第3話

 永秀はあの日から、決まってみるのは悪夢となった。

 あくまで夢。されどもそれは過去に現実に起こったこと、引き起こしたことだった。


「……すまないな、わざわざ」

 少し疲れたように言う兄の夢。

 永燈の背の向こう側に、彼の家族がいる。

 いつ見ても気品ただよう美しい妻。その美貌を引き継いで良い年ごろに至った娘。


「これ、少ないが足しにしてくれ。……もう少し自由が利くようになったら、工場の件は必ずなんとかする」

「――考え直す気はないのかよ」

「……」

「『やっぱやめた』。そう一言口にすりゃ、親父だって機嫌を直すし、みんなハッピーになるんだ。家族にだって余計な迷惑かけずに済むんだぞ。……絶縁状態の俺には関係ないがな」

「悪いが、そうはいかない」

「どうして?」

「あの娘は……今まで僕らのワガママを聞いてもらっていた。よく知りもしない家の事情、街の状況のために。そんな娘も、もう来年には高校だ。灯浄の学校に通いたいと言っていてね。せめて彼女には、あんな歪な黄金都市ではなく、美しい故郷であって欲しいと思う」

「……」

「僕に何かあったら、あとは頼む」


 それが兄の最後の頼み。最後の笑顔。最後に交わした言葉だった。


 夢の中で、時は前後する。


「今さら何の用だよ、親父」

「お前、永燈の車を見てやってるそうだな」

「あぁ、どこかの誰かさんのせいで、満足に車検にも出せねぇとさ」

「ではその危惧を現実のものとしてやれ、お前が」

「……正気で言ってんのか」

「安心しろ、お前が事前に接触していたことはどの記録にも載らん」

「冗談じゃねぇ! 縁切っておいて体よくヒットマンに仕立てようってのか!?」

「お前が勝手に出て行っただけだ」

「そうかよ、相変わらず親子の情ってのはねぇみたいだな。下手すりゃ自分の孫まで死ぬことになるんだぞ?」

「我々が殺すのではない。あれの愚かさが、自分の家族を殺すのだ。……永燈め、身を退いてやったとたんに血迷いおって」


「親子の情というのであれば、おぉそうだ。お前の工場の件、資金援助をしてやらんでもないぞ」

「……!」

「融資の件も銀行側に通してもやろう。舵取りは儂がやるが、社長の椅子も味わわせてやる。だが儂は気分屋でな。明日には気持ちが変わるかもしれんが」

「……ンな話を信じろっていうのか」

「儂は拒絶はしたがお前に嘘をついたことなどない。決断するのはお前の勝手だ。……選べ。兄にその場しのぎの慰めの言葉と小遣いで延々都合よく扱われ続けるか。それとも自分に手で命運を切り開くか。まぁお前はともかく、お前の会社にはそれほど時間がないかと思うがな」


 そこからどう決断したか。その結果に何が起こったか。あえて想起するまでもない。

 見ていなかったその瞬間を補填することなく、次の場面に悪夢は飛ぶ。


「……やはり、お兄様たちの死がよほどショックだったのでしょうね……あれから見る見るうちに弱ってしまって」

「仲違いする前はとても仲が良かったですもの」

「特に脚から来ますからね。そんな自分を認めたくはなかったのでしょう。無理に階段を使おうとして足を踏み外して、そのまま……」

「手は尽くしましたが、どうにも今夜が……しきりに永秀さんの名前を口にしています。せめて最後は……」


「会長……会長…………親父」

「うう……な、が……」

「あぁ、ここにいるよ親父……俺は……俺はどうすりゃ良いんだ、なぁ親」

「なが、と」

「…………は?」


「永燈、すまなかった。永燈、戻ってきてくれぇ……永秀は、あいつは駄目だ。まるで役に立たん……! すべて儂が悪かった。あいつに任せたのが間違いだった……! だから、戻ってきてくれ永燈ぉ」


「お加減は如何でしたか」

「死んだ」

「え?」

「たった今、息を引き取ったよ。はははは……はははははは……」


 冷たい病室。気を利かせて、機械に繋がれて延命している半死人と彼に残される人間の、一対一。

 そんなちっぽけな世界で何が起こったのか、自分以外の誰も知る人間はいない。


「……工場を畳むって、どういうことですか」

「すまん」

「あんたが上にいってなんとかしてくれるんじゃなかったんですか!?」

「前社長どころか会長まで急死して本社の方がそれどころじゃないんだ……それに、一度や二度の融資どころでどうにかなるような現状でもない。退職後の面倒はこちらで見る。だから」

「要は自分らを見捨てたってことでしょ……!」

「……なんだと……?」

「あんたは良いよなぁ! 腐っても赤石家の人間だし、ちゃっかり本社の椅子に収まってやがる!」

「……黙れ」

「自分だけは甘い汁を吸って、どうせオレたちは見殺しにすりゃ良いって考えなんだろ!?」

「うるせぇっ!! てめぇらみたいなクズどもに、俺の気持ちがわかってたまるか!

「結局それが本音かクソ野郎が!!」


 守りたかったものたちといがみ合い、憎み合う自身の醜態を、今の永秀は最前席で眺めている。どれだけ手を伸ばそうとも覆りようもない光景に、血に塗れたレンチに手を伸ばす。


「違う……俺は、俺はこんなはずじゃなかった! そんなつもりじゃ……っ!」

「じゃあどんなつもりだった?」


 声がした。響きも美しい、懐かしくも糾弾する冷たさと険しさを帯びたその声の主に、振り返る。


 兄がいた。

 顔の半分は焼けただれ、焦げ付いた頭蓋や茹だった脳や目玉を剥き出しにして、死臭を放ちながらその顔を寄せてくる。


 おどろおどろしい変声とともに、彼は問う。


「すべてをそうやって切り捨てて、いったい何が残ったんだ?」


 永秀は、たまらず悲鳴をあげた。


 ・・・・・


 地獄のような夢想の中で、「これは夢だ」と必死に唱える。

 そうすることで、彼は過去から抜け出すことができた。


 何のことはない。冷静に立ち返ってみれば、実にチープな悪夢だった。汗も涙も、急激に冷えて引いていく。


 そして待っているのは現実。

 針の筵のごとき、社長室の椅子。


 ひたすらに祭り上げられるばかりだったこの場所で、この地位で、自分が何をしたかったのかもう思い出せずになりつつある。感傷も後悔も、過去のものになりつつある。そうでなければ、自分はとうに狂を発していただろうとも思う。


 ある意味では、魔法少女な訳の分からない存在も、生き残った姪も、自分の役に立っているのかもしれない。


 奴らを殺し、『遺産』を手に入れるという目的こそが、今の自分にできるすべてなのだから。


 自虐じみた笑みを引きつらせる永秀は、手元で鳴る代表電話に気づき、取るまでワンテンポ遅れた


「どうした? ……あ?」


 それは下層の受付から回されたものだったが、思いがけない人物からの、意外な申し出だった。

 そのため自分の思案も定かでないままに彼は、つい二つ返事でその『デートの誘い』を受けてしまったのだった。

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