第23話

 そして日が経った。千明に、ふだんの暮らしが戻った。

 物騒な連中に命を狙われることもない、束の間の平穏。そして、孤立した学校生活。ランチタイム。


 もう、対岸鹿乃が千明に話しかけることはなかった。まして昼食や遊びに誘ったり、SNSのアカウントを登録し合ったりすることは、決して。

 すれ違っても、言葉も視線も交わさない。鹿乃は本来の友達と華やぎつつ、千明は荷物を抱えて俯きながら、ただ通り過ぎていく。


(これで良い、ってなもんですよ)

 対外的にや本心はともかく、ハードボイルド風味に強がって見せる。この平和は知れ切った仮初のものだ。いずれは破綻する。


 そして無理もないことでもあった。

 日常に戻ろうと差し伸ばされた彼女の手を、振り払ったのは自分だ。


 そうした後も、厚かましくも散々に甘え、迷惑をかけた。

 愛想を尽かされる理由は充分にあった。


 そして今日も今日とて、彼女たちは他人同士だ。

 こそこそと昼食の準備を整える千明の席に、どかりと尻が落ちてくる。

 それは鹿乃の友人たる、かなり……いや少しばかりBMIが平均値より上の、重戦車のような同級生だった。

 彼女は鹿乃を伴って現れた。千明の前に座る同じく連れ合いの女子生徒に喋りかけ、どわはははと笑い、机全体を揺るがした。


 声帯以外の器官から発しているんじゃないかと思えるぐらい甲高く笑い返す彼女は、痩せぎすでスピードとMPに重きを置いていることが見て取れた。


 序盤の中ボスにいそうな取り合わせだ、と千明は思いつつ、メキメキと、机の木製の部分が軋むので忍んでひぇぇと悲鳴をあげ、かと言って退けることもできず肩を竦ませ萎縮した。


 無論、鹿乃は助けてくれない。あいまいに愛想笑いを浮かべて合わせつつ、友人たちの素行を否定しない。


 ことん。

 落胆する千明の手元で、音と感触がした


 見ればそれは化粧水だった。あの日、彼女が鹿乃に用いられたのと同じブランドの。


「忙しくても、せめてそれぐらいはつけなさいよ」


 目は合わせてくれない。タンクボディと爆笑の裏側で最低限の声と所作で、密やかに。口元には愛想笑いかどうか分からない笑みをたたえたまま。


 だが確かにそう言って、そしてプレゼントをくれたのだった。


 ・・・・・


「♪」

 昼休み中、ずっと千明は上機嫌だった。

 校庭の片隅でぼっち飯なのはいつものことだが、その孤独さえはね除けるほどに。鼻歌を唄いながら。


「なんか、今日はやたら調子良さそうだな」

 フェンス越しに自身のアバターを繕い直しながら、ネロが尋ねた。


「まぁね」

「なんかあったのか?」

「知りたい?」


 フェンス越しにネロの瞳を覗き込む。


「おう、知りたい知りたい」


 ネロは彼女を制止せず、適当にあしらうように言ったが、千明はそれに不満を持たない。言ってくれたことが大事なのだ。言わせてくれる流れを作ってくれたことが。


 そしてあえて彼女はこう答える。

 ヘヘッと悪戯っぽく微笑んで、口元には一本立てた指を添えて。


「ひーみつ!」


 ネロは、少し意外そうに見返した後、

「逆にそう言われると気になるなぁ」

 と、率直な知的欲求を口にした。


 だが千明はそれでも答えない。思わせぶりな笑みを含んだまま、済ませた食事の後片付けをして立ち上がる。


 それ以上は追うこともできないネロを放っておいて、軽やかに歩き始める。


 これで許してやろうと思った。

 彼にわずかながらに、自分のように悔しい思いを味わせることができた。そのことで、散々悩まされ続けた黙秘や韜晦を、許してやろうと。


(それに)

 タマには、秘密も良いものだ。

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