第4話

 肉を打擲する音が、港の倉庫に延々響いていた。

 やがてその音には水の気が混じり、苦悶の声と、荒々しい息遣いが加わった。金物を用いるようにもなった。


 振りかざされたスパナは勢い余って、男のくくりつけられているパイプ椅子に当たり、耳障りな雑音を響かせた。


 縛られた男……『ノームズ』の社長の前に、スーツを脱ぎ捨てた赤石永秀はふぅふぅと息を荒げ、シャツの背を熱く汗で濡らして立っていた。

 やがてそんなおのれの姿を、直立する周囲の部下に見られるのを恥じるかのように、手にしたスパナを地面に転がした。


「良いか、おれは別に失敗を責めてるわけじゃない」

 アカシヤグループの社長は目を血走らせながら言った。

「誰にだって失敗はあるし、お前らの力も知っている。ましてお前自身が出張ってそれでもしくじったってんなら相当なアクシデントがあったんだろう。たとえこっちが大枚はたいて入念な人避けをしてやったのにそれをフイにしやがったって、これっぽちも! 気にしてない」


 現に、彼は『ノームズ』が任務を失敗した後も、何度かそのターゲットである姪を事故死に見せかけ謀殺を目論んだ。だがその都度、まるで神託でも受けたかのように、千明は方向を転換してそれらをやり過ごしてきた。


「これは、シンプルな質問だ。すでに何度も聞いてることだ。難しい話じゃない。けどくり返すシンプルな問題ってのは、それだけ重要ってことだ。そしてお前にちゃんと目がついて、おれのコト軽く見てなけりゃあ、さっきみたいなふざけた返事はできないはずなんだ。見たところ、目のほうはまだ達者みたいだがなぁ? てことは後者か? あぁ!?」


 血の泡を口端や鼻腔に作りながら、『社長』は、社長を睨み返す。

「赤石さん、信じちゃくれないだろうが、さっき言ったことが全部ですよ」

 自分と同年代の雇用主に、憐憫と、そして明確な嘲りと挑戦を見せた。

 

「『覚えてない』。答えは変わりません」


 永秀はこめかみを引きつらせた。


「ふざけたコスチュームも、ド派手な髪の色も覚えてる。そいつと間近で殴り合った。でもどうしたわけか、顔だけが思い出せないんです。どこからそいつが現れたのかもね。私らの部下もきっと同じ目に遭わされて、同じこと言ってんでしょう。そりゃあしくじったのは面目もねぇですが、こんなことしても無意味ってのぐらいあんたでも分かるでしょうに」


 永秀に顔には、怒りはなかった。そのボルテージが、ある一線を超えたのだ。拷問相手の言うとおり、悟った無意味さと虚しさだけが残っていた。


 永秀は彼のそばを離れ、みずからが捨てたスパナを拾い直そうとした。だが、血に濡れたその先端を見た瞬間、彼自身から力だとか、熱だとかと言ったものが脱けるのを感じた。


「指、もう一本潰しとけ」


 最後に社長は、そう命じた。



 ・・・・・


 社長秘書、谷尾歳則は密かに嗤った。

 その嗤いを消すために、社長の背に回り、スーツの上をかけ直してやる。


「で、そのコスプレ女の素性、居場所! 何か掴めたのか!?」

「申し訳ありません。先日コンビニ強盗を気絶させたぐらいで、それ以降行方知れずです。むろん、五龍恵署長には根回ししてこれを機に手配はさせましたが」

「……あまり借りを作って均衡を崩したくないんだがな」


 歳則は嗤いを抑えるのに必死だった。少なくとも、声には出すまいと苦心した。


(均衡だと? そんなものはとうに崩れているさ)


 赤石千明が事故から生き残った時点で、そして『ノームズ』が仕損じた段階で。

 彼女の生存はそのまま、永秀にとってのアキレス腱となりうる。そして同時に、『連盟』における彼女の処し方も、それぞれに変わっていく。


 ある者は秘密を飲み込んだままに彼女を葬ろうとするだろう。

 ある者は、もし彼女が真実を知り、意思を表明すればその決定に従うことだろう。

 ある者は、横槍を入れてその利権を奪い取ることだろう。


 知らぬは本人ばかりなり、といったところか。


 そして足下が崩れた赤石は、このまま大きく傾くことだろう。

 こうなっては金次第で状況の有利不利にかかわらずいかな勢力にも与する『ノームズ』との連携は確固たるものにしておくべきだったのに、むしろこの失敗を材料にイニシアチブを奪えばよかったのに。


 一愚人の八つ当たり同然の私情が、それさえも台無しにした。


(まぁオレには関係がない。せいぜい殺し合ってろや。……まぁ、そうも言ってられないかもしれないが)


 王を演じる道化の背中に嗤う。そして、携帯端末に映ったコンビニの監視カメラの映像をあらためて見た。


(そろそろ、先走る奴も出てくる頃だろうしな)


 そして魔法少女の意匠を、まじまじと見つめる彼は

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