第6話

 それから、ネロの前で少女はよく笑うようになった。

 自分が知る限りでのこの世界の常識や知識を我が事のように自慢し、漫画やアニメの流行の変遷について早口の熱く語る。


 退院して、ようやく行動の自由を得た少女、赤石千明の弁はさらに拍車をかけた。


「ネロの世界にはないでしょ、こんな建物」


 と、電化製品や食料品を買いに来た商店街で得意げな顔をする彼女だったが、その灯浄の街にはしゃいでいるのは他ならぬ彼女自身だった。


(まぁ、亡命は今回初でも下見には来てたから知ってるけどな)

 ちなみに前回は大宰府に観光した。


 それを興味深げな顔をして聞き流しながら、少女の横顔を荷物から覗く。


 たしかに洗練されたアーケードだと思う。

 商業ビル同士を回廊でつなぎ合わせ、地上上空の空間に余すところなく移動経路を張り巡らせている様は、さながら蜘蛛の巣のようだった。


 人の出入りも激しく、活気に満ちている。

 外側は観光客向けに洒落たスイーツショップや地産地消のレストランが立ち並び、中に入れば地元民向けに洋服や古本屋がひしめいていて、老若男女の客層を余さず囲んで離すまいという商魂を感じさせた。


「いい仕事だ」

 そういう意欲は、職人気質のネロにも好ましい類のものだ。

 その街並みを一通り巡った後、大型電気店に入った。


「ふふふ。この箱で色んなゲームが出来るのさ。近所の友達から世界中のゲーマーまで、誰とも一緒に遊べるのだよ」


 と、妙なキャラを作りながらゲームを買い込んで行く。


(アサクリ、fallout、ダークソウル、ペルソナ……てお前どれもこれもソロメインじゃねぇか)


 そのラインナップを見ながら、言葉にせずともネロは突っ込んだ。

 ため息をこぼしながら、彼はリュックから身を乗り出し、大安売りのワゴンへと手を突っ込んだ。

 タップやゲームのパッケージの上に引き抜いたソフトを置くと、傍から「え」と声が漏れる。


「俺はこれをやってみたい」


 パッケージのCGや説明から読み取れる情報から推察するに、一世代前の、中堅どころのシリーズ物と言ったところか。何より対人がメインらしい。

 さすがにある程度の知名度は獲得しているらしく、「あーそれね」と千明は相槌を打った。


「けどそれ、前のヤツだから多分オンラインもう過疎ってるよ。操作性も他のと違ってあんまり良くないし」

「やったことあんの?」

「……ソースはアマゾンです」

「てぇことは、お前も未プレイ。ゲーム初心者の俺にも勝ちの目はあるってことだ。それともゲーマーのイロハを叩き込んでくれるのかい? センセイ」


 あえて挑発な物言いをするネロに、少女はギシギシとぎこちなく口端を吊り上げた。

 それから、対抗心とはにかみを滲ませた複雑げな顔つきで、


「しょうがないなぁ、それじゃ千明さんが、教えてあげるとしよう」

 と応じた。


 ただその目元に、こらえきれない嬉しさを浮かばせて。


 〜〜〜


 小一時間ほど後、千明とネロは帰途についていた。

 時刻は黄昏時。出かける前には瀟洒な繁華街の様相だった街並みも、それこそ誰そ彼と問いたくなるほどに夕闇に沈み、まったく別の貌を見せていた。


「いやー、さっと買ってさっと帰るつもりだったのに、つい買っちゃった買っちゃった」


 大量のゲームをスクエア型のリュックにしまい込み、好きな店のスイーツやらを買い込んだ袋を両手に提げて後悔を口にする。だが、表情はそんな感情とは程遠い。


(まぁ、元気でいてくれるのならそれに越したこたない)


