第18話

「舐め……るなァッ」

 怒号。放熱。

 自身に組み付く少女の痩躯を吹き飛ばすには、その二事だけで事足りた。


「くっ」

 端まで吹き飛ばされた千明は、倉庫の壁を足場に、衝撃を逃し、そして再び消えた。否、飛翔した。


 その速さ、その姿。幾たびの戦線を踏破したイグニシアの動体視力をもってしても、正確に捉えることが出来ずにいた。明確に感じ取れるのは、聴覚からの情報。

 少女が鉄壁や荷物の袋を足場にする、軽い靴音。


 その音の間隔が長くなった。そう認知した直後、彼の側頭部を打撃が襲った。

 まるで鐘でも鳴らすような反響を間近に聴きながら、イグニシアはよろめいた。足は浮いたが、膝はつかなかった。


 音は、彼方に消えた。金属音、風鳴り。共鳴し合うそれらは聴覚さえも定かに捕捉することさえ難しくする。

 その雑音の森に紛れて、空舞う狩人は再襲する。四方八方に散った音の中から見当をつけて、イグニシアは炎刃を振りかざす。


 だが、熱を帯びた斬光は風の流れに絡め取られ、受け流される。ただの鉄柱と化した実の刀身を綿帽子のように旋回する少女の身体はすり抜けて、代わり彼女の一斬がイグニシアの胴板を痛打した。


 自覚できないままに、苦悶の声が漏れる。

 魔法によるものではなく、純粋な振動に依るダメージ。

 無双の装甲を貫き……否それが堅牢であればこそ、岩に染み入るように苦痛は蓄積する。


 どうということはないと、心揺れる。

 どうということはないと、と虚勢を張る。

 どうということはない、とそれらを律する。

 どうということはない、と冷静さを取り戻す。

 どうということはない、と神経を研ぎ澄ます。


 どうということはない、と戦士の心眼が刮く。


 血濡れの焦土と魔弾の雨によって開いた武の才花は、彼自身の五感を超えて魔法少女を分析する。一方的な攻勢に耐えながら。


 彼女は飛んでいるのではない。跳んでいるのだ。

 舞っているのではない。滑っているのだ。


 一度高く速く風の力でおのれを打ち上げ、その勢いのままにこの空間を疾駆しているの過ぎない。つまりそこには旋回や軌道調整など高度な航空技術があるわけではない。せいぜいピンボールのように、壁に当たった際に方向を変えているだけなのだ。そして、その無理やり調整したその先に、イグニシアがいただけに過ぎない。


 となれば、取るべき手立ては一つだった。


 音を、拾う。

 次の瞬間、イグニシアは剣を逆手に持ち替え、その円筒を地面へと突き立てた。


 火花が方々に散った。それらに宿る魔力を起爆剤に、炎が稲妻のように方々を駆け巡る。先のように、狙いを絞る必要はない。一撃必殺を企図した破壊力も、必要ない。

 見当をつけたエリアに、面で攻めれば良い。


「うわ、わ!」

 可哀。小娘は、それだけでなけなしの統制を欠き、失速してその姿を現した。


 両手に剣把を掴み直したイグニシアは、大上段より振りかぶった。炎の刃は蟷螂の鎌のように千明を直撃し、少女は地面を転がった。彼女を守るべくデバイス自体に内蔵された魔力が総動員され、防壁となって斬撃を防ぐ。

 だがその代償は武装の解除。そしてまともに爆風の煽りを喰らって転げ伏す、彼女自身だった。


「舐めるな、と言っただろう」

 勝勢に奢り力に溺れ、そして自身の魔具の機能を恃みとした愚かなる娘に、イグニシアは薫陶とも皮肉とも取れる言葉を吐き捨てた。

 そしておそらくは、それこそが彼女が最後に刻む反省となるだろう。


「ナメてなんか、ないよ」


 その、はずだ。

 そうでなければならないはずだ。


 はず、なのに、何故、立ち上がろうと踏ん張る?

 何故、戦意を保っていられる?

 何故、この場に踏み入ったおのが愚を後悔しない?


「そんな余裕なんて、ずっとなかった……襲ってくるのは本当なら手も足も出ないぐらいのプロで、理不尽なぐらい強くて……僕が彼らを倒せたのは、魔法の無理矢理押し切っただけに過ぎない」


 さかんに上体を揺さぶりながら、膝に右手をつき立ち上がろうとする。

だが、もう一本の片腕はどこか痛めたのか。曲げたまま、自身の服の中に埋めるようにしていた。


「だから、僕にはまだ必要だ……! 力が、智恵が、技術が! その先にある人生を歩くために、かかる火の粉を、正しく振り払うためにっ」


 そう言霊を発する少女の手が滑る。体の均衡は崩れ、少女の体幹がずれた。その根気を今になって疑うことはないが、おそらくは鹿の嬰児よりも、次の瞬間にはもろく倒れ伏すだろうと、思っていた。


が……! が……!」


 だが引力に負けつつあったその身体を、少年の細腕がすくい上げた。

 それを支えに、ついに少女は立ち上がり、復活した。いつの間にか、イグニシアが鹵獲し、室内に保管していた種々別々のデバイスを、左腕に抱え込んで。

 いや、この瞬間に、魔法少女は誕生したのだ。


 拘束から解き放たれよみがえったのは少年……ネルトラン・オックスの方だった。

 愚を悟らざるを得なかったのは、イグニシアの方だった。


 千明は、彼を撃退することが目的ではなかった。むしろそれを隠れ蓑に、彼女はネロを解放し、奪われた自身の力の奪還を企図していた。

 最初からそれが目的だったのは自明の理ではなかったか。敵に惑わされまいとしていたイグニシアの精神性こそが、むしろ彼の心を頑なにしていた。それが失策の最大の理由だった。


「オーダー、確かに承りました。……で? お前はまだいけるか? 千明」

「当然っ! っていうかネロのほうこそどうなのさ」

 自分たちのポジションを最適な位置取りに推移させながら、じゃれるように軽口を叩き合い、少年少女は並び立つ。


「安心しろ。予備魔力バッテリー付属だ」


 ネルトランは……ネロは、少女から自身の魔導書カタログを受け取りながら、歯を見せて笑った。


 千明は角灯のツマミを回し、心火をくべる。

 ネロはダイアルの目盛りを手動で回していく。


 腰に添えられたランタンがベルトを形作る。

 ネロの背に、ネオンサインが明滅する彼の世界が口を開ける。


 その燈は、情熱と信念の閃き。

 機織られる衣は、英知と技術の証。正しく始まりたいという原初の希望。


 その灯は、文明の輝き。

 生み出される異形の姿は、どれほどおのれがおぞましくとも良い。ただ人のために腕を奮うべきという、職人の矜持そのもの。


 白煙を方々にまき散らし、ただ己が力、己が憤懣のための武装を形成するイグニシアのそれとは似て非なる火と熱たちが、まるで鏡像のように相対した。

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