第9話
火は消えた。土煙と濃い闇がその場に再び流れ込んできた。
対峙する最後のモグラは、手にしたシャベルをおもむろに、焦げ目のついた地面へと突き立てた。
作業着の胸ポケットからタバコを一箱と高そうなライター取り出すと、マスクとゴーグルを剥ぎ取った。ライターの火で照らされた顔つきは見た目の野暮ったさに反して若く、精悍だった。
怒りか、恐れか純粋な混乱によるものか。その持ち手は微かに震え、紫煙はその先で嘲るように踊っている。
だがそれもすぐに収まり、
「誰だ、お前」
と『社長』はあらためて問う。
「何故、赤石千明を庇う? どこの組織の差し金だ」
(誰だお前もなにも、ついさっきこの場で殺されそうになってた本人なんですけど)
などと馬鹿正直に答えるのもどうかと思う。どうした訳か正体は知られていないようだが、それなら幸いだ。思いっきりハッタリし倒すほかにない。
代わりに、控えめな胸を張って答える。
「通りすがりの、正義の魔法少女です!」
「…………」
〈…………〉
目の前で、念波ごしに、呆れと白けの吐息がこぼれる。
その沈黙にいたたまれなくなって、千明は目線と言葉尻を泳がせた。
「……てな感じで、どうでしょう?」
つい数秒前の威勢はどこへやら。そう情けなく是非を問う魔法少女に、
「あぁそうか」
『社長』は薄く目だけで嗤った。
「お前、素人だろ。いや、喧嘩さえ今までまともにしてやしない」
そう看破され、動揺し、千明の意識に一瞬の空白が生じる。
その直後、眼前に熱と風を感じた。
とっさに手の甲で払いのけたそれは、今まで彼がくゆらせていたタバコだった。
だがその残り香と煙幕の先に、赤錆びた鉄があった。
掠めた鼻先に風の圧を感じる。シャベルが、眼前を通り過ぎていった。
返す刃が動脈を引き切るべく頸を狙う。
それを自らの杖で跳ね返しながら、千明は訴える。
「もうやめましょうよ! 女の子ひとりを狙って失敗して……! そんでもって八つ当たりって、情けないにもほどがあるでしょ……っ!」
「あぁまったくその通りだ。けどだからこそなんだよ!」
彼女と競り合いながら、男は歯を見せて低く吠えた。
「こんなクソみてぇなシゴトひとつにしくじりましたハイそうですかじゃこの稼業は済まねぇんだよ。言い訳するにしても、材料が要る。それがお前さんだ」
あまりに身勝手な大人の理屈。だが言い返すことも跳ね除けることもできなかった。
彼自身の腕力が他の『モグラ』たちと一線を画して強いというのもあるが、何より駆け引きが上手い。
彼女が押せば引き、逆に引こうと思えば敢然と攻めてきて、距離を取ることを許してくれない。おそらくはチャンバラ小説でよく見る『粘り』とかいう術理に通じるものがあるのだろうが、彼の指摘したとおりの素人の自分とはその技巧は雲泥の差だ。
どうすればいい。そう心を介してネロに問う。
〈力づくで良い。とにかく間を開けろ。今は突破口がそれしか見つからん〉
ゲームのサポートキャラに言われたらコントローラーを投げつけるレベルの無策である。
とはいえ、確たる代案が千明の頭にあろうはずもなく、それに盲従するしか術がない。
押した。杖で、拳で、足で、とにかく攻め、圧した。
当然相手はいなしにくる。捨て身気味のタックルは難もなく横にスライドされて回避され、無防備をさらすその背がシャベルで突き刺されようとしていた。
「っ!」
砂に着いた手に、力と念を込める。
意図したわけではなかったが、魔力の熱が地面に叩きつけられた。
電磁パルスのように無軌道に、四方八方に流されたそれは地面を荒らし、背後に立つ彼をも巻き込んだ。
「ぬっ!」
低く奇声をあげて、彼は飛び退いた。履いたゴム靴を溶かす力さえなかったが、何しろ相手は魔女なのだ。どの攻撃も未体験でどんな虚仮威しにも、過剰に警戒を敷かざるをえない。
そして自分自身、何ができるかわからない。
とまれ、これで隙と間合いができた。
〈今だ、やれ!〉
