第2話
差し込む朝日が、これほど不釣り合いな男たちもいなかった。
どこにでもあるような、開店前のパチンコ屋の立体駐車場。その最上層にベンツで乗り付けてきた赤石永秀は、すでに居並ぶ顔役たちを見た瞬間、帰りたい気分に陥った。呼びつけたのは、自分だとしても。
着崩したカラーシャツにジャケットを羽織るイタリア人。その向かいにはきっちりと黒いダブルのスーツを着込んだ、『泰山連衡』の総領。それらを本来取り締まる立場にある灯浄署の署長。
女性秘書の手押しする車椅子に乗った、瘦せぎすの老人。
一癖も二癖もある強面が集結していた。
彼らこそがこの街の裏の顔役。通称『自治連合会』と呼ばれる人間たちだった。
『連衡』や『ファミリー』が実働部隊兼、品の輸入を担当。
アカシヤグループが流通ルート。
官憲が隠匿。
県内外の病院は荒事によって生じた死体の診断結果を改竄し、生きていたらまずい人間には必ず『不幸な事故』が起きることになっている。
その利潤一切を、浄都銀行頭取、
そういうシステムを、彼らは戦後何十年と運営し続けていた。
他にも政治家や病院関係者、農業、工業などの諸産業の重役がいたが、ここにいるのは自分が用のある人間だ。
「一体これはどういう集まりだい、ナガヒデ?」
ブルーノ・セルバンテスが肩をすくめて尋ねた。
「それも、よりによってこんな場所に。パーティーが開ける環境でもないだろう?」
などと一笑もできないジョークを飛ばす中年イタリアンに、辟易しながらも救われる。
この場の空気自体が、冗談みたいな剣呑さに包まれていたからだ。表向きとは言え立場は対等だが、殺した人間の数がそのままパワーバランスとなっているかのようだった。
「……話というのは他でもないが」
生唾と空気の混合物を呑んで、切り出した。
「この中に、赤石千明を、うちの姪を殺そうと、わざわざ本国からお友達を呼び寄せた方がいる」
ほう、とブルーノは口を丸くした。この男がシロだということは、百も承知だった。直接事件と関わりにないこの男を招いたのは、今後同じ真似をしでかさないよう、釘を刺すためだった。
永秀つかつかと、老壮の男の横へと回り込んだ。
「……どういうつもりだ?
狼の眼光を持つ白皙の老人は、冷ややかに睨み返した。あるいはそこに敵意はないのかもしれないが、大陸の闇の覇王、
「別に。ただ盟友の苦境とあっては座視することが出来なかっただけのことですよ。君公とて、同胞を討つことに躊躇いがあったのでは? でなければ、二度も三度も仕損じはいたしますまい」
滑らかな日本語でもって彼は穏やかに、だが的確に永秀の痛いところを突いてくる。
だが、その狙いが赤石千明にあること明確だった。
こちらに高く売りつけようとしていたのか、あるいは首輪代わりにして操ろうとしていたのか。
「……赤石の不始末は赤石でつける」
渋面を作る永秀の脇で、ブルーノがゲラゲラと笑いを弾かせた。
「オイオイオイ! なんだ、噂はマジだったのか!? アニメキャラにしてやられたってのは!」
知られるのは覚悟のうえだし、いずれは知られていただろう。だがこの大笑は、永秀に割り切ったはずの後悔をさせるに余りある耳障りさだった。
「そこんとこいくと、どうなんだ署長? で、優秀なニッポンのお巡りさんは、そのコスプレちゃんのスカートの端なりとも掴んだのかい?」
「……まだだ、手配も捜査続けているが、目撃情報はあっても追跡は出来ていない」
昭和の気配を色濃く残す大男であった。
「それじゃあ困るんだよッ」
永秀は四方からのストレスを一挙に爆発させて、がなり立てた。
「確かにドラマじゃ無能な警官は定番だがな! なにも現実でもそこを踏襲しなくても良いもんだろ!?」
「では、お前たちの犯行の場に張り込めとでもいうのか。奴は、お前たちが問題ごとを引き起こした時にしか現れない」
紫門は冷ややかに返した。その視線は、永秀のみならずその場にいた全員を見渡していた。
「毎度、その後始末をさせられる身にもなれ」
本来の客層とは無縁の高級車の列。
その隙間から、カラカラと笑い声が転がってきた。
「いやぁ、まったく……師兄が、ご迷惑をおかけした」
現れたのは、三十代手前ほどの、この中では一等若い男だった。
一九〇ほどの長躯。精悍に焼けた肌。オールバックにまとめた黒髪の下には涼やかな目と優男然とした相貌。
そして、長細い手足と不釣り合いな、大きく、骨太で、大小の傷にまみれた拳。
そのの拳で、提げたコンビニのビニール袋から中華まんを取り出し、頬張る。
「威力偵察が目的だったにせよ、初撃をミスしたのであれば、逃げるべきだった。……もしくは、死を決して臨むべきだ。深入りしなければ敵を知れないとはな」
鳳象。黄老人がその名を呼ぶ。
鳳象と呼ばれた男は、にっこりと匂い立つような所作とともに、袋を掲げてみせた。
「あぁ、これですか。つい小腹が空いてしまって。しかしシーズンオフにもあるものですね。中々に面白い具材もあって侮れない。日本のコンビニもたまには良いものですね」
曹鳳象。再び名を呼ぶ。
それは「黙っていろ」というニュアンスだったが、彼には通じなかった。あるいは通用しなかった。
