第4話

 魔法少女イヤーは地獄耳……

 というわけではない。ただその悲鳴の糸が赤石千秋の耳に届いたのは、気を張らざるをえない状況下がこの街に来てからずっと続いていたからだ。

 ましてや、足下に控えるこの『キャットフード』は、肝心なことは何も言ってくれないと来ている。


 自然、その足は声の方向へ、その手には灯台型のデバイスを握っていた。


「おい、何する気だ」

「ちょっと見に行く」

「……嫌な予感がする。様子見だけだぞ」


 そう釘を刺すネロに、コンビニのレジ袋を投げ預ける。

 その中に詰め込まれたコラボグッズのために大量に購入したミルクティーのボトルは、彼の矮躯を押し潰すに十分すぎた。


 声と音の移動ルートを逆走し、背後に回り込むような順路で移動する。


 そうやって迂回した団地の裏庭。目下の段差の先に伸びた路地に、逃走者と追走者はいた。


「あれって……」


 追い詰められているのは、少女だった。同じ年頃、同じ学校の。

 ゆるくソバージュのかかった髪。適度に焼けた肌。平均以上の運動量によって磨き上げられた均整のとれた身体はしかして、女性らしい脂肪分は残している。野暮ったいジャージ姿ではあるものの、メガネや腕時計は詳しい銘柄こそわからずとも、学生が身につけるなかでは一級のそれだと見て取れる。


「知り合いか?」

 追いついてきたネロが問う。

「……クラスメイト」

 短い答えに「そうか」と相槌を打ちながら、彼もまた眼下へと望む。


「…………」


 その彼が、固まった。

 被害者のほうではなく、加害者の巨漢を目にした瞬間、硬直した。


 たしかに目を見張るほどの巨軀ではある。

 千明自身が言えた義理ではないだろうが、そんな外国人が軍人だかヨーロッパ風の貴人だかの格好をしているのである。たしかに現実離れをしているとは思う。


 だがこのネロが、それだけで動かなくなるということがあるのだろうか。その停止には、何か別のところに理由がある気がした。


 ともあれ、看過できる状況ではない。

 灯台のつまみに、指をかける。


「やめろ」

 ネロが、静かに待ったをかけた。


「ヤツには手を出すな」

 記憶するかぎり、今まで彼女の方針には一切反対しなかった彼が、初めて拒絶した。


「……なんで?」

「なんでも何もねーだろ。今のお前にしてみりゃ分かるはずだ。……あの野郎の手強さを」

「そっちこそ、知り合い?」

「さぁな。見当もつかんね」


 露骨に吐かれた嘘はともかくとして、たしかに彼の指摘したとおり、全身にみなぎる闘志のようなものが、千明の足を止めていた。というより、この異邦人があえてそれを明言したことによって、そう思わされている、と感じた。


「そもそも」

 ネロは続けた。

「お前に力を与えたのは自衛のためだ。ヒーローごっこをさせるためじゃない。余計なことにクビを突っ込む余裕がないってことはお前がよく知ってるはずだ」


 それはまったくの正論だった。

 だが、彼の言い放つ道理も正論も、どこかしら彼の望む流れへことを運ぼうとしている。そんな指向性のようなものを感じさせた。


「ヘーキだよ、どうせクソしょうもない勘違いしてるだけだから。まぁ危害を加えるような輩じゃねーよアレは。ほら、さっさと帰るぞ」


 そして、どこかホッとしたような調子の声がかえって、千明の不信と怒りを買った。

 彼の脇をすり抜けて、その荷物のペットボトルを奪い返す。

 キャップを開け、思いっきり空中へと中身をぶちまけ、そして自身は『灯台』のツマミをひねって飛んだ。


「おいっ!」

 ネロの制止は、聞き入れない。

 解放された魔力に当てられて、茶褐色の液体に含有される牛乳や砂糖、乳化剤やデキストリンが排除されて真水になっていく。いや、それ自体がマナを引き出されているらしいから、あえて言うなら魔水、だろうか。


