第15話

 何を想うでもなしに自室に籠り、日が完全に没する様を見つめていた対岸鹿乃だったが、その彼女の手で、携帯が鳴り始めた。表示されているのは、つい一時間たらず前に連絡先を交換した、クラスメイトの名前。


「もしもし」

 ワンコールが終わるよりも前に通話に出た少女の鼓膜を、騒音が襲った。顔をしかめた。

 雑踏。クラクション。駆ける靴音。そして電話をかけてきた当人の


〈ごめんっ!! やっぱ遊びに行けない!〉

 ……という、声量の加減を間違えた謝罪。


「……べつにすぐ返事しろってわけじゃないって、そう言ったでしょ?」

 鹿乃は頭痛をため息とともに和らがせながら彼女、赤石千明の性急さをたしなめた。


〈そうじゃなくて! 多分、これから先もずっとってこと!〉


 まるでそれを言語化することで自分に言い聞かせるように、千明は言った。

 足音が、端末越しに止まる。荒ぶる呼吸が、整えられていく。

 ややあって、少しは落ち着きを取り戻した語調で少女は続けた。


〈きっとさ、まだ終わってないんだよ……! 僕自身のことも、ネロのことも〉


 正しいリズムの、呼吸。鼓動。そこに近づいていくのが、鹿乃にもわかっていた。


〈僕の心臓は、もう止まっている。そしてあの事故の時に、たしかに赤石千明は死んだんだよ。そこで本来の人生じかんは終わっていたんだ!〉

「そんなこと」


 ないでしょ、と否定しかけて、言葉を止めた。

 そう断定できるほどに、彼女の境遇を知らない。その辛さも。

 そして何より、それを言い切る千明の言葉に、悲観的な響きは決してなかった。


〈本当だったら、僕はあそこで死んでいなきゃいけない人間だった。だけどさ……そんな僕に、道理を曲げてまでネロは手を差し伸べてくれた。その手で、僕が失った輝きも、熱も、そして生命もくれた。今いる赤石千明はあの場所で、あいつによって始まったんだ〉


 少女は語る。赤石千明の再出発……いや、終わりを。

 そして魔法少女と成り果てたひとりの女の子の原点を。


〈ただでさえ要領よくなくて脳も酸素が不足気味だから、上手いことまとめられないけど、さっ! あの事故のこととか、あのバカのこととか。これを僕の中でケリをつけない限り、本当の意味でリスタートなんでできないんだ!〉


 大きな息継ぎのあと、千明はそう吼えて駆け出したようだった。

 風が唸る。もう夏手前だというのに、彼女の身体にまとわりつくその風は凍てつく冷たさを帯びていた。それこそ、関係のない鹿乃の肌さえ裂くように。


〈対岸さんには本当に感謝してる。メイクとか、いろいろ教えてもらって本当にうれしかった! けどごめん! 今はまだっ、君と友達にはなれないっ!〉


 おおよそ向けられれば傷つくような宣言を、自分自身が苦しそうに声を張り上げながら叫ぶ。


 通話は、そこで絶えた。


「フラれちゃった」


 一方的にまくしたてられた鹿乃は、ふぅと息をつきながら椅子の背もたれに力を抜いた身を預けた。

 それは千明なりの義理の通し方だったのだろう。周囲から反対され、間違えっていると知りながら、それでもその闇に続く道を突き進むために、自身にかけられた梯子を外す覚悟だったのだろう。


 友達になれない宣言は今までその順風の人生の中で、一度だって、誰にも……ケンカしたり疎遠になった旧友にさえ向けられたことはなく、鹿乃は自身がそれなりに動揺したことに客観的に驚いていた。


 だが、一方で投げかけられた言葉以上に冷静でもあった。

 あの金髪の少年から謎の箱を預けられた際、そしてそれがかつての相棒に対する彼の、最後の厚意であった場合、こうなることは予想できた。

 だから彼女に渡すか渡すまいかためらっていた。それを受け取った千明が賢い生き方を棄てることが目に見えていたから。


 果たしてそのとおりとなったわけだ。

 この日初めて素性を知った彼女らに、同情や憐憫はない。

 むしろ自分の最低限の斟酌を台無しにされたことによる、不満やふてくされはぜあった。もう知ったことかと。

 そして明日にはまた他人同然の関係に戻る。朝日を迎えるまでに生きていればの話だが。


 ただ、そういう生き方もあるのかと思った。

 理想的な人生を送ってきた鹿乃には想像にさえのぼらない。

 右から左へ傾くような、両極端で、純粋で、危うくて、まっすぐな生き方も。

 互いを損ないながらもそれでも想わずには、過ちと解りながらも行動せずにはいられない関係も。


「ま、お似合いのふたりなんじゃない?」


 その事実を事実としてみずからの内にサンプルとして納めながら、鹿乃は小さくぼやいた。

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