第8話

「お、おお、おぉ?」

 視界が普段より鮮明で、広がっていた。

 駅に立つと反対ホームの駅名を読むことさえ最近では危うかったのに。


 固まる千明の姿が、その足下に散らばったガラス片に写り込んでいた。


 一瞬それが、自分だとは分からなかった。

 髪が変わっていた。色は青く、質はきめ細かに、長さも、腰まで伸びていた。魔法少女……いやパステルカラーを一切使わない装束は、女魔法使いあるいは魔女といったほうが妥当だろう。


 硬直が解けるのは、作業員たちのほうが早かった。

 この空間の中で誰よりも早く状況を把握した短髪の男は、自分の背後にあるスチール製の仕切にシャベルを叩きつけた。

 けたたましい金属音とともに、左右に彼と同じ姿をした暗殺者たちが展開した。

 この異常な状況がどういう結果を産むものであれ、自分たちの犯行を見た者は排除し、対象は確実に殺す。その一点だけは彼らの中で揺らぐことがないようだった。


 中央寄りに陣取ったふたりがシャベルを槍のように前に傾け、挟み込むように両側から突っ込んでくる。


 千明の口から、ひきつった声が漏れた。とっさに背を丸め、そむいてうずくまる。その頭の中に、


〈このバカタレが!〉

 と声が響いた。ネロのものだった。

 反射的に振り返った矢先に、シャベルの刃の一本が目前まで迫っていた。腕を交差してそれを受けながら、ひぇぇぇと腰を抜かした老婆のような声が絶え間なく絞り出される。

 無防備なその後頭部を、容赦なくもう一方が襲った。


〈いかにも私は戦闘処女のペーぺーでございなんてムーブをするな! 何でも良いからハッタリかますんだよ!〉

「しょ……ッ!? ていうか、いったいどこから声が……」

〈隠れてるに決まってるだろ。今、お前は俺と魔力のパスで繋がってる状態だ。そこを介してお前に念波を送ってる〉

「あぁそう……つまり一人安全な場所で高みの見物ってわけですか」


 そう毒づく彼女だったが、さも当たり前のようにネロは、


〈そりゃお前、この俺がデザインした戦装束がこんな奴らに負ける道理がないからな〉

 と答えた。

〈現にお前、愚痴を言いかけながらも結構余裕じゃねぇの〉

 とも指摘した。


 あれ、と違和感に気付き始めたのはそれからだった。

 たしかに彼の言葉どおり、思った以上の苦戦はない。両手で支えているスコップに、それほどの脅威を感じない。

 自分は話しながら耐えているのに。いや、違う。ゴーグル越しに窺える必死の形相が、それを本腰を入れた一撃だったことを物語っていた。


 では後頭部への一撃はどうか。これも問題にはならない。恐る恐る覗き見れば、熱波、あるいはそれによって生じる蜃気楼のような半透明の膜が、背後の彼と自分の間を塞いでいた。

 それでも無理くりにシャベルを押し入れようとするモグラであったが、まるで彼自身から受けたダメージをそっくりそのまま返すかのように、障壁から発せられた圧が彼を吹き飛ばした。


〈あのな、俺が無意味なコスプレのためにわざわざそんな装備を作ったと思うのか? 当然物理防壁と筋力強化は基本プログラムに組み込み済みよ。そもそもこいつはわが国の軍服にも正式採用が予定されていた魔力の伝導率を向上させた合成繊維で編み上げられていて従来のそれより三割増しで構成魔術式の〉


 それ以降は長いので聞き流したが、言われてみれば、身体が軽い。

 月並みな表現をすれば、それこそ羽でも生えたかのように。


 軽く踏み込むだけで、次の瞬間には別の敵の、すぐ胸元まで接近していた。


「うおっ!?」

「うわぁ!?」


 互いに驚く。

 反射的に突き出したその手はとっさに振り下ろしたツルハシを根からへし折り、フェンスまで吹き飛ばした。断末魔をか細く伸ばしながら飛んでいく彼は、フェンスを吹き飛ばしてその奥の闇へと消えていく。その様子を唖然と見つめながら、千明は後悔とともに彼の身を案じた。


