第5話
(……重い)
朝、赤石千明は目覚めと同時に自分の体調が最悪なことを自覚した。気分もモヤっとした最悪な気分を、昨日の遭遇戦以来引きずっていたことも思い出した。
泥土に足をすくわれるような心地のまま制服に身体を通してリビングに出ると、朝食がすでに用意されていた。
「よう」
人の姿をとったネロは表情ひとつ変化させず、その青い瞳を向けた。
それは「おはよう」の略語だったのか、それとも時間的な概念を無視したぶっきらぼうな挨拶だったのか。
千明が判断に迷っているうちに、食卓が整っていく。
トマトサラダにポタージュ。食パンは切って牛乳で似て粥状にしたうえで、シナモンを振りかけてあった。
シンプルな、しかしだからこそ今の千秋の体調には大いにありがたい。
それに何より、食器とのコントラストが良い。
パンやミルクの白さは、茶色い食器によく映える。野菜の緑や赤は、土色の光沢やゴツゴツと角張った皿にマッチしている。
茶色、茶色、茶色……
「って茶色多すぎるわっ」
あいさつを返すのも忘れて、開口一番声をあげる。
「何なのこれ!? 萩あたりの骨董市!?」
「備前焼だ。業務用が安かったから仕入れたんだ。だが俺の見立て通り、職人の気質を感じる。そんじょそこらの電気釜にはない力強い味と景色がある。さながら寒空の下に干された萱のような……これぞ侘び寂びの境地だ」
「異世界人がごく自然に侘び寂びを語るなッ」
しみじみと満悦を示す彼に食ってかかりながらも、席に着く。
「しかもこんな、大量に仕入れよってからに……うちを飲食店でもする気!?」
「ちょっとしたオシャレなカフェみたいだろ?」
「ちょっとしたオシャレを通り越して美食倶楽部みたいになっちゃってんだよ! シュミに走りすぎ!」
「これでも抑えたほうだぞ。採算度外視で本気を出せば、お前を自動で目覚ましさせる歯車と蒸気モリモリのギミックとかをこの部屋にだな」
「やだよティムバートン監督作品みたいな部屋!?」
愚にもつかないやりとりをしているうちに、呆れと怒りで全身にまとわりついていた不快感はどこからしらへと吹き飛んでしまっていた。
捨て鉢気味に「いただきます」という掛け声とともに食事に手をつける。食器の件もあってハードルが低くなっていたのもあったが、それ以上に味が良かった。ほっとする優しさが、胃の腑に落ちていく。
ひょっとしたらこの食事は、自分の体調を読み取ったうえで用意されたものなのだろうか。
そう問いたかったが、聞いた後のことを想像してしまう。おそらく彼は馬鹿正直に答えるだろう。
「ずっとお前と一緒に生活してんだからその『周期』ぐらいわかる。いつもより起きるのが遅ければなおさらな」
……などと。
そして自分は忌憚なく「キモッ!」とかセクハラ野郎!」だとか反射的に罵るだろう。
そして言われた側は大いに気分を害するだろう。
誰も得しない結末を避けるだけの分別は、千明にもあった。
「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」
知らず、視線は分散させていたつもりで彼に集中していたのだろう。向かいに腰かけたネロは、怪訝そうに睨み返した。
……どの口が、と思う。
だがその文句も、聞けずにいることも、口を開けば別の言葉に変換されてしまう。
「ネロって、基本笑わないよね」
あわよくばこの異邦人のことを掘り下げようという目論見を一応は含んだ、遠回しで、突拍子もない問いかけ。ごまかし。
対するネロは、細い眉をヒョイと吊り上げて
「悪かったな、愛想がなくて」
「ごめん、別に文句のつもりじゃなくてさ」
「知ってる」
「…………」
ごく当たり前に、ペースを握られ手玉に取られて受け流される。まるで白刃どりの達人のように。
不満はある。それでも、悪い気はしない。
――嘘だ。
本当は、常に不安がくすぶっている。
むしろ城攻めのような……あるいは恋愛のような、攻め口の探り合いは、ちょっとしたゲームのようで楽しいと思う。
――嘘だ。
彼と言葉を交わすことは楽しい。それでも、満たされているはずがない。
だから、互いに傷ついてまで真実をえぐる必要なんてないだろう。
――嘘だ。
自分はやはり知りたいのだ。たとえ彼や、自分自身が傷つくことになろうとも。
その覚悟だって、彼に出会った瞬間からできている。
――それも、嘘だ。
いや、かつては本気でそう思っていた。いたが、ネロと暮らしているうちに変わった。
この生活を、不用意な発言から手放すのが怖い。
真実を知ってもなお、こんな交流ができるのかも、わからない。彼がこうして気遣って、語りかけてくれるのかも。
もし本当は、義務感からイヤイヤ付き合っていたのだとしたら……?
(何より、僕は……彼の正体や本心を知っても……彼を)
ズガン、と音がした。痛みが遅れてやってきた。
その痛みが何物か。確かめるまでもなく彼女が自発的にテーブルの角に額を叩きつけたためのものだった。
「あっぶねぇな! 割る気かよ!?」
テーブルの上から食器を非難させながら、
割るとは、気にかけているのは、新調した食器かそれとも千明の頭蓋か。
それを問う勇気さえ、千明にはない。
そこからは特に何事もなかったかのように食事が再開し、表面上のやりとりと上滑りする会話に終始した。
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