 リュックの中で硬い感触に挟まれながら顔をのぞかせ、ウンウンとネロは頷いた。

 ……たとえそれが、と続きそうになるところを、大きな揺れが妨げた。

 千明の足が、止まっていた。


「どうした?」

 声を低めて問う彼に、いや……と戸惑うように言葉を濁し、前を指で示す。


 その先には、水道管工事の看板が立てかけてあった。メット頭を下げる作業員のイラストはポップでありながら、薄暗がりの中で見るとどこか不気味だった。


「来る途中には無かったと思うけど」

 千明はそう呟いて首を傾げた。

 ……その呟きを耳で拾った瞬間、悪寒のようなものがネロの擬似ボディを襲った。

 だが、形容しがたいその予感を言語化する前に、

「しょーがない。別の道から帰りますか」

 と千明は納得し、妥協する。


 だが、彼女が道を反転した先。その路地もまた、同じ看板が立てかけてあった。


「さっきの続きかな?」


 千明はまた身を翻した。

 だが土地勘がない彼女が右往左往するほどに、道はより人気のない、奥まり、細まった道へと入ってしまっているようだった。


「千明」

 焦りを見せ始めた少女に、リュックの中から声を低めてネロは言った。


「スマホ見ながら俺がナビする。とりあえず店まで戻れ」

「う、うん……」


 来た道を戻ろうとした彼女を、

「すいませぇん」

 と呼び止める声があった。


 千明が振り返ると、メットをかぶった作業着の男が立っていた。並び立つ看板と違う点は、防塵用のためか分厚いマスクとゴーグルで顔を隠していることか。

 その異質ともとれる出で立ちは、地中からひょっこり顔を出したモグラを想像させた。


「こちら工事中でして、申し訳ありませんが、脇の道を迂回していただけないでしょうか」


 表情こそ窺えないが、声には懇願の念が込められていた。それに背いてまで直進できる人間はいはしまい。


「あ、はい。わかりましたー」

 逆に申し訳なさそうに、千明は指示に従い道を折れた。


 男のいた方角から、物音が聞こえた。看板を撤去したか、あるいはこれ以上誰も入ってこないようにさらに数を増やしたか。


 人が二、三並ぶのがやっとという道幅の、住宅街の裏手。にも関わらず、複数人がその小路を塞いでいる気配がある。

 そして、背後からは聞こえよがしに靴音を響かせている。


(そもそも、あの作業員の服は顔面の完全防備に反して、泥の一滴も付着していなかった)


 その段に至って、ネロの心にうっすらとかかっていた暗雲は、確信に変わりつつあった。


「千明」

「え、なに?」

「角を曲がったら全力で走れ」

「え?」

「障害物があろうと誰かに妨害されようとも構うな。まっすぐ大通りに出ろ」


 彼の声のトーンといつまでもつきまとう足音に、さしもの女子中学生も察するところがあったのだろう。

 どこまで納得したかは知るべくもないが「う、うん」と張り詰めた表情と声とともに頷いた。


 早歩きで曲がり角へと向かう。

 折れ曲がった瞬間、千明は大きく踏み込もうとした。

 だが次の瞬間、脇道から伸びた何かが、少女の低い頭身の上をかすめた。


 赤錆びた三角形に鉄器。それと持ち手を支える太い柄。作業用のシャベルだった。

 そして逆手にそれを握るのは、メットにゴーグル、作業着という服装の男だった。


 だがさっき回り道をさせた男とは微妙に骨格が違う。やはり、この道を封鎖しているのは複数。それも計画的かつ組織的だ。


 壁に凶器の先端を突き刺したまま、ゴーグル越しに感情の乗らない目が少女へと向けられる。


 体勢を大きく崩しながら、千明は半狂乱になって逃げ出した。


 だがそれは、下手だ。

 強行突破すべきだったしあるいはどこかの塀を乗り越えて、民家に乗り込んででも助けを求めるべきだった。


 そう進言しようにも、リュックの中で揺さぶられる状態では千明の耳に大半は入らないだろう。いや、むしろパニック状態の彼女が足を止めてしまったら、もっと危うい。

 それに、道無き道に退路を見出せと求めるのは、女子高生には酷な話だ。


(けどあいつは、あの攻撃で仕留める気はなかった)

 おそらくは誘導。確実に、千明を死地へと追いやり、殺そうとしている。


 ネロは舌打ちした。自分の見立ての甘さに腹が立った。

 用意されたマンションの一室。そこの水に毒物など入っていなかった。監視カメラも、盗聴器も爆発物もめぼしい場所にはなかった。


(諦めたと思っていたが違う。そもそも連中は、この娘を長く生かすつもりがなかった)


 千明たちは、ぽっかりと空いた場所に出た。

 住宅街の中心。そこに現れた建設現場は、不自然なほどに整えられていた。

 それはさながら、斬刑に処されるためのお白州を想わせる。


「……まずい。この場所は、まずい!」


 ネロは外聞を憚らずそう叫んだ。

 だが、身を翻そうとした矢先に、クレーン車で釣り上げられていた自動車が、千明たちの頭上で落下し、着地と同時に砲弾のように爆発を引き起こしたのだった。

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