第17話

「千明、お前……」

 しばし驚きを隠せず瞠目していたネルトランは、目元に、総身に、生気を宿らせた少女を見返した。かすかに化粧を施した相貌を眺めた。そして、おもむろに口を開いた。


「人が捕まったってのに、呑気になんかめかしこんじまってまぁ」

「帰っていい!? 今更帰る気ないけど、帰っていい!?」


 戦士の貌から一転、小娘は支離滅裂な怒鳴り声をあげる。

 そんな彼女の出現に当惑したのは、なにもネルトランのみではなかった。イグニシアもまた、かわいた声で問い質した。


「どうして、ここに来た?」

「ネロのメッセージにゲームセンターのCMが混ぎれ込んでたんだよ。あの宣伝をやるのは、駅前のアーケード街しかないんだ。そこから、SNSウォッチと人目につかなさそうな場所を探して、ここに来た」


 どうやらこの国の言葉のニュアンスというのは大変繊細で多面的なものらしい。イグニシアとしては理由や覚悟のほどについて問うたのだが、まずこの少女……千明なる女が答えたのは、経緯だった。

 補足するかたちで、彼は重ねた尋ねた。


「なぜ、ここに来た? この男は、貴様を見殺しにしたのだぞ」

「知ってるよ」

 

 間髪を入れずに、答える。歩み始める。


「そうやって雑にヒドイ扱いして自分たちから僕を遠ざけようとしてたって気づいたし、それに」


 ほんの少しだけ言い淀んで、千明はまっすぐイグニシアを見つめた。


「きっと貴方のことだって、ホントは信じてた」


 次の瞬間に突き出されら観測は、イグニシアにとっておおよそ認めがたいものだった。


「貴方が無抵抗の人間を傷つけたり人質にとるような人間じゃないってわかってたから、そいつは僕から離れることができたんだ」


 イグニシアは、あらためて学友を見直した。追い詰められると、嘘が恐ろしく雑になる少年だった。感情を隠すべく、視線をあらぬ方向の地面へと外す。

 だがそれは、イグニシアにとって一度たりとも考えたことのない着眼点だった。思ってはならないことだった。


 ネルトラン・オックスは他の才覚はともかくとして、人格面においても高潔であったなど、自分を識っていたなど。


 ――その点でさえ、己を上回っていたなどと。


 ネルトラン・オックスは悪人でなければならない。自分本位の、他者を顧みない悪党でなければならない。そんな彼の悪性をあえて赦し、その人格的な欠落を容れ

同時に罪を罪として断ずることで、己は己たりえる。対等の友となりえたのだ。


「でもね、ネロ。僕は今も納得できないし、怒ってる」


 表情を伏せたまま押し黙るネルトランを、少女は軽く睨み据えた。


「ついさっき思い出したんだけど君、僕を幸せにするとかなんとか言ってたよね」

「……あくまで努力目標だ。契約の範囲外だ」

「でもずっとそれを貫いてきた」


 言い訳がましく、かつらしくもなく返すネルトランに、言葉をかぶせた。


「ずっとそれを言ってくれなかったことにも腹が立つけど、何より……ネロ」

「あ?」

「僕の顔を見て」

「……」

「見て」


 先の痴話喧嘩の時のような――というより今も痴話喧嘩には違いないが――すがるような癇癪ではない。明確な意思を以て、千明はネルトランにそうねだった。


 ゆっくりと持ち上げられたターコイズブルーの双眸が、少女の険しい表情に定められた。

 そのまま彼女は、重く口を開いた。


「これが、幸せな顔に見える?」


 と、問うた。

 ネルトランは、かすかに息を呑んだ。わずかな動揺に追い討ちをかけるように、少女は語を重ねていく。


「君がヒドイ別れ方したって、君自身を犠牲にしたって、僕はなんにも幸せじゃないっ! 契約違反もいいとこじゃないか! 王様とか悪党とか逃亡者とか裏切者とか、そんなの関係ないっ、責任とれこのバカ!!」


 そうまくしたてる千明は、締めくくるべく大きく息を吸った。声を大にし情緒的に、喉を、そして息を震わせ、指弾した。


「君は……職人マエストロだろ!?」


 次の瞬間、ネルトランは目を見開いた。

 まるで拳に打たれたかのように、顎をのけぞらせた。断続的に、吐息を漏らした。


 しばらく、天井を仰いでいた彼だったが、正体不明の呼気は、次第に感情の色を帯び始めていた。


「ふっ……ははは……」

 それは、笑いだった。


 母国での裁判の時に見せた、欺瞞の狂笑ではない。

「あっははは!」

 衝動に突き動かされるままに顔をのけぞらせあるいは伏せ、上体を盛んに揺さぶりながら足裏で床を打ち、金髪を振り乱す。


「なんだそりゃ! さんざんに巻き込まれて、騙された挙句その相手に息切って追いかけてきて、こっちの忠告を無視して恨み言のひとつやふたつでもぶつけに来たかとおもえば、契約違反!? 責任を取れだ!? とんだクレーマーもいたもんだ! ハッハハハ!」


