第19話

 炎が炎と噛み合った。

 さながら互いをむさぼる双頭の蛇のように、あるいは刺し合う仇敵同士のように、一部では和合しながらも、どこからでは互いの間隙を狙って相争う。


 そしてその渦の中で、槍のような杖と、剣の如き何物かを握りしめ、魔法少女と炎王は撃ち合った。


 捌き合い、競り合い、身を移し、位置を換え、コンテナの上へと跳躍し、斬り合い、ふたたび跳んで突き合い、そして再び地に足をつける。


(此奴……!)


 対等に自分相手に立ち回っているとは言い切れない。息が上がっているのは彼女の方だ。

 だがどうしても、決定的に千明を上回ることができない自分にも、イグニシアはもどかしさを覚えていた。


 おそらくその一因は、少女と自分とが本来であれば同じ特性の人間だからだ。

 火のエレメントを、ネルトランの……ネロのデバイスがその熱量で無理矢理に他の属性へと加工したのが、他の形態ではあるのだろう。

 そしてそれらは補助的な要素であって、出力としてはこの青髪の魔法少女のパワーが基本にして群を抜くはずだろう。


 こうして小細工なしに攻め合ってわかった。

 魔力量の規模はまだ小さく、幼い。だが質はかなり上等だ。何より……成長している。


(この世界の火素のみではあるまいネルトランッ、この娘に、いったい何を入れた!?〉


 その思考の隙を突いた一撃が、イグニシアのプレートメイルを痛打する。

 吹き飛ばされたイグニシアの脚甲が、火花を散らして床を削る。

 バランスを崩したかに見えたが、彼は堪えて、踏み止まる。否、留まろうとして、集中力を欠いた頭部に、水の散弾が炸裂する。


 一瞬奪われかけた視界の先、反動の衝撃でふわりと持ち上がった金髪が浮かび上がる。白い軍服に身を移し替えた少女は、銃口をイグニシアへと向けて引き金を絞った。


「だから効かんと言っただろうが!」


 豪語のとおり、イグニシアの表面上に立ち上った熱は、前哨戦のように触れた先から水弾を一瞬で蒸発させた。


 もうもうと辺りに白煙が立ち込める。

 その中で、一陣の風がその煙幕を切り裂いた。

 鋼色の一閃が、振動が、叩きつけられた。


 臓腑がねじれるような激痛が奔る。

 作業着に紫のふたつ結びが、その霞の奥底によぎったかと思えば、消えた。ふたたび縦横無人に、靴音と金音を鳴らす。


 落ち着け、とあらためて自身に命じる。

 先刻と同じだ。いや、あえて火花を散らす必要もない。

 この中では向こうも視覚が利かないのか。あるいは油断ゆえか。一瞬消えたその動きは微妙に緩慢となっていて、容易に目で捉えることができた。


 そしてふたたびこちらへと仕掛けるべく立ち止まったところへ、イグニシアは突貫した。

 もはや猶予も与えない。容赦もしない。全速、最大出力で突っ込む。鎧の隙間よりも魔力を放出し、なびかせ粒子が尾を引く。


 だが、確実に捉えたと思った魔法少女の姿が、煙と同化してかき消えた。

 高速で移動したのか。いや、踏み出す気配さえなかった。

 まるで元より、そこには誰もいなかったように。


 その発想と沈黙と静観をしていたネルトラン・オックスの像が結びついた時、イグニシアは答えに至った。咄嗟に繰り出した剣閃は、その腕は、横合いから伸びてきた、ネロの異形の手に造作もなく絡め取られた。

