第16話

 埠頭の倉庫に、炎熱が大穴を開けていた。むろんそれはイグニシア自身によるものだったが、もとよりそれを弁償する気もなかった。すぐに去るつもりであったし、この世界の輸入業者がどうなろうと知ったことではなかった。積荷自体にも被害は与えていない。

 輸入された小麦の袋に囲まれて、ネルトラン・オックスは鉄鎖によって縛られていた。

 腰をドラム缶にくくられてその上でさらに手足を拘束されていた。


「お前、破壊しか出来なさそうなのにこの程度の芸当と学習能力があったのか」


 と、目覚めるなり彼は憎まれ口を叩く。


「ただ、やっぱり慣れてねぇもんはするなよ。……必要以上に食い込んで痛いんだよ、これ」

「抜かせ。骨まで溶かされてもなお再生するような男が、何を抜かす」

「治癒魔法もただじゃねぇんだよ」

「そうだ」


 イグニシアは異界間転移術式のために必要な魔力を周辺から突き立てた剣より吸い上げながら、肯んじた。

 舌打ちする。やはりこの異世界は、自分たちのそこに比べて大気中の魔力が希薄だ。集積が遅すぎる。


 もっともこれはネルトランにとっても不都合であるはずだ。


「貴様がそうして魔力の補給もできずにすり減らせば、満身創痍のただの骨細子だ。となれば、小細工などせずとも物理的な拘束で充分だろう」

「ほんとに驚いた。いやお前、過去の経験から反省とかできるんだな」


 負け犬が何を揶揄しようとも、痛痒にもならない。あるいは本心からの賞賛であったのかもしれず、それならなお一層悪辣だが、それでも。


「しかしいつの間にかなぶり殺しを趣味にしていたとはな。いっそのこととっとと殺して焼死体でも土産にすれば、グラシャあたりにウケが良かっただろうに」

「……貴様には、聞いておきたいことがまだある」


 おぞましいことを自身の口から語るネルトランは、「何を今更」と言いたげに碧眼を歪めた。


「何故、あの小娘を庇った」


 揶揄が、少年の目元より退いた。


「我が一斬が貴様もろとも小娘を焼き切る瞬間、貴様は彼女を突き放した。結果、みずからの半身を犠牲にした。その傷はまだ癒えていない。そうだな?」

「……たまたまそう見えただけだろ」


 つまらない韜晦を無視して、イグニシアは続けた。


「罪を認めた以上、あの企みが本当に貴様の仕業であったことを前提としよう。だが、先に見せた多少の善性を思えば、ある可能性が己の内で浮かび上がってきた」

「……」

「貴様は信義礼いずれにも悖る外道だが、約定だけは守る男だ。よってかの大逆に関与している者をかばっているのではないか? 協力者か、あるいは示唆したものか」


 ぐい、と焦げ付いた襟口を掴む。

 顔を近づけて息がかかるような距離で、イグニシアは命じた。


「答えろ。それは誰だ? 名を挙げるならば、己の権限のおよぶ限り命だけは助かるよう取り計らうこともできる」


 それは正真正銘、旧友に対する最後の温情だった。

 せめてそれだけは友誼を見せてやると。

 理由があるなら友として聞いておいてやると。

 せめて最後ぐらいは、素直に胸襟を開いたらどうだ。何者に頼らなかったお前だからこそ、最後の一瞬ぐらいは友を信じ、頼ったらどうだ。


 それはおそらく、ネルトランにも伝わっていたことだろう。

 ところがネロの反応は、自身が助かる千載一遇のチャンスにおいても希薄で冷淡なものだった。

 筋の通った鼻で一度だけ笑っただけだった。


「……そうじゃねぇだろ。お前の聞きたいことは」

 その嘲笑さえ、一瞬と保たず消えた。


「――なぁ、俺らがちゃんと王様やってる頃、国境争いがあったよな? 俺らの国は隣り合わせで、どっちの警備隊が先に仕掛けたとか、そんなありふれた、つまらない縄張り争いだ」