 年相応の、少年の笑い。学生時代も、まして王であった時にも見せなかった。自分相手には、決して。


「い、良いじゃん別に! ホントはもっと恨み言か何か言おうとも思ったんだけど、これぐらいしか思いつかなかったんだよ!」


 悶えるネルトランの前方で、突き出した指をブンブンと上下させて、千明は反論した。


「良いぜ」


 そんな彼女を脇目で眺めていたネルトランが、落ち着きを取り戻して言った。


「そうまで言われちゃ、職人として無視できねぇ。――今度こそ本当に約束するよ、千明。お前は、必ず俺が幸せにしてやる」


 へ、と間抜けに口と目を丸くする千明に、少年は言葉遣いを柔らかく、だがプロポーズのように強く、宣言して誓った。


 呆気にとられていた千明は、かすかに頬を染めながらも

「うん」

 誰に恥じることのない、大輪の笑顔を咲かせた。



 なんだ、これは?

 対照的に、イグニシアの中で混乱が黒く渦を巻く。


 この感情は、なんなのだ。

 自問自答を、くりかえす。

 大義か、一片の友誼か。公か、私か。


 経緯や理屈はどうあれ、目の前で行われる営みは、健全な交流であるはずだった。何者にも心を寄せなかった彼の振る舞いを思えば、縁を誰かと結んだことは喜ばしいことなのだろう。


 だがイグニシアの心に去来したのは、憤怒……いや憤怒に近い何かであった。


「ってなわけだ。悪いなイグニシア。お前の依頼はキャンセルだ」

いや……いいや!」


 その心は千々に乱れているが、それでも指標は一点に固定されている。


「貴様は、是が非となろうとも連れて帰る! 貴様は咎人だっ! 己にとって咎人旧友でなければ……ならんのだ!」


 イグニシアはその手をかざした。

 魔力吸収を中断した鉄剣は彼の掌中に吸い付き、持ち主は把手の歯輪を回した。


 瞬間、無数の歯車がパージされて、彼らの周囲の空間に散った。

 それらが乱雑に噛み合い、鉄錆びた異音を奏でた。

 引き起こされた火花が集合し、やがて業火となってイグニシアの偉丈夫然とした体躯を包み込んだ。

 だが焔は彼を焼かず、彼の武装を鍛造していく。

 鋼色のメイルプレートによって鎧われたイグニシアは、重低音の足音ともに、少年たちのつながりを断つべくその合間に割り入った。


 あとは力を奪われた小娘の手など、容易にひねることができる……などと油断し武心を喪うほどに、彼は思考そのものは鈍磨させてはいなかった。


 ネルトランの真意を知り、痕跡をたどってきた以上、この食わせ物の罪人が何らかの策を設けていたに違いない。

 そして案の定、自身の小型機とおぼしきデバイスが、いつの間にか千明の手に握られていて、同様にハンドルにも似た歯車を、ねじって回す。


 切っ先を、突き上げた。


 刹那、突如として地面から吸い上げられた魔力の塊が岩盤やコンクリートを貫通し、点となり、燈火となって吹き上がる。つながる。俯瞰すればそれは、自分たちを挟み込む二列の線となっていただろう。

 夜を照らすように、彼女が新たに踏み出す進路を拓くように。


 そこに踏み出した少女の身体を、分厚い空気の塊が覆い込む。

 一歩ごとに、一層。

 無色透明であるはずの気流はしかし、少女の輪郭をあいまいにしていく。その奥底にある少女の色彩を、変えていく。


 そして最後の、一線を超える。


 風を突き破って現れた少女は、その形容を変貌させていた。黒のサロペットにカーキ色のブラウスに蝶ネクタイ。工房の作業服というか、飛行士のニュアンスを持たせた服装。濃い紫の髪は、両端二つ結びに束ねられていた。


 役割を終えた灯明が、地中へと退いていく。

 それを契機にしたかのように魔法少女は、手にした刀身を水平に伸ばし、さらに一歩を踏み込んだ。

 次の瞬間、その像が蜃気楼のように消えた。

 そして、イグニシアの想像をはるかに上回る速度と風圧でもって、本能的に放った彼の剣技に肉薄した。

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