 幻術。おそらくは光の屈折と彼自身の魔力を媒介とした。


「ハイ残念」

「この、卑怯者がぁ……!」


 からかうように言う旧友に、イグニシアはマスクの奥底で歯噛みした。


「これが正攻法を挑むようなナリに見えるかよ。……で、そんな単細胞君にクイズだ。周りを見てみろ」


 その視線誘導に、作為めいたものは感じない。言われるがままに、というよりも嫌な予感がして、彼は周囲を見渡した。


 戸はいつの間にか閉じ切っていた。

 水蒸気の幕はいずれ消えると思いきやなお漂っていた。……いや、それは水蒸気ではない。彼らが起こした運動によって袋が破れて吹き出た小麦粉の類だった。


 その粉塵の隙間を、散々に戦闘した痕跡と思しき魔力の粒子。それが埋めていた。


「さて、こういう状態でたとえば俺がちょっと火花を散らす。するとどうなるでしょう」


 得意げにネロが問いかけた瞬間、彼はすべてを察した。

 阻止すべくネロを掴み上げたその指が、その肉体を、すり抜けていく。

 確かに今、触れていたはずのネロの身体もまた、霧の中に融けていった。


「悪いな、それも質量あるニセモノだ」


 声はあらたに、階上の天窓から聞こえてきた。

 その窓の縁に身を乗り上げていたネロの本体はひらりと外部へと躍り出た。


 ――金属質の指先を手土産のように、擦り合わせて鳴らし……


 刹那、倉庫の中のすべてを攪拌するかのような、大爆発にイグニシアは巻き込まれた。


「ぐおおおおお!?」


 突如我が身を襲った爆火と嵐。それに自身を焼かれながら、焔王は外へと吹き飛ばされた。


 したたかに背を、埠頭のコンクリートへと打ち付ける。

 めり込む鎧が、いつもより重い。常在戦場であるはず彼の士気に応えない。

 一度倒れ伏したことで、今までの消耗が一気に表面化した。そんな気がした。


「まぁ、回復の手段も持たずにあれだけ魔力を使えば、そうもなろうわな」


 海を背に回り込むように、起き上がれずにいたイグニシアの前に立ちはだかったネロは、声だけで笑った。


 その姿は、もう間違えようがない。本物だ。認めた瞬間、イグニシアはふたたびの勇を得た。いきり立って、直線的に、まるで何かに縋るように剣を伸ばした。


「『カタログ』No.2218。転身」


 だがネロは、その意志を裏切る。いつものように。


 自身の手の中に転送した魔導書にそう吹きかける。本のダイヤルが回る。本を閉じると同時に、背後に昇降機のように、地中から地面を透過し、扉とその部屋番号が取りつけられた棺のような筐体が迫り上がって来た。


 そこにネロは飛び込んだ。イグニシアの剣は戸口が閉まった直後に筐体もろとも焼き砕いた。


 だが、その跡には焦げ付いた地面以外、何も残らなかった。対象を失って突き出したままの腕に鉄の鞭が巻きついた。


 天より釣られたイグニシアは、その釣り上げた異形の影が地面に落ちるのとは逆に、宙へと浮かび上がった。

 一秒にも満たないはずの空中散歩。

 だがそのわずかな間に視界は逆転した。彼の頭は揺さぶられ、肉体は重力と落下の衝撃に痛めつけられた。


 逆さまに見たネロの姿は、再度一新されていた。

 白いインバネスコート。その腰回りに、錆色の歯車が取り付いている。肩周りは彼が頭からかぶるフードと一体化していて、その頭巾の奥ではわずかに目元に丸みを帯びた鉄面が張り付いていた。