「これは名乗りもせずに失礼を。僕は
何がしがない一拳士だ。何がお見知り置きだ。
その場にいた全員は、内心そう吐き捨てたことだろう。
その風貌に、その名とくれば、『人間兵器』などという仰々しい二つ名と『泰山連衡』の若き大幹部、拳鬼黄泰全の愛弟子にしてその後継と目されている男という肩書きが自然付随する。
(カネと弁護士と銃弾で大概のカタがつく時代に、カンフーで序列を決めるのかよ)
マイペースな弟子の在りように向ける黄の苦り切った横顔を見て、少しだけ永秀は溜飲を下げた。
「でもよ、この場合……えぇと、どうなるんだ。アレの件は?」
ブルーノは言葉を詰まらせながら、車椅子に向けて尋ねた。
日本語が一時的に不自由になったわけでも、突如健忘症を患ったわけでもない。
ただそれを一語でも口にすれば、途端に空気が一層悪くなることが目に見えていたからだった。
「例外はないよ。ブルーノ」
柱時計が針を刻むかのようなテンポと音域で、老いた日本人は言った。
「……へぇ」
ブルーノの虹彩が、一瞬歪んで、その加減で光を失ったように見えた。
その瞬間だけ、陽気な欧州人のものではなく、毒蛇のそれへと変異していた。
「赤石千明嬢が成人するか、もしくはその存在を知って自分の意思で確認しに来るか、もしくは死亡するまで、あの『遺産』の継承権は保留とする。それが、亡き
すっと色なく細められた目が、永秀のほうを見る。まるでその瞬間のことまで引きずり出されそうな、強烈な牽引力を帯びたそれに、自然横顔の筋肉が張った。
「あの事故の時、何があったのかなど私は問わんよ。ただ、生前に交わした契約は契約だ。永秀くんは彼女の次だ。申し訳ないが、それまで協力できることはないよ」
やわらかな言葉遣い、紳士的な物言い。だが、彼は、永秀の言わんとしていることを先読みし、それとなく釘を刺してきた。
崩れぬその語調には、揺るぎのない壁を感じさせた。
「――話としては、それだけかね。では、我々もそれぞれの領分で多忙な身ゆえ、これにて失礼するよ。行こうか、
白泉老人がそう言い放ったのを皮切りとして、解散の運びになった。
「訳がわからない。いったい彼は何が言いたかったのでしょうかね」
「まぁ、確認と定期報告は大切だ」
「にしたって、わざわざこんなところまで呼び出さなくていいもんさ。それこそオレの店でも……」
口々に不満や疑問や役にも立たないフォローを言い合いながら去っていく彼らの背を、永秀は独り、立ちすくんで睨んでいた。
――わかっている。
自分が、自分だけが、そもそもは彼らと立ち位置やスタート地点が違っている。
歯車が合っていない。だから軋ませて不協和音を鳴らしているし、空転もする。
「あ、そうそう」
幹部たちの最後尾にあって、曹鳳象が足を止めて振り返った。
にこやかに目を細めながらも、その立ち姿には一切の油断が許されないような圧があった。
「こちらからもひとつ報告を。『辰見台』が、ここ数日間で奇妙な次元境界線の動揺を確認していましてね」
「あ?」
「地震における宏観異常、のようなもの、とでも捉えていただければわかりやすいかと」
「なんだそりゃ、それこそ大震災でも起こるってのか? 昔そんな噂もあったな。『起こるはずの地震が起こらなかった』とかなんとか」
「さぁ、どうでしょう。ただそれに類するものが、近づいている。そして世界の垣根を超えようとしている」
「…………」
「信じる必要がなければ、聞き流してもらって結構ですよ」
うさんぐさげな永秀の顔色を察して、鳳象は肩をすくめた。
そんなものは、オカルトだ。
地震の話も、今のくだりも、それを観測したという宇宙人だかドラゴンだか神様だとかの化石を観測するとかいう『泰山連衡』の投資先も、魔法少女も。
きっと何かカラクリがあるはずだ。そうやって、いつだって、誰もが、影で舌を出して自分だけを嗤って小馬鹿にしている。
あの、兄だって本当は……
「それと」
永秀が忌々しい気分に陥る前に、鳳象は続けた。
中性的な笑みを称えつつも、相好を崩さず。
感情らしきものを表出させつつ、その実それがどんなものかは顕さず。
「僕は貴方が、嫌いではない。その浅薄さや醜さは、尊ぶべき悪の萌芽だ。魂を魄に食われながら、貴方の運命の車輪は摩耗しながら回り続ける。せめて最後までその美しき比率のままに在り続けて、己が宿業を全うされますよう」
人の美点を一切用いない、奇妙な礼賛を言い残して、その得体の知れない中国人は踵を返した。
怒情も煩悶も忘れ、永秀はしばし呆然としていた。
我を取り戻したあとにはすでに会合は終わり、秘書の谷尾がしきりに腕時計を気にしながらせわしない様子で主人の帰還を待ち望んでいた。
同じ空気を吸っていた。同じ地点に立っていた。
だがあの怪物どもは、どこまで行っても、言葉が通じようとも理解の範疇の外に在る、異世界の住人たちだった。
ややあって舌打ちし、永秀もまた足早にみずからのベンツへと向かい始めた。
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