第11話 ぼく
日記を落としたところから、僕は自分自身に起きたことを考え始める。どうして、自分は最も愛していたはずの優一を階段から突き落としたのだろう。
その原因がこの日記に書かれていたような気がする。僕は何かしらのトラブルに見舞われていた。それが原因となって、僕は優一を殺して自らの死を選んだのだろうか。それなら辻褄が合っているように思える。
僕はあのとき、死のうとしていた。その絶望の中、最期に自らの気持ちを優一に告げ、それが彼との決別を想起していたのなら、あのときの混乱は整合する。だとするなら、自分にはそれをする原因があったことになる。それが、この日記に書かれていることと繋がっているように思えてならなかった。
それを知ることがこの空間の中での自分の終着地点であると感じ、早速行動に出ようとするが、ここからどうすればいいのかがわからない。
そこに直面したときだった。足元に妙な感覚が走りはじめ、ぬるぬると気持ちの悪い感触がじわじわと僕の足元を歪めていく。
慌てて自らの足元に視線を移すと、そこには大量の赤い水が部屋全体に広がっていて、その源泉となっている日記からは首をがたがたと揺らしている人形がゆっくりと這いずりだしている。
それは先程僕の前に存在した狂気の存在、自分の人形のようなモノだった。
その怪物は、けたけたと不気味な笑い声とともに、気が狂ったような言葉を繋げ始める。
「殺した殺した殺した」
「ゆういちを殺した殺した」
「かえしてかえして」
「ぼくのゆういち」
その言葉の最中も、怪物は更に自らの身体を動かして、血に塗れた筋肉繊維を剥き出しにして首をがたりとこちらに向けてくる。そこには相変わらず、表情なく笑っている自分の顔があった。
怪物は大きな腕を器用に使って体を完全に日記から離脱させると、重力に逆らうように真っ直ぐに浮遊した後、再び大振りな動きで首を動かし、こちらを緩く見つめてくる。
次の瞬間、僕はすぐにそれから目をそらし、今できる一番の速さで走った。小さな個室から出てからのことはわからない。けれど、ここで逃げなければどうなってしまうかわからない。少なくとも、この怪物は明らかに僕に敵意を持って行動しているようだった。
それを表すように、僕の動きに合わせて怪物は動いているようだった。必死に視線は正面を向いているためわからなないが、がさごそと走っている音を除いて、どすんという鈍い音が何度も響き、それが鳴る度に僕の背部は赤い水がかかる。恐らく、怪物が大きな手を使ってこちら側に向かっているのだろう。動きを止めれば、それに従って音がこちらに近づいてきている。
「僕は……今でも、今でも優一のことを愛している!!」
僕は自分に言い聞かせるように、そして怪物にそう叫ぶ。勿論走ることをやめず、必死に扉を潜って道なりに走っていく。
優一の部屋から抜けると、真っ暗な世界であったが、一本道が延々と続いているようで、何も考えずに走り続けることができた。しかし、走っている場所は今までとは打って変わって不安定な金網のようで、ガシャガシャと耳障りな音が足を踏み込むたびに何度も鳴り響く。
一方の怪物も、金網を引き裂かん勢いでこっちへ進んでくる。
「かえせかえせ」
「ゆういちとぼくをかえせ」
「かえせかえせ」
「ぱぱとままもかえせ」
怪物がそう口にした瞬間、初めて僕は自らの両親について考えさせられる。
どうして、今まで両親についてなんの疑問も抱くことなく、僕は必死に「優一との記憶」だけを探していたのだろう。
それだけじゃない。僕自身の記憶については、あの日記を起点に初めて考え始めていた。それは、どうして?
どうして僕はここまで自分自身について無自覚だったのだろう。初めて対面する自らの思考の偏りに、驚きながらも、僕の肉体は限界に近づいていた。
呼吸は絶え絶えといった様子で浅く何度も息をしようとするが、結局十分に呼吸することはできずに僕はそのまま金網に伏してしまう。
もう終わりだ。そう感じた瞬間、意識せずに僕は倒れ込みながら後方を確認する。
すると、そこには歪な笑みを浮かべている怪物がいた。
「どうして……僕を襲うの……?」
無意識に、そんな言葉が出てきた。あれに捕まればどうなるのかはわからない。
それでも無事ではないことくらいはわかる。下手をすれば、死後の世界で死ぬことになるだろう。その恐怖からか、僕はその化物に対して問うような言葉を吐いてしまった。
しかし、意外にも怪物はそれに敏感に反応しているようだった。
「僕がきらいだから」
初めて成立した会話に、「……ボク? それって、つまりは僕のこと?」と更に尋ねてみる。すると、同じように数度に分けて答えが帰ってくる。
「きらいきらい」
「ぱぱとままにあいされない僕がきらい」
「だれにもあいされない僕がきらい」
その言葉を聞いて、僕は目の前にいるものの正体を理解する。
これは、自分のことを責め続ける自分自身だ。だから自分と同じ顔をしていて、苦しんだように大量の血液を流している。
その証拠に、ここに来てから僕は自分のことについて一切調べようとしなかった。自分が留めておきたい、優一についての記憶ばかりを探し求め、自分が死のうとした理由など興味もなく走り回っていたのだ。それはすべて、自分自身の事を拒絶していたからだ。そして意識的に拒絶すらしなくなったため、この怪物はここに現れたのだ。
その証拠に、怪物の言葉を聞いて僕は泣いていた。
僕はきっと、両親からも愛されることなく、いや、愛を感じることなく育ってきたのだ。失われた時間を必死に忘れようとしていたのかもしれない。その強すぎる気持ちが、この世界を作り出し、無数の怪物を出現させたのだろう。
「……きっと、君も寂しかったんだね……ぼく」
一体自分が誰に語りかけているのかわからなかった。
けれど、無自覚に飛び出た言葉に繋げるように、僕は更に続ける。
「いつか、僕は僕のことを責めるないで、また過ごすことができるのかな……?」
嘆願のようにそう言うと、怪物の反応を見ることなく、怪物の体が宙に浮かび上がっていく。
しかしすぐに、それが浮かび上がっているのではなく自らが下がっていることに気がついた。ちょうど、今自分が倒れ込んでいる位置がエレベーターのようになっているらしく、ガタガタと軋むような音を鳴らしながらどんどん下がっていく。
そして、最終的にたどり着いた場所は、相変わらず暗がりの一本道の通路だった。エレベーターから一歩踏み出せばそこは別世界のようで、暗がりに潜む多くの存在をゆっくりと紐解いていくように僕は歩き始める。
足を踏み込むたびに、少しずつその先が見えてくる。
通路に残っているのは大量の朝顔の花。数多の色が犇めくように花びらが雨のようにあたりを舞えば、更にその先にある狂気的なものを映し出してくる。
そうこうしているうち、通路の最奥にたどり着き、僕が見たものは、見慣れた扉だった。
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