第5話
――事故から五ヶ月ほど後のこと。
病室で目を覚ました赤石千明が最初に見たのは、白い天井と電灯、その下で覗き込む、黒猫の青い瞳だった。
それからようやく看護師だった。
「よう、やっと完全に同期したか」
人語を話す彼に驚く暇もなく検査や心理テストめいた質問がくり返された。
あの太った院長先生が驚いて、というよりは慌てふためいて、重厚な足音を響かせて病院内外を右往左往していたのは記憶に新しい。
その間、黒猫は見舞い品の中に埋もれてぬいぐるみに徹していた。
落ち着いた頃には、死に至るはずの火傷は、ほとんど完治していた。
「えー、と」
言葉を詰まらせる。状況が判断するに、情報が少なすぎた。否、視覚、聴覚あるいは幻覚から流れ込んできた情報が、死の淵から目覚めたばかりの頭で処理するにはあまりにも多すぎた。
自分を見て硬直する少女を見かねてか。
「『生きたい』って言ったのは、お前さんじゃねぇの」
と、愚痴めいた調子でこぼす。
その一言で、おおまかな疑問は解かれた。
あぁー、と千明はそれに合わせて声を漏らした。
「言ったねぇ。…………言っちゃった、ねぇ」
フラッシュバックする事故の映像。こみ上げる吐き気。両親が死んだという事実。自分ひとりが浅ましく生きてしまったという、後悔。
それらをひっくるめて呑みこんで、少女は強張った笑みを作った。
「それで、君は僕を助けた? というか、治した?」
「そういうこと」
「なんでネコ?」
「本体は異次元の狭間だ。何しろお前の施術は大仕事だったからな。俺も相当魔力を消費しているから省エネモード。他にもまぁ理由はあるけど」
じっと彼女の口元を、観察するように見ていた彼は、その視線をそらすようにして答えた。その背には、見舞い品の菓子やフルーツ、寄せ書きがあった。
もっとも寄せ書きのほうは、進級手前に転入してきた学生が瀕死になったところで特にコメントなどはないらしく、
「がんばってね」
だとか
「大変だろうけど、元気に学校にきてください」
など、無責任かつ社交辞令的なあいさつがまばらに書かれていた。
そしてその筆跡には知人以下の相手にどう思いを綴れば良いのかという戸惑いが見え隠れしていた。
それらについては極力考えないようにしながら、今度は千明が現実のものと認めがたい生物を正視し、問わなければならなかった。
「つまり君は、お医者さん?」
「いいや、違う」
短い足を器用に組み直し、黒猫は首を振った。
「俺は、ネロ。
矮躯に見合わぬ堂々たる名乗り口上を、千明は五か月後に新居で聞くことになった。
それから数日がかりでいろいろな情報を共有した。
曰く、自分は異世界から来たとのこと。
その世界の技術力はこことそれほど変わらないこと。ただひとつ異なるのは、人間の営みを回しているエネルギー源は電力ではなく魔力というものであること。
「俺はそこで技術者をしていたんだが、ちょっと国の方でゴタゴタがあってな。以前から逃亡先と目当てをつけてたこの世界に亡命してきたってわけよ」
積み上げられた絵本や教科書、参考書の上でそう嘯く彼に、はぁ、と千明は生返事を返した。
「なんだよ、信じてないのか」
「ヒジョーシキな存在がここに二人もいて、信じるも信じないもないんですけど……」
服を着て喋るネコに、地獄の業火から蘇った女子高生。真偽を問うならばまずこの取り合わせからで、疑い出せばそれこそキリがない。
だから千明としては彼の言葉を鵜呑みにするほかなかった。
「で、転移した矢先に死にかけていたお前がいた」
そこまでは覚えている。自分が死にたくないと願った先に彼がいたこと。そして、手を掴んだ瞬間に自分たちが炎に呑まれたことも。
「僕に、何をしたの?」
今まで恐ろしくてあえて外していた質問を、彼女はそこで正面を切って問い質した。
語るよりも、見せる方が早い。
そう言いたげに、彼は何もない空間を指先ひとつで歪め、そのひずみの中に腕を突っ込んで、球形のものを引っ張り出してきた。
少女の片手に収まるくらいの、ちいさなガラス質の透明な入れ物。
中はわずかなスペースであるにも関わらず、何物をも飲み込んでしまうような純度の高さを持っていた。
触れられない炎だろうと雷だろうと、とうてい容れられないだろうはずの岩石だろうと……それこそ、魂や生命といった概念さえ。
「この『ケージ』は、簡単に言えば周囲のエレメントを取り込んで人工の生命エネルギーへと転換する代替装置だ。互換性ある万能の生命。それを目的として俺が設計した」
