第20話

 女子高生を五感で感じ取れるような部屋に、気難しげな顔が三つ並び、スイートな空気をやたらと重苦しくしていた。


「……で?」


 その顔のうちの一人、ネロはわずらわしげな表情で自身の尻の下に折り畳んだ脚を揉み解した。


「なーんで俺がジャパニーズSEIZAさせられてんだよ」

「しかもあたしの家で」


 ネロの文句を継いだのは、その部屋の主たる対岸鹿乃だった。胡乱げな眼差しを、横にスライドさせていく。片隅にはバツが悪そうに萎縮する赤石千明がいた。


「あたし、ついさっき赤石さんにひどくフラれたばかりだと思うけど」

「ごめん。直近で頼れそうなの、ここだけだったから」

「いや、結構距離あるでしょ」

「……僕の学生生活において、知り合いと呼べる方が、ここにしかいないからです。はい」


 あとは、と千明の視線がその右へと移った。

 それはこの空間においても一際異様な存在感を放っていた。


 さすがにいつまでもボロ同然となった軍服でいるわけにもいかず、鹿乃に貸し与えられたパンク調の衣服も男性にしても相当大柄のはずなのだが、彼の頑強な肉体はそれさえも窮屈なものとさせていた。

 不器用な正座をしても、上背はかなりあった。ジーンズは腰まで入りきらず、ジャケットはみちみちと内部より生地を圧迫している。

 この場の息苦しさの原因の大半は、その男、イグニシアとかいうネロの同郷人の空間占有率にあった。


「ソレ、元彼が置いてったのだからべつにいいんだけど」

 鹿乃はそんな彼をため息をついた。

「あたし、そいつに襲われたのよ?」

「うん。だから服のお礼と、その件についてのお詫びをね。ほら、イグニシアさん」

「すまん。それと礼を言う」

「言わせてる感ハンパないわね」


 イグニシアは散々吼えまくっていたのとは打って変わって、ここに運ばれて意識を取り戻してからは、すっかり寡黙となってしまった。

 素人の小娘に負けたことが彼を消沈させているのか。それとも敗者に語る言葉なしという潔さのためか。ほぼ初対面の千明には分かりかねた。

 だが、それでもあえてその状態を言うのであれば


 ――憑き物がとれたような


 という喩がふさわしいだろうとは思った。


「だからほっとけってんだ、こんなヤツ。……なにブッ飛ばしたモンを拾ってきたんだ」

 ネロが学友をモノのように言い捨てて、さらに顔を苦らせた。

 千明はそんなネロを、険しい視線で責めた。


「それで?」

「それでって、なんだよ?」

「誰のせいでこうなってると思ってんのさ! そもそも君が妙な隠し事さえしなければ、こんなことにはならなかったんでしょうがッ、どうせ今回のことみたいに、君たちの世界でもネロは理由があってみんなを裏切ったんでしょ! せめて本当は何があったのか、友達ならきちんと君の口から説明しなさい!」


「友達じゃねぇ」

「友ではない」


 異なる口から同義の反論が飛び出る。

 男同士のこじれた確執を、千明はこの時初めて触れ、かつその面倒さを痛感した。


「あと、僕も知っておきたいので、ここに契約者として情報の開示を要求します」

 冷えた声をあえて出して、千明は挙手してみせた。


「――へいへい」

 ばりばりと金髪をかき乱し、大儀そうにネロはため息をついた。

 その振る舞いは、容貌以外とても王族とは思えなかった。


 彼がふたたびその口を開くまで、多少もラグがあった。その間に鹿乃は「飲み物買ってくる」と言って退出した。

 ひょっとして気を遣わせたのだろうか。ちらりと千明は思ったが、礼を言うタイミングを逃した。ネロもようやく語り出した。


「といっても、今から語るのはあくまで俺の主観と体験と憶測にもとづくものでしかない。それで良いのなら」

「構わん。論の躓きや矛盾があれば己が是正してくれる」


 前置きを遮られ、ネロは少し不愉快そうに鼻を鳴らした。

 それからあぐらに組み直し、クッションの上に腰を落ち着けた。


「まず結論から最初に言っておくと、俺が世界を支配しようとかいうあの一件は冤罪だ。まったく覚えがない」

「ふざけるなっ!」


 自身の宣言どおり、イグニシアは彼の言葉に過剰なまでに反応し、座を起った。


「ならば何故罪を認めた!? 何故人々を嘲り呪い、何故逃げたというのだ!? 今さらそのような戯言が通じると思うのか!?」


 ネロは冷ややかに彼を睨み返した。


「そうか。じゃあこの話は終わりだな。俺は罪人。お前は逃げた俺を捕まえようとして現地人に負けた。さて、話の整理もついたことだし、巣にお帰り」

「ネロ! ……ごめんなさい。お怒りお疑いはごもっともですけども、ここはどうかぐっと堪えて、こいつの話を聞いてくれませんでしょうか……」

「なんで勝った側がそんな低姿勢なんだよ」


 ネロが他人事のように面白がった。

 ……誰のせいで、パート2である。

 とまれ渋々イグニシアは矛を収めたし、ネロも多少は機嫌を直したらしく、多少重さを取り払った区長で続けた。


「確かに、魔力と生命の循環システムを作ったのは俺だ。千明の『ケージ』にもその理論を流用してるともさ。けど、一般人を実験台に使ったなんてのは真っ赤な嘘だよ。そんなことせずとも、理論を確立した段階で自分を実験台に最低限の実証は済んで安全性も確保している。規定外の使い方をしなければの話だがな」