と鋭く飛んでくる野次に従い、内燃する生命が、炎の槍となって杖の先端に形成される。
五本ばかりのそれらは彼女が杖を大きく振りかざすと、直線を描いて『社長』の方角へと飛んで行った。
だが彼は何を思ったか、攻撃魔法を前にしながら避けるでもなく、シャベルを捨て、足下に転がるワイヤーを掴み上げた。
ただのワイヤーではない。その先には、作業車から千明の攻撃が切り離した、クレーンが取り付けられていた。
雄叫びとも怒号ともつかない声。あろうことかそれを両手で持ち上げた。
人間が持てるものだったっけそれ、と唖然とするまでもなく、今度は片手で持ち替え、まるで鎖鎌のように片手で旋回させ始めた。
その一振りが千明の火槍をことごとく消し飛ばした。そしてハンマー投げの要領で勢いをつけて、彼はその鉄の爪を放り投げた。
軌道上には千明がいた。面積も質量も加速度もある。何より度肝を抜かれて、不意を突かれた。
かわしきれなかった。防壁が直撃を避けてくれたとはいえ、その風圧で杖が弾き飛ばされた。体勢を崩している間に、シャベルを拾われ一気に間を詰められた。
服の装飾に手をかけられて押し倒され、膝を首にかけられる。振り下ろされたシャベルが防壁を突き破り、首筋へと当てられた。
「建築作業員を舐めるな」
息をつきながら彼は言った。
「ありとあらゆる物質の構造、物理法則は修めてしかるべきだ。そのうえでお前を覆うものは流動体と見た。だったら簡単だ。波打たせて、弱い箇所を意図的に作りゃいい」
そう嘯く彼だったが、何も自慢をしたいわけでもないのだろう。
彼自身、連続した重労働によって乱れた呼吸や鼓動を整える必要があり、その時間稼ぎだ。
それを千明は、話半分に聞き流す。
もはやどこから突っ込めばいいのか、考えるだけでバカバカしくなったというのもあるが……ネロが、頭の中にささやきかけているのが、その最大の理由だった。
「…………」
自分のものとも思えない色の髪をかき上げ、少女は微笑み、掠れた声でつぶやく。だがその微笑は、多分に苦味のこもったものだった。
「あ?」
『社長』の顔が怪訝に歪む。
だがその微笑も、呟きも、彼に向けたものではない。
それでもあえて、千明は目の前の敵に愚痴をこぼした。
「いや、出来るなら先に言えよ、って」
次の瞬間、彼女の送った念に応じて、離れた場所に転がっていた杖が飛んだ。千明自身にではなく、彼女を押さえつける男に向けて。
「なっ!?」
慌てて飛びのく『社長』だったが、それは失策だった。少なくとも、視線と武器を彼女から離したことは。
直後に自身でもそのことに気がついたのだろう。驚愕の表情に悔恨が混じり入って歪む。
その横っ面に、千明のフックがめり込んだ。
彼女の上から一気に右端の仕切りまで吹き飛んだ彼は、そのままズルズルと腰を落として、うなだれたまま動かなくなった。
いや、かすかに痙攣しているから死んではいないだろう。
そして千明もまた、ダブルノックダウンのような体で、その場で勢い余って倒れ込んだ。
仰向けになって夜空を見上げながら、赤石千明は考える。
昔見ていた……いや今も絶賛視聴中だが、魔法少女もののアニメと、今の自分を比較して。
それらの作品の中にはもちろん大人向けの、通例をパロディ化させて穿ったような作品もあるが、みんな宝石や化粧品といった女の子の夢の象徴のようなアイテムで変身する。
そして、人々の夢を奪う化け物とか異世界からの侵略者とかいう分かりやすい敵がいて、キラキラの魔法でそれを退治して……というのが大概だ。
明確な悪意。自分を捨ててでも、護るべき世界。幸福。一方自分は言われのない人間の殺意から、泥臭い殴り合いで、我が身可愛さに戦っている。
彼女らの戦いは、メタ的に言えばいつかはエンディングを迎える。
予感がある。
この戦いはきっと、自分が死ぬまで終わらない。
「……ははっ!」
魔法少女は笑った。
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