「……あのヒト、大丈夫かな?」

〈大丈夫じゃねぇだろうが、これで死んでるようなタマならもっと楽できてる。……そもそも敵を心配できる状況じゃねぇぞ〉


 あらためて周囲を見回す。

 敷かれていた半包囲は遠のいた。敵にはかすかな怯え、いや自分に対する嫌悪や畏怖がある。だがそれを上回る、確固たる憎悪と殺意を感じさせた。

 今まで何一つとして感じたことのない視線、感情。内側から吐き気のようにこみ上げてくる何かをぐっと呑み下し、少女は拳を握った。


 弱音は吐かない。

 そういう地獄を見てでも生きたいと願ったのは、それを承知で彼に乞うたのは、自分じゃないのか。


「……そうだよね! 生きるか死ぬかの瀬戸際だもんね戦わなきゃ!」


 そう意気込みを見せる彼女に対してネロが返したのは、


〈…………〉

 重苦しい、沈黙だけだった。


「なんだよ、ヒトがせっかくやる気になってるのに」

〈……お前、やっぱり……まぁ良い。今考えることじゃない。それより、次が来るぞ〉

「上等! 矢でも鉄砲でも持ってこい!」


 そう気を吐く千明だったが、鋭く澄まされた彼女の聴覚がかすかな駆動音を捉えた。

 やがてそれは地面を揺らすほどの重低音にまでボリュームを上げていった。

 それが頂点に達した瞬間、家屋を倒壊させ、フェンスをなぎ倒し、インド象を想わせる巨大な影が現れた。


 矢でも鉄砲でもなく、クレーン車が来た。

 工事現場で見るものとおおよその形状は一緒だが、規模が違う。

 それは日本で見たことのない、海外の高層ビルの破壊や修理に用いるためのもの。

 釣り針のような返しのついた鉤爪が、油圧のシリンダの力によって大きく伸び上がる。

 一五〇メートル程度しかない、ひとりの少女の殺傷に使われようとしていて、


「その『クルマ』はお呼びでない!!」


 千明は叫び声とともに訴えた。


〈目算でブームとジブ合わせ八〇足らずってところか。こいつをためらいなく投入できるか。敵の戦力を見誤らず、外聞や上っ面のプライドを放棄するか。いやたいしたもんだ〉

「んなこと言ってないでなんかないの!? ビームとか!」

〈キーの回し方も分からねぇってのにアクセルの踏み込み方なんて教えられるか〉


 他人事のように感心してみせるネロは、自分の作品によほど自信があるらしく、その『兵器』を脅威としては感じていないようだった。


〈コマンドキーを回せ。ハナシはそっからだ〉

「キーって」


 そんなものどこに、と言いかけた彼女の目に、自分の腰の角燈が留まった。火力を調整するツマミ。その頭部が四つ葉のような、昔の金庫の鍵を思わせる意匠になっていることに気づくとともに、千明はネロの意図を理解した。


  その『鍵』を時計回りにねじると、ランタンのケースの中の火が膨張し、ガラスを通過し飛び出して、驚く主人の右手に収まった。熱くはない。むしろそれは、使い慣れたハンドクリームのように肌に馴染み、やがてその手の中で形を変えていく。


 それが明確な形と感触となったのと、クレーンが彼女を押しつぶそうとしたのはほぼ同時だった。


 獣の唸り声にも似た金属音が両者の間で鳴り響く。その力は衝突し、拮抗する。

 槍ともステッキとも、あるいは魔女の箒ともつかぬ、先端が鋭利に研がれた奇妙な形状の杖は、その細身でもってクレーンを跳ね飛ばした。


 大きく車体が浮き上がる。

 本当に在宅かはともかく、あれが転倒すれば周囲の民家に被害がおよぶ。その未来図を想像した千明は、なんとかしてそれを回避せねばと願った。

 その意に呼応した彼女の杖の穂先が、風を呼び起こす。周囲でくすぶっていた残り火がその風に吸い寄せられて、倍加し、渦を巻く。太陽のごとく、周囲を照らす。

 まだ、今この場で、ここまでに起こった何もかもが受け入れきれていない。それでも、今やるべきことは己自身の直感が、だったらどうするべきかはこの力と熱が、そしてネロが教えてくれる。


 ただ渾身の力で、杖を一振りすれば良い。


 気合とともに杖を虚空へ突き出す。

 軌道を描いて飛んだ火球は無数に分かれ、赤光の太刀筋に変じてクレーン車を、運転席を除くありとあらゆる焼き切った。


 様々な形の鉄塊が溶けたハンダゴテを思わせる不愉快な異臭とともに地面へと落下する。横転した運転席が土の上を滑り、逃げ惑うモグラたちを巻き込むように弧を描いた。


 だが幸いにしてか、ネロの作ったシステムが自分の与り知らないところでそうなるように演算したのか。ふしぎと死者はいないようだった。


 それでも、出来ることならもう体験したくはない光景だった。


 彼女自身の口から安堵の息がこぼれ落ちる。だがかすかに伏せた視線の先に、二足のゴム靴が見えた。

 戦々恐々と、ふたたび顔を上げる。


 ただひとり、作業着の男が廃棄物となったクレーン車と逃げ散る同僚たちを背景に仁王立ちしていた。

 ただ一本の、シャベルを片手に。


 それは、最初に自分を迂回させた作業員。殺されそうになった直後、炎の向こう側で彼らに『社長』と呼ばれていた男の背丈だった。

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