「では何故その技術を秘匿していた?」

「一つには運用する前の段階。人体に定着させられる技術者が現状俺以外にいないこと。第二に、俺は大衆に善意を期待しちゃいない。より多くを得ようと仕様外の改造や悪用をする者が確実に出てくる。それを含めた倫理的な問題があった。お前みたいにな」

 そう言ってネロは、旧友を睨み据えた。イグニシアは心外そうに、顔をしかめた。


「いつ己が、邪道に貴様の技術を用いたというのだ」

「お前が剣として使ってるのがだよっ! あれ、そもそも武具じゃねぇよっ!」


 死闘を経て、ようやく明かされた衝撃の真実であった。しかしそこに反抗して驚いていれば、話は脱線する。動揺を押し殺して咳払い。千明は言外に本題への回帰を促した。


「まぁ人類にはまだ早すぎるってなわけで計画は凍結していたはずなんだが、それを歪曲してリークした奴がいたんだろうな。おそらく俺がクビにした大臣一派の誰かが、あいつに」

「あいつ?」


 あいつ、という言葉に乗った親しげな響きに千明は反応した。


「グラシャ・ブランツィア」


 だが実際名を聞いたところで、異世界を知らない当の千明にはどういう素性の人間かはさっぱりだった。せいぜいできることと言えば、顔色を変えたイグニシアのリアクションから、彼らに近しい人物であると推量すること。そして

「誰それ?」

 と、直截に尋ねることぐらいだった。


「今の神団最年少の枢機卿。つまり教皇に次ぐ権限を与えられた最高顧問。我々の世界における宗教勢力の、事実上の最高権力者だ」

「つまり、俺らのご同業。そしてあの裁判を取り仕切っていた」


 手持ち無沙汰気味に前後に上体を揺すりながら、ネロはシンプルに補完した。


「あり得ん。グラシャも貴様に勝るとも劣らぬ知恵者だ。もし讒言などしようものなら、たちまちに看破するだろう」

「お前、ほんとなんにもわかってなかったのな」

「なんだと?」

「んなもん俺を潰す口実に決まってんだろ。あいつはそういう機会をずっと狙ってた。あるいは最初からこの両者はつながっていたか」

「馬鹿な。彼奴も我々と机を並べ学に励んだ仲だ。戦友であり、私心なき女だ。そもそも、そんなことをして何の得がある?」

「――そこからかよ」


 明らかに落胆と徒労感を滲ませた目元を、少年は隠さなかった。


「良いか? 俺たちはかつて、世界の危機に国家の垣根を越えて連合して対抗し、難を乗り越えた。だが、敵を喪えば再び互いに争い合うことになるだろう。そこで白羽の矢が立ったのが、俺だ。国力も技術力もあるフォングリンは、それこそ天下取りに動き出したら大事になる。だからグラシャとしてはそうなる前に、出る杭を叩こうとした。いや根っこから引き抜こうとした。グラシャは私心のない女だよ。だからこそ、大局のために同輩を切り捨てられる」

「あぁ、なんかそれ漢文で習った気がする! なんだっけ、『高祖殺して料金とる』だっけ?」

「『狡兎殺して良狗煮らるる』だよ。韓信じゃなくて劉邦殺してどうすんだよ……」

「……異世界人に中国史と故事成語を教えられた……」


 ほんの少しばかりの悔しさをにじませる少女を手であしらいつつ、冷笑はイグニシアへと向けていた。


「けどまぁ話の趣旨を汲み取っているぶん、こいつよりかは利口だな」

「さすがに己を愚弄しすぎだ。要は、貴様が迂闊にも罠にかかったというだけの話だろう」

「……まぁ、そうだな」

「己が得心いっておらんのは、別のことだ」


 そう言うイグニシアは、痛ましげに頭を抱えた。ここまで経緯を説明されても、彼の煩悶は解消されていないようだった。

 千明と、同じ疑問に行き着いたのだろう。


「つまり貴様は、秘していたことはあれど冤罪であったと」

「そうだ」

「そして、グラシャに嵌められた」

「あぁ」

「……ならばなおさら訳が分からん! まったく答えになっていない! すべてを見破ってなお、貴様がやったことは、防御や弁護ではない! 貴様を陥れた相手の望み通りに動いただけではないか!」


 あれほど傍若だったイグニシアの言い分がまともに聞こえるほどに、いや実際論理的にならざるを得ないほどに、裁判前後のネロの動きは歪だった。


 対する彼はむしろ、自分たちの方こそが理解に苦しむと言わんばかりに、顔をしかめていた。


 だが、千明もまた、気づいた。


『相手の望み通り』

 その言葉を、彼女の体験によって得られた知覚のすべてが記憶していた。


「……まさか……」

 彼の行動原理を思えば、それですべての謎が解けてしまうのだ。

 そして同時に、彼のその性分の程度を、今の今まで見誤っていた気さえした。


「だってそれが、グラシャやあの世界が、俺に対して向けていた要求ニーズだろ?」


 千明が予期し、かつ恐れていたことを、どうということもなさそうに彼はあらためて表明した。


「何故それに応えたかと言われても、俺が、職人マエストロだからだ」

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