浄都の本店……」

「いつだ?」

「昨日、だけど」

「そこで何を見た?」

「何って」


 千明はちら、とカバンに視線を送る。


〈強盗を見た、と言っていい。逆にそこで嘘をつくと怪しまれる〉


 ショルダーバッグの中のアドバイザーは、彼女の無言の問いかけに応じて頭の中に直接助言を流した。

 それに従い、自身をスピーカーだと言い聞かせて千明は答えた。


「そうそう! 実は入れ違いで強盗に襲われたみたいでさ。会って話したかったってのはそのこともあったんだよ。近頃身の回りが物騒だし、このまま同じ場所に預けておいていいのかなー……なんて?」


 少しばかり説明不足かなと思われる箇所にアドリブを入れてしまった。ひょっとしたら逆効果かとも思ったが、どうやら叔父の意識はそこにまでは向かなかったようだ。

 沈思。やがて穏やかな表情で眼を細め、フォークを拾いなおした。

「そうか」

 その矢先に、タイミングを見計らっていたかのように、メインディッシュとなるポワレが配膳された。


「声を荒げて悪かったな。俺も、その件があったって今朝聞いて、お前にはちゃんと無事だったのか確かめておきたかったんだよ」


 そうにこやかに語り掛ける裏で、


〈嘘だな〉

 とネロは断じた。

〈今朝知ったのならその時点で連絡があっていいはずだ〉


 千明もその通りだとは思っているが、あえて言及せず黙っていた。

 代わりに、


「お金の件で、他にもちゃんと言っておきたいことがあってさ」

 と、自分の言葉で切り出す。


「ありがと。この学費とかいろいろお世話してくれて」

 意外そうに永秀は瞳を丸めた。

「けどなんで、僕の希望校に進ませてくれたの?」

「なんでって、それは」


 永秀は露骨に口ごもった。

 殺すため? それを踏まえて手元に置いておきたかったから?

 そういう疑念の眼差しでそれとなく様子を見守っていた千明に、叔父は答えた。


「――お前の父親の、最期の願いだったからだ」

 そんな、意外な答弁でもって。


「あの人は言っていたよ。自分たちの都合で今までさんざん振り回してきたから、せめてこれぐらいは希望を叶えてやりたい。美しいこの街を見てもらいたいってな。もちろん俺は兄さんにはなれないから、やれることは多くはないが……それでも、出来ることはしたい、と思う」


 それは本音か。それとも建前か。

 千明には前者に思えた。ネロは即答を避けた。つまりは、そこには虚飾の気配は感じられないということだろう。

 その控えめな胸に去来したのは、奇妙な後ろめたさだった。ネロの弁を信じるのなら、いやほぼ確実に、彼は仇であり、敵なのだろう。

 それでも、今もってなお、千明には叔父を憎み切れずにいた。


 その後は和やかな雰囲気を表面上は保ちながらもどこかよそよそしく、ピアットのフォアグラやドルチェのジェラートは味の良し悪しも分からない。

 残された家族としての団欒は、ただバランスの考えられた栄養素として取り入れる作業に終始したのみだった。


 しかし一方で、

(親戚の叔父さんと一対一の時って、フツーもこんな気まずいもんじゃないかな)

 千明はそんなことを、漫然とした食事の中で考えてもいた。

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