 澄んだそれが幕となって広がり網となって浮かんで彼女を覆い包む。

 しぶきをあげてそれをくぐり抜けた時、少女の肌には軍服めいたコスチュームと黄金の長髪が水分でぴったりと巻き付いていた。

 だがそれもわずかな風と彼女自身の放熱によってすぐに乾き、本来の柔らかさを取り戻していた。


 そうして、排水溝のあたりで追い詰められていた彼女と怪人の前に、魔法少女は立ちふさがった。


「あいやしばらく、そこまでですっ!」


 念のため声色を低く変えた。口調もそれに合わせて変えようとしたが、どうにもキャ付けに失敗しそうで途中でやめた。


「お嬢さん、ここは任せてさぁおうちに」


 その余波によってどっちつかずの、距離感のつかめないたどたどしい物言いとともに同級生を促し、脇へと逃がす。

 だが、男は彼女自体に対する執着を見せなかった。それよりも、自分と近しい存在、世界の異物が目の前に現れたことのほうが、彼にとっては大事だったのだろう。

 燃える双眸が、引き絞られた弓のように鋭い角度をもって歪む。その口が、丸く開けられる。


「なるほど、この世界にもひとかどの術者がいるとは思わなかった」

「術者……?」

「――いや、待て。違う……お前は……は……」


 聞き返す千明を無視して、ぞんがいに顔の若いその大男は顔を伏せた。

 思案するように上体を屈した彼は、しきりに独語をくり返し言語化して放出し、自身の頭に浮かぶ言葉や理論をそうすることで整理しているようだった。


「……あのー?」


 勇ましく登場しておきながら放置された千明は、おずおずと彼に近寄った。用があるのは彼女も同じだ。この青年は何かを知っている。自分の、同居人について。だから彼は割って入ることを拒んだのだ。

 今も、しきりに撤退をテレパスで鐘を打ち鳴らすように送ってきている。

 それを無視していた千明だったが、


〈武器を出せっ!〉


 ひときわ大きなその叫びだけは、彼女の生存本能を刺激し、身体を嫌でも反応させた。


 反射的に、軍刀のほうではなく空間から銃斧を呼び出す。

 前面に押し出した肉厚の斧刃が、金属音とともに火花を散らした。

 視覚が、とっさの行動に追いついた。

 男は身体を跳ね上がらせると同時に、腰から武器を抜いていた。それを、少女の胴へと叩きつけようとしていた。


 だが千明がそれを受け止めることもまた、彼にとっては予測済みだったようだ。

 赤銅の歯車と無数の孔のついた鉄棒を握りしめた、その彼には。


(その、アクシュミな歯車は!?)

「貴様……まさか! そのなんの戦略的優位性のない無意味な歯車は!?」


 千明と男が、互いの武装に抱いた感想は、きわめて類似したものだった。

 ボルト、錆び色、そして歯車。

 そういったアクセントを好む少年を、千明も、そしておそらくこの襲撃者も知っていた。


「どこでそれを手に入れた!? 誰がそれを造った!?」


 元々理性的な会話が望める男だとは思っていなかった。だが、ひときわヒートアップした様子で、息のかかる間合いで鍔を迫りながら、男は質した。

 むしろ逆にそう問い返したいのは、千明のほうだった。

 ひょっとしたらコイツじゃないですか、という断定じみた推理を添えたうえで。


 だが、それぞれに意識が集中するその時間的、精神的、そして間隙を縫うようにして、高熱をともなって光の柱が差し込んだ。

 それは地面に触れると同時に大きく膨れ上がって、ふたりを覆い包んだ。熱さは感じるが、肌を焼くほどではない。おそらくはフラッシュバンのような、視界を潰す用途のものだろう。

 その輝きを突き破って、手が伸びてきた。

 金髪をなびかせて割って入ったその少年は、千明の手首をつかんで走って逃げた。千明は抗うこともできず、言葉もかけられず、ただされるがままになっている。

 だが、想ってしまう。


(君は、いったい……誰?)


 誰が自分を救ったのか、それはわかっている。

 それでも、今回ばかりは。

 積み重ねてきたその疑問に、立ち返らざるをえなかった。

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