「互換……生命……?」
「で、こいつを肉体機能停止寸前、死にかけのお前に移植したってわけ。ざっくり言うと、人工心肺みたいなもんだ。いや、それよりも汎用性を高めたスグレモノよ。こいつによってお前の一命を繋ぎ止めつつ、その機能のひとつである再生能力を肉体に付加した。どうだ、すごいだろ!?」
はぁ、とこれまた生返事。千明は自分の胸を撫でてみた。別段違和感や異物感のようなものはないし、検査でも重傷者だったとは思えないほどに問題なしだった。
その所作から彼女の疑問を汲んだのだろう。ネロは笑い声を立てた。それは少年っぽい、というよりも悪童じみた声だった。
「人間を人間たらしめるものが全部身体の中に入ってるとは思うなよ。もっと別の位相、お前から切り離されかけてた生命の幹部に取り付けたんだよ。こんな術式できんのは世界広し多しと言えど、俺ぐらいなもんだな。俺、医者じゃねぇんだけどな! あっはは!」
自分の仕事を誇るかのように目を輝かせ、息と声を弾ませる。短い足をぱたぱたと上下させ、尾をブンブンとさせる。
見てくれこそ愛嬌はあるのだが、その発言とエキサイトぶりは、
「……マッドサイエンティスト」
そのものだった。
千明が小さく口にした評は黒猫にとっては不本意だったらしく、フードの奥底で碧眼が眇められた。
「マッドサイエンティストだぁ? どこ見て言ってやがる」
「いや、イタイケな少女を弄繰り回しましたなんて告白しながら目ぇキラキラさせてるの、どう見てもそのテのヒトでしょ……言い換えればサイコだよ。大丈夫? 意識ないときに魂吸取るとかそんな誓約書に印鑑押させてない? 突然凶悪な巨大モグラとマッチメイクさせたりしない?」
疑念を不信をぬぐい切れない彼女に、ぐいと上半身を近づけて。鼻先を突き合わせるように睨みながら、ネロは甲高く吼えた。
「ふざっけんな! 人がせっかく助けてやったのに! 俺がお前の身体をバラバラに解剖したか? 醜い人外に変貌させるウィルスでも仕込んだってのか? あるいは俺の尻の下にある
顔を近づけてまくしたてる小動物に気圧されて、また周囲の耳目を気にして「わかったわかった」と千明は制した。
「……で、本当に無償?」
「無償だよ? ただ、『あー上手いこと生活拠点手に入んないかなー』とかは考えてるけど。困ったなー」
「うん、全ッ然奉仕精神じゃないね」
「ちょっとは欲目茶目っ気を見せたほうが、お前としても安心だろ?」
カカ、と悪びれることもなく笑い声を転がせながら、自身もまたくるりと身を軽やかに翻して元の位置と姿勢に戻る。
(まったく、怒ったり笑ったり忙しいネコだなぁ)
とはいえ、命の恩人には違いない。
退院したら少しぐらいはアフターケアとやらを受けがてら、面倒を見ることもやぶさかではない。
幸い、父と祖父の跡を継いだ叔父が今後の生活の面倒を見てくれることになっている。会社の渉外担当だった父と会長であった祖父を相次いで喪って、現社長として多忙を極めているというが、資金面ではひとり、いや一匹増えたところで問題ないだろう。
だから心情的にも経済的にも受け入れ態勢は千明の中ですでに整っていた。
しかしあえて「ただし」と彼女は条件を付けくわえた。
「もう一個だけ、正直に答えてほしいことがある」
「なんだよ」
いぶかしげにターコイズブルーの瞳が形を変える。
詰まらせそうになった息の塊を喉の奥に押し込んで、千明は問うた。
「ネロがもう少し早く来てれば、お父さんとお母さんは」
……問おうと、した。
しかし結局、自分で埒もないIFなど気づいてその問いを沈黙の下に埋めた。
なんでもない。そうことさらに明るく言って、握りしめたシーツに、顔を埋めた。
「つぁあ!」
と、大声を出しながら顔を一気に跳ね上げる。
「うわおびっくりした! 何事だよ……」
と驚くネコに、拳を握り固めて意気込んでみせる。
「気合いだよ気合い。そうだよね、これからはふたりの分も合わせて、せっかくの人生楽しまなきゃだよね。多少サイコに片足突っ込んでても、君を見習って」
「いやだから、サイコじゃねぇって。……っていうかお前」
何かを言わんとしていたネロの前に、底抜けの笑みを張り付けて、立ち上がり、向き直った少女は手を差し伸ばした。
「だから、これからよろしくね! ネロ!」
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