 などと、突拍子もなく思い出話を切り出した。


「だがしょうもない争いは軍が衝突する規模の大事に発展し、俺らまで駆り出されなきゃ収拾がつかなくなった。俺はできるだけ物証や目撃情報、状況証拠を相手側こちら側関係なく集め、土地の所有権の推移、周辺貴族の家系図まで持ち出して妥協案とこれ以上の争いの無益を説明をした。だがお前はそれを一言で突っぱねたのさ。『我が薫陶は兵たちに隅々にまで行き届いている。過ちなどあるわけない』とな」

「なんの、話を」

「その時からだよ。俺がお前を見限ったのは」


 これが、すべての答えだった。

 何故この少年が自分を頼らなかったのか。あの事件に裏があったとして、何故真実を打ち明けなかったのか。


 ――自分は、友ではなかったのか。


 それらの問いに対する解が、最後の締めくくりにすべて内包されていた。


「少なくとも、お前がどういうヤツか分かった。お前、自分では公人を気取ってるようだが……お前ほど人間らしい人間もいねぇさ。お前は自分の信じたいものを都合よく信じ、疑いたいものを徹底的に疑う」

「黙れ……」

「喋らせようとしたのはお前だろうが。だからそのご要望通りにしてやってんだよ。良いか? お前が知りたいのは真実じゃなくて、自分が気分良く力をぶつけられる敵の存在なんだよ。……なぁイギー、俺たちが手に入れた平和は、暴れるしか能がないお前には、さぞや居心地が悪いんだろうなぁ?」


 次の瞬間、イグニシアは暴力的な感情を爆発させた。

 今まで如何なる挑発にも動じなかった彼の醜悪さと怒情の皮袋は、正論の針で一気に中身を吐き出した。


「己はっ!」


 首元を捻り上げてドラム缶に押し付けて、そのまま突き倒さんばかりの勢いのまま、彼は吼えた。


「貴様の! そういうところだけが気に食わんのだ!」


 そして炎王は掴みかかっていた両手のうち、右を空けて虚空へとかざした。

 自分たちの世界を拓くべくその装置と化していた剣は、脂を焚べるがごとくその爆熱を膨れ上がらせた。

 この世界の魔力を吸い上げるのみならず、自身の魔力のリソースをも投入したのだ。それにより進行度は段違いに向上し、その門は目に見えるほどに肥大化を始め、その口は間もなく人間が潜るに十分なスペースを確保できそうだった。


「今すぐにでも貴様を連れ帰る! そしてふたたび裁きを受けさせ、その腐った臓物もろともに真相を引きずり出してやるっ!」


 凶猛な意気に呼応し、彼の得物が輝度を増していく。


 そしてその輝きの合間に、影が伸びた。


 それは倉庫の口に立っていた。

 か細いシルエットで、緊張と消耗で上体を小刻みに前後させながら、控えめな胸を呼気とともに弾ませて。

 身を屈して膝に手をついていた彼女は、一度大きく息を吸い、全身の姿勢を整えた。

 そして一度はためらうそぶりを見せながらも、闇と光の交錯する空間へ、彼らの領域へと強く足を踏み入れた。


 イグニシアは驚嘆した。

 よもやこの少女が。

 魔力の庇護を受けているとは言え、このぬるま湯の国に住まう他の民と同様に惰弱で浅薄で、自身の使命の所在さえ定かではなかった彼女が。

 殺気を込めて恫喝したイグニシアの前に立っている。

 恐怖もなく、そして自棄の気配や余計な気負いもなく。一廉の戦士の顔で。


 そしてネルトランも驚き、呆けていた。この厚顔無恥な男の鉄面が、崩れた。

 それは流石にそうだろう。

 自らが庇い、そしてイグニシア同様にその動向に失望し、見限った少女が、邪険にされてもなお、おのれを救いにやって来たのだから。


「駄目、渡さない」


 浅い息遣いとともに少女は言った。もはや誰にはばかることなく、正々堂々と、自身の言葉で紡いだ。


「そいつはまだ、僕と契約しているから」

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