第3話

「このスケベ野郎このムッツリ、この朴念仁」


 ぶつくさ言いながら、脱衣所で千明はパジャマに手をかけた。「ちょうどいいじゃないか着替えが出来てHAHAHA」などと死角より抜かすネロを、はっ倒したくなった。


 と同時に、自分の決意を呪いたくもなった。

 ネロを恨まないと言ったがスマンありゃ嘘だった。奴もまた、他の中高生向け魔法少女アニメと同じ。人畜無害なマスコットの仮面をかぶった悪魔。魔法の力と引き換えに不当な代償を強請る冷酷な魔獣だった。


「…………ヘンタイ」

 今度はハッキリと聞こえるような声量で言った。


「誇大な被害妄想だな。何も見返りに抱かせろ、てハナシじゃねーだろ」

「抱ッ……!?」

「ただ、新しい装束の採寸とデザインのためにモデルになれって話だ。別に全裸に引っぺがしても良かったんだぞ。むしろ水着か下着か選ばせてやったのは、温情ってもんだ」


 おおよそ女性相手に真正面から投げつけるべきではないワードをポンポンと出しながら、ネロ自身もまた何事かを準備する物音をさせていた。


 ……ようし、と。

 フツフツとたぎる怒りのままに、千明は水着に手足を通した。

 どうせ、相手はネコのぬいぐるみだ。虚しいだけで、何を恥じらうことがあろうか。

 衝動的な意固地のままに、千明は我が身をリビングに飛び込ませた。


「さぁ来い! 好きにし」


 ろ、と続けようとした乙女の前には、金髪の美少年が立っていた。


 下半身を直接フローリングにつけ、ソファ自体を背もたれに。小柄とも言える身の丈の割には長い脚を投げ出し組んで、その上に千明の購入したiPadを置いている。そして手にはペンタブレットを取り、立ち尽くす千明の姿を認めるや、ターコイズブルーの眼差しがまたたく間に彼女を射すくめた。


「…………」

 千秋は硬直に、数秒間たっぷり費やした。

 やがて裏返った頓狂な叫びとともに、脱衣所へと転身した。


「出たり引いたりモグラ叩きかよ」

 その少年はネロの声音で呆れたように言った。


「うっさい馬鹿! この……ッ、馬鹿!!」

 もともとボキャブラリは豊富な方ではないが、見目だけは麗しい同世代の少年に自分の肌身を直視されるという事態は、彼女からその力をさらに削いだ。もちろん彼が自分には及びもつかない知性と技術の所有者であるこちは知っていたが、それ以外に彼を表する言葉を知らない。


 立ち直った千明は、ノロノロと顔を出した。それから慎重に、ともすればギクシャクと手足を突き出し、やがて腹をくくって全身をあらためてさらした。


 しばし目元を複雑そうに歪めていたネロは、

「……いや、お前の方が気合入ってんな」

 と彼なりに気を遣ったとおぼしき言い回しをした。


 千明が用意したのは中学校の時分、授業で指定されていた水着。全身にフィットするタイプの無地の紺色。いわゆるスクール水着と呼称されるたぐいのものだった。


「しょーがないじゃんッ! ほかに水着なかったんだから!」

「いや、水着なんてプールとか海とか友達と一緒に行くときにいくらでも……あぁ」

「勝手に納得して察しないでくれる!?」


 噛みつくような千明の言動自体には、もはやさほど興味を示さず、ネロは彼女の像をスケッチし始めていた。


 彼女と画面を往復する碧の視線には好色の気配は微塵もなく、その情熱は想像と創造へと向けられている。

 触れるか触れないかという微妙なタッチでペン先を動かしていく。


 千明は彼の動きを目で追った。

 半年前、初変身の夜に抱きしめられたことを思い出す。あの指が自分に触れ、あの目が、自分に対する思いやりと悔恨と覚悟を示してくれた。あの時押し潰れそうになってくれた自分の心を受け止めてくれた。


 あの時にはそれどころじゃなかったけれども、思い返せば頰や耳がぼぉっと熱を持つ。

 いわゆるべらんめぇ口調さえなければ、彼は王子様然とした美少年だった。


「……ポーズとかいる?」

「いらん」

「あのー……ネロさん? ちょっと聞いちゃ、ダメ?」

「うん?」

「なんで普段そのカッコじゃないの?」

「その方が嬉しいか?」

「いや、君の言動って割とあの姿だから許されてるところあるから。今の姿でおんなじこと言われたらモノ投げつける自信があるよ」

「……じゃやめとく」


 本当は目の毒で変に意識しちゃうからだけど。内心でそう告白しつつも、少し傷心したようなネロの表情がなんだか面白くて見ていたくて、黙っていた。


「で、結局のところなんでさ」

「前にも言っただろ。国のゴタゴタ。たとえ別の世界でも、極力姿は見せない方が良いんだよ。まぁこういう細かな作業はちゃんとした身体でやっときたいんでな」


 それ以上は訊くな、という壁のような硬さが、短い言葉から伝わってくる。

 けっきょく多くのことを、ネロは語らない。この感謝の気持ちとかは、一方通行なのだろうか、と千明は不安がった。

 一方的に自分が甘えてワガママを言っているだけで、ネロを縛っているのではないか。彼に責任を求めないと言いつつ、結局彼に無理を強いている。


 現に、彼の手はある瞬間を境に宙に留まっていた。視線は、千明に定まったまま。


「……あの、ネロ?」

「やはり、防御の面で不安がある」

「え?」


 おもむろに口を開いたネロは、ペン先で一点を指し示した。

 千明の身体の正中線、腹部より少し上のあたり。そこにはなだらかな丘陵が存在していた。


「悲しいかな、胸部の緩衝材としてはあまりにリソース不足。かといってまるきり壁というわけでもなく、なまじ中途半端に発育してしまっているがゆえにいたずらに投影面積を拡げるばかり。だがこれ以上の変化は望むべくもない。……なぁ千明」

「…………」

「提案したいんだが、変身時に膨らませるのと削るのどっちが……ぐえっ!?」


 大真面目にそんなことを聞いてくるネロに、今までの憂慮をすべて吹っ飛ばして、千明はゲームのコントローラーを投げつけた。


・・・・・


「要望通りスチームパンク色は薄れさせるとして、胸以外に何か気がかりな点はないか?」

「胸のことなんて一ッ言もコメントしてないででですー! それにスチームパンクは止めろって言ってるんですけどね!?」


 着替えから戻ってきたとき、ネロもまたネコの姿に戻っていた。

 痛覚やダメージというものは共有しているのか。フードが下から押し上げられるほどの大きなコブが隆起していた。

 多少気の毒には感じたが、そもそもの原因がこいつのセクハラまがいの発言だと思い直した。


「……まぁ、強いて言うなら露出控えめ、現実離れしてないヤツでカジュアルかつ可愛い系ので」

「漠然としてるくせに意外と細かいな」

「あ、それと」

「まだあるのか」

「なるべく僕だとバレないようにしてください。髪の色とか以外で」


 忍者が印字を切るポーズを取る千明に白けた目を向けながら、ネロは言った。


「それについては、一着目の時点で問題ねぇよ。ふつうにやってりゃバレやせん」

「え?」


 念押しするかのようにもう一度ネロは言った。


「バレない」

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