4-10 湯船と夜霧と

「温泉~温泉~」


 今度こそ、と大喜びで湯船に飛び込むシェリー姉様。真っ先に飛び込もうとして先に体を洗え、と叔母様に叱られてしまったので、我慢していた分も取り戻す勢いで温泉を堪能している。その横では叔母様とユルグエイトが……あれは酒か?ついつい物欲しそうに眺めていたら「ダメよ」と叔母様に窘められてしまった。私達の国では酒を飲む事自体に年齢制限はないのだが、12より下の歳で飲むのにはあまりいい顔をされない。こういう時ばかりは未だ幼いこの身が恨めしい。いや、待てよ。神体に戻れば酒を堪能することができるのではないか?


『ちょっと、そんな理由で最高神が顕現するなんて前代未聞ですよ。』


 ついつい酒の誘惑に負けてうっかり顕現しそうになった私を、今度はレイアが嗜める。いや、割と地球の神話だとよく聞く話なんだがな。私もあれがドワーフの燃酒やエールの類であればここまで食いつく気はなかった。だが、あれは日本酒だ。私は生前、日本酒だけには目がなかった。滅多に酒を飲まなかった私が唯一嗜んでいたのが日本酒なのだ。酒宴の席でも乾杯のビールを拒否して最初から日本酒しか飲んでいなかったしな。


 まあ、仕方ない。日本酒は夜にでもこっそりと頂くとしよう。今は温泉を堪能する事にする。見ればシェリー姉様は温泉をプール代わりに泳ぎ回っている。姉様は運動神経が優れており、泳ぎも得意らしい。私は、と言えば縁に背を預けゆったりと堪能していた。ちなみにシルヴェリオスは男湯の方に入っているので別々だ。私達の国には混浴の文化などはないので仕方がなかろう。


「ディーネ、泳がないの?」


 姉様が一緒に泳ごうと誘いに来たが、流石にお断りさせていただいた。いくらこの身が子供とは言え、流石に湯船で泳ぐのは恥ずかしすぎる。そんな姉様も叔母様に叱られて今はおとなしく湯船に浸かっている。少々不満そうだが、そもそも温泉とはそういうものだ。ゆったりと身を浸すに限る。そう主張したらシェリー姉様から年寄りくさいと言われてしまった。


「ディーネってどこか大人っぽいよねー。なんだか小さな叔母様みたい。叔母様もそろそろいい歳なのに見た目はまだ全然若くみえるけど……」

「姉様、20代はまだ若いぞ。20代後半でもまだ若い。」

「誰の話をしているのかしら。私、まだそんな歳ではなくてよ。」


 姉様の聞き捨てならない発言に、ついうっかりとツッコミを入れてしまった。年齢の話は危険だな。叔母様にも釘を刺されてしまったのでこの話に触れるのは止した方が良さそうだ。叔母様も年齢を気にしている割には見た目が若いのも気にしているフシもあり、色々と複雑らしい。神籍にあるユルグエイトだけはこの話には無関係を貫いている。神は基本姿が変わることはないからな。


「ディーネさまは聡明な方ですから、年相応に見えないのは仕方がないかもしれませんね。」

「ディーネは頭いい。」

「……。」


 ん、今なにか一人多かったような気がするのだが。エミーと、アルシュと……ミストサイン。……何故お前がここに居る。ミストサインに気づいたユルグエイトが慌てて臣下の礼を取ろうとしたので、ミストサインは『しーっ!』とやってそれをやめさせる。そう言えばユルグエイトはミストサインの眷属でもあるのだったな。おかげでユルグエイトはどう反応していいやら判らずあわあわとしている。叔母様は『まったく、仕方がないわね。』という風に呆れ顔だ。叔母様のことだから実は知っていた可能性も十分にあるが。


「ディーネと、温泉♪」


 ……。レイア、そんな理由で大神が顕現するのは良いのか?そう念話を送ると、レイアは目を逸らして口笛を吹き始めた。どうやら、割とちょくちょくとあるようだ。ともあれ、この身だとミストサインを膝の上に乗せるのは無理だな。いくらミストサインが小柄だとは言っても、6歳の私の身には少々辛い。


「ディーネ、知り合い?」


 ミストサインと親しげにしている私に姉様がそう訊いてくる。しまったな、どう説明したものか。そう考えていたら、ミストサインが自ら『フクシャ・ミスト』と名乗った。珍しいな、ミストサインが自分から口を開くとは。普段無口なミストサインはあまり喋るのに積極的ではない。大神会議でも発言数は驚くほど少ないため、使徒たちからはミステリアスな女神だと認識されている。いや、割とただの小動物だと思うのだがな、私は。


「ミスト、ってディーネの傭兵の時の名前?」

「そう。義姉妹。そして、休みが明けたら教師。」


 今、サラッと聞き捨てならない単語が混じっていたぞ。ミストサインは基本的に口数が少なく説明不足だ。もう少し詳しく聞き出す必要があるが、下手に神界の話をここでされても困るため念話で問いただす。ミストサインから聞き出した内容を総合するとこうだ。最近推し進めている自動化によりミストサインの仕事は随分と減った。それによりできた空き時間をこうやって休暇として地上に赴くことにしたらしい。