 鞭はイグニシアを解放すると同時にネロの手袋の元へと巻き戻り、畳まれてレンズ付いた十字の鉄棒となった。


「おのれっ! まだそんな力を!」

「おいおい、お前自身が言ったことだぜ。自衛手段の一つや隠してるってな」


 イグニシアは斬りつける。ネロはそれをかわす。

 そんな単純な応酬を続けながら、ネロは少しずつ間合いを取ることに成功していた。


 それを追わんとしていたイグニシアに対し、ネロの手の中で鉄棒が形を変えていく。

 短銃となったそれは、シリンダーの代わりに、さながら眼科の試験用レンズのように、薄く切り取られた水晶体のプレートが取り付けられていた。

 それを彼のみが体得しているであろう要領でセットし、イグニシアに向けて、引き金を引いた。


 その弾道を読み、難なく発せられた光線を避けたイグニシアではあったが、通過の後でその白光が屈折した。

 イグニシアの影法師に命中した瞬間、彼自身がまるで何かに縫いつけられたかのように、身動ぎ一つできなくなった。


「次から次へと妙な手を……このペテン師が!!」

「そのペテンも」


 ネロは、それとなく身をずらしながら言った。その姿が、硬直したイグニシアの視界から消えた。


「今夜限りだ。イギー、俺とお前は、これを機に別の世界を生きる」


 この戦いの勝敗、事の成否に関わらず、そうなる。

 自分でも何度も言い聞かせて来た事実をイグニシアは本人の口から聞かされた。


「お前の愚直で浅慮で軽率なところは、まぁまず間違いなく、お前の短所だ。血筋以外、おおよそ人の上に立てる器じゃない」

「ネルトラン……ッ!」

「それでも、そこだけは俺は嫌いじゃなかったよ。持ってもいねぇ知恵なんぞ回そうとするから、誰も彼もが敵に見えて、自分を損なうんだ」

「ネルトラン!!」


 今さら、それを言うのか。

 すべてが決した。すべてが過ぎ去った。すべてが終わった。その後で。

 そんな慟哭が出かかった。だが、そう訴える前に


「言いたいことは終わった。あとは頼む千明。……今のお前なら、それを使える」


 ネロと入れ替わるようにして魔法少女が視界のはるか先に現れた。

 やや強張った表情のまま、杖の中核を回す。水晶に灯る炎が、より一層の烈しさを見せ、その先端が余波で振動する。


 一方で、イグニシアもまた解呪できかけていた。

  さながら摩擦で寒波を跳ね除けるように、手錠を塩分で溶かすように、絶え間なく送り続けた微細な魔力は、ネロの術式に確実に綻びを拡げていた。


 千明のその手が輝き、唸る。

 彼女という存在を中核に、魔力の塊が一気に彼女を覆い込んで角を作り、変形した。


 半透明の歯車が、噛み合い転輪する。より強く、より高めて、より効率良く、エネルギーが循環していく。

 エネルギーのままにそれは部品の体を為していく。形が、造られていく。


 砲耳を鋳造する。

 平衡器機を鋳造する。

 尾栓を鋳造する。

 駐退機を鋳造する。

 マズルブレーキを鋳造する。

 薬室を鋳造する。

 砲身は、杖の穂先。送り込まれた力の塊が、一極化していた。


 それは、巨大な迫撃砲だった。

 彼女自身を爆薬とし、その魔力を砲弾としそれは、イグニシア相手に狙いを定めた。


 まるで戦乙女が強弓をつがえるように、腰を低めて杖を引き絞る。

 イグニシアもまた、自身の自由を取り戻した。両手で捧げ持つようにして、剣を突き出す。夜天を、肥大化した業火が舐め、雲を焦がす。


 仕掛けたのは、おそらくはお互いがお互いを打ち破れると、そう確信した瞬間であったとこだろう。


 全身全霊で振り出された炎剣が、空間を歪めるほどの威でもって怨敵を制圧すべく、地を駆け抜けていく。


 取り戻した相棒を守るために踏み込み、射放たれた光彩が、怒涛の勢いとなってそれを堰き止めた。


 賢しらな小細工など、もはや両者の間になかった。

 ただその身に残された魔力と意志だけが純粋な衝突を繰り返していた。


 時に相手を上回り、転じて圧倒的な劣勢に立たされる。

 そんな危うい拮抗をくり返していた時、ふと、一瞬だがイグニシアは思った。考えて、しまった。


 ――この娘に託しても、良いのかもしれぬ、と。


 後ろ向きなのか前向きなのか、ひたむきなのか抜けているのか。

 その線引きさえも怪しい少女はしかし、こんな訳もわからない状況の、突然踏み入れてしまっても、そしてそのすべてを呑み込めないまでも、絶対に欲しいものを手に入れるという眼の輝きを、負かされた相手に対して保ち続けている。


 その健気さに心打たれたとでもいうのか。あるいはあの厄介至極な少年の業を、背負えるのなら背負ってみろという意地の悪い嫉妬であったのか。


 ――その今一瞬の、忘我が、思考が、一気に形勢の天秤を彼女の側へと傾けた。


 もはやイグニシアには何もわからない。

 それでも、ただ最後に、ネルトラン・オックスという少年を想う。


 ――押されている。圧されている。押し寄せる力に、魂に屈し、鎧が剥がれ落ちていく。


 おそらくは彼の言うことには正しい。為したことにも、彼なりの道理があったのだろうと、今は思う。


 それでも彼奴は。

 どこまでも……こと自分周りのことに対して、どうしようもなくタイミングがズレていた。


「ネロ」

 七色の奔流にその身を飲み込まれる刹那、知らずかつての学友の愛称を呼び、笑みをこぼした。

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