 休暇、というのは少々語弊があるな。ミストサインの本体は今も神界で普通に仕事をしている。ただ、今まではリソースの100%を仕事に使っていたのが、リソースに余裕ができたので20%程を地上での活動に割けるようになったのだ。他の大神達も空いたリソースをこうして地上に顕現するのに使用しているらしい。これも福利厚生の一つと考えれば問題はない。


『私も自由時間欲しいんだけど!』


 レイアからそんな問い合わせが来たが、流石にそれは無理だ。レイアの仕事は一番自動化が難しいところだからな。最高神としての仕事には高度な判断を要するため、なかなか自動化が進まないのだ。特に対外折衝は臨機応変が求められるし、相手や状況によっても必要な対処が異なる。まったく同じ状況に見えてまったく逆の対応が求められることもありうるのだ。こればかりはレイアの経験に基づいた高度な判断が必要となる。


 ともあれ、姉様にはミストサイン……フクシャは傭兵の仕事で出会って義姉妹の契りを交わした相手で、次の学期から教師として軍学校に赴任すると言う説明をしておいた。ちなみにフクシャとして顕現したこの姿はこう見えて成人済みだ。そう説明をしたら、姉様は「それなら私の義姉でもあるね!」と満面の笑顔で言った。王族とは思えない反応だが、姉様のこういう所は非常に好ましい。


 それから全員で温泉を堪能した後、夕食の時間となる。畳敷きの宴会部屋とは徹底しているな。湯船が別々だったからか、今度はシルヴェリオスがべったりだ。私は左右をシルヴェリオスとミストサインに囲まれ、少々暑苦しい。温泉から上がったばかりなのでポカポカしてるしな。姉様はと言えば「私は温泉に一緒に入ったから」とシルヴェリオスに席を譲っている。こういう所も姉様らしい。


 出てきた料理は刺し身に鍋。神殿経由の輸送手段が確立しているため内陸のこの地でも海の幸を堪能することができる。鍋の方は、と言えばこちらは山の幸が満載だ。山菜に獣肉、それを調味料でじっくりと煮込んでいる。それにこれは……豆腐か?どうやらユルグエイトが地球から取り寄せてくれたらしい。非常に懐かしい味だ。……日本酒が欲しくなるんだが。結局、叔母様の方が折れて少しだけならと許可してくれた。やはり刺し身や鍋に日本酒は合う。


 夜、姉様達が寝静まった後、私はこっそりと抜け出して温泉に入る。今度は神としての姿でだ。途中でミストサインに見つかったのでミストサインも一緒だが。目的はもちろん酒である。この姿なら文句を言われることもあるまい。温泉には既に先客が居たようで、叔母様とユルグエイトが酒を酌み交わしていた。私が来ることはどうやらお見通しだったらしい。


「ほんとにしょうがないわね。はい、お酒。」


 ミストサインを膝の上に載せた私に叔母様が日本酒を渡してくれる。私は基本的に酒を注いだり注がれたりするのは好きではない。酒は自分のペースで飲みたい派なのだ。渡された徳利から酒を注ぎ、手酌で飲む。こうしていると幸福感を感じるな。途中でミストサインが酒を欲しがったので少し分けてやる。こう見えてミストサインは酒強いからな。いつも結構な量を飲むのだが、酔い潰れている所を見たことがない。


「そう言えば、なぜ軍学校で教師をやることになった?」


 せっかくなので軍学校に来ようと思った理由を聞いてみる。赴任などの手続きは叔母様が手を回してくれたのだろうが、そもそも何故軍学校で教師をしようと思ったのか。口数の少ないミストサインが語った内容をまとめると、どうやら私と一緒に居たいというのが理由らしい。こうして好意を寄せられると悪い気はしないな。しかし、今年の生徒はミストサインから直々に魔術を学ぶ事になるのか。魔術の扱いに関してはミストサインの右に出るものは居ない。だが、この娘は口下手なので少々不安ではあるな。


「ディーネ、助手。」


 そう思っていたらミストサインはとんでもない事を言い出してきた。どうやら私を助手に指名する心積もりのようだ。私がミストを名乗るようになったせいで吹っ切れたのか、ミストサインは割と私に遠慮が無くなってきている。最近では私の膝の上を特等席だと主張して憚らないしな。私も魔術には詳しいから教えること自体は問題ないが……。まあ、この娘に全部説明させるよりは良いか。下手したら全員不合格なんてこともありうるからな。私はその提案を了承し、次の学期からはミストサインの助手として魔術を教えることとなった。


 こうして私達は温泉と暫しの休暇を堪能し、王国に戻った。そうしているうちに休暇も終わりを告げ、紫の月……つまり後期の授業が始まる。新しい教師の赴任は多少の混乱とちょっとした騒動を起こすだろうが、まあ問題はあるまい。ルートライムの動向だけが気がかりだが、向こうが動かないことには手の出しようがないのも事実。準備だけは怠らないようにしないとな。






__INFO__

作中に未成年の飲酒が出てきますが、現代日本では未成年の飲酒は犯罪です。

現実世界においては当該地域の法を遵守ください。

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