2-08 過去の残滓
窓の外には土や岩しか見えない。動力が生きているため暗くはない筈だが、どうしても薄暗い印象を拭えない。既にこの遺跡の中に人はもちろん、遺体や遺骨のたぐいも存在しては居ない。もともとこの地に建っていたわけでもないのだ。前サイクルに存在していたデータを取り出し、問題のあるデータを削除し、再配置したに過ぎない。遺跡は文字通り、この地に突然出現したのだ。
それでもエミーにとって、いや、クリスキリエの記憶にとっては本物の光景に感じられているのだろう。エミーの瞳から自然と涙がこぼれ落ちる。彼女が持ちえない両親の記憶。家族を持たず、この世界に転生して家族を得た私とは真逆の状況ではあるが、私にもその感情は理解できる。彼女の体調を考えれば今日はこれ以上進むのは無理だろう。
元がVIP向けの病室ということもあり、その部屋は休むのに最適だった。卵型の据置式ベッドが一つだけ置いてある部屋は、テントを出して休むのに十分な広さがある。後は入り口だが、扉は魂認証式だったらしくエミーが触れると自動で閉まり施錠された。これなら警備ゴーレムに襲われる心配もない。私も魔術収納から寝具の類を取り出して休む準備をする。
「……なあ、イマイチよく判ってないんだが、何がどうなってるんだ?」
「私にもわからないわ。前世の記憶が甦った、って言ってるけどそう言う事ってあるの?」
【羽根付き狼の遠吠え】の皆がリーシアに詰め寄る。エミーが古代王国語を読めた事もだが、施設の内部を知っていたこと、設備の使い方を知っていることなど、疑問を出せばキリがない。リーシアも下級使徒に過ぎないため魂の件については何も知らない。この中で真相を知っているのは私だけだが、私は言わばネタバレを読んでいるような状態なので下手な事を言うわけにもいかない。ここは聞き手に回るふりをして様子を見る事にする。
エミーも未だ状況を把握できておらず、クリスキリエの記憶とエミーの記憶がぐちゃぐちゃになっているような状態らしい。特にエミーには両親の記憶がないため、前世の両親が本物の両親ではないかという気さえしてきているようだ。暫く部屋の中を歩き回りながら過去の記憶と部屋を比べていたようだが、今は疲れが限界に来たのかぐっすりと眠っている。いきなり15歳の少女の、しかも今とは異なる文明の記憶と価値観が頭に流れ込んできたのだから当然だ。これが物心付く前であればすんなりと生まれ変わりとして受け入れることも出来ただろうが、エミーにも6年という人生がある。その2つが混ざり合い、せめぎ合っているのだ。その苦しみは並大抵のものではないだろう。私に出来るのは、ただ変わらず友として側に在ることくらいだ。
見張りをルッカ達と影梟に任せ、眠るエミーの手を握ってやる。少しは苦しみが和らぐだろうか。今頃、エミーは彼女の魂に刻まれたクリスキリエの記憶と対面しているはずだ。彼女が前世の記憶とどの様に折り合いをつけるのかは判らない。だが、私は彼女の友として側に居ると決めたのだ。たとえ彼女が前世の記憶を受け入れ、クリスキリエとして生きる事を決めたとしても。
エミーが眠りに就いている間に、リーシアは彼女の神、名神ミストサインに祈りを捧げていた。もちろん、日課の祈りとかではなくエミーの状態について問い合わせるためだ。ミストサインが答えてくれるとは限らないのだが、それでも、と思ったのだろう。実際、ミストサインもこの状況については注視しているため、リーシアが説明するまでもなく状況は把握している。
『どう、しよう……。』
『……一部だけを伝える、と居うところが妥当な案か。』
そして当然、その疑問は丸ごと私に飛んでくる。ミストサインの一存で下級使徒に公開できる情報ではなのだ。結果、レイアか私が決める事になるが、レイアは忙しいため私に回ってくるのは必然だった。どうにも地球を一周して隣の家と糸電話をしているような気分になって困る。とりあえず必要最低限、前世の記憶が魂に刻まれている事と、全員がその様な魂を持っているわけではない事を伝えればいいだろう。そう判断してミストサインに伝える。
『魂に前世の記憶、刻まれている。かなり珍しい。』
……そうだった、ミストサインはこういう娘だった。口数が少ないため、説明不足に陥りやすいのだ。最低限の単語しか伝えていない。このような口調や魔術を扱うということから使徒達からはミステリアスな存在だと思われているようだが、実際は割とぽんこつだ。6女神の中では最も身長が低く小柄で、大神会議ではよく私の膝の上にちょこんと座っていたりする。そのせいか私の中では割とマスコット枠に収まっている。
リーシアもミストサインの口数の少なさには慣れているのだろう、割と正確に状況を把握したようだ。まずは、ということで私と念話で情報共有してきたので、細かな部分を『意見』と言う形で方向修正する。それからルッカ達にもそれを共有し、エミーが目を覚ます頃には全員が状況を把握することが出来た。
「おはよう、ございます。」
やや疲れた様子のエミーが恐る恐ると言う風に話しかけてくる。皆が自分をどの様に捉えているのかが不安なのだろう。それを察したのか、ルッカ達も努めて普段通りに挨拶を返している。その様子に少しホッとしたのか身を起こそうとして、私が手を握っている事に気付いた。そう言えばまだ手を握ったままだった。そして、それを見たエミーは真剣な顔になり、「お話があります」と言ったのだった。
エミーの話の前半は私が把握している内容と何ら変わらなかった。夢の中でクリスキリエと対話したエミーは、彼女が古代王国時代の富裕層の娘であること、身体が弱かったために転生を見越して記憶を魂に刻みつけていた事、等を知った。夢の中で対話したおかげか、一応エミーの意識とクリスキリエの意識は分けて考えることが出来るようになったらしい。
「その、前世の記憶を持ってはいますが、私はエミリエイルです。今までと同じ様に接してもらえますか?」
「当たり前だろ。」
「そうよ、どう変わってもエミーはエミーだもの。」
「貴女が従使徒になってエミリーがエミリエイルに変わった時だって、私達の関係は変わらなかったでしょ。」
エミーの声は震えていた。それを聞いたルッカ達は口々に「当然じゃないか」と肯定する。その信頼が少し羨ましい。涙を流しながら抱き合う4人。そんな中でエミーと私の視線が交差する。その瞳には不安の色が浮かんでいた。その雰囲気を察してルッカ達も私達から少し距離を取って見守る。私だって彼らと同じ気持ちだ。私はエミーに向き直り、その身体を抱き寄せながら「たとえどんな存在になろうと、君は私の友人だ」と伝えたのだった。
ひとしきり泣いたエミーは少し落ち着き、探索を再開できると主張したが、私達はもう暫く休息を取る事に決めた。実際、まだ十分に休息が取れているとは言い難い。幸いここは安全地帯だ。先程まで見張りに起きていたルッカ達が休息を取り、私とリーシアが見張りとして起きておく。エミーにも休むように言ったのだが、彼女としてはまだ眠くはないようで、どこか懐かしそうに部屋の中を眺めていた。
「不思議な感じなのです。思い出そうとすればクリスキリエの記憶が浮かぶのですけれど、どこか映画を見ているようで……あ、映画というのはですね……」
そう言って映画の説明をするエミー。やはり言葉や記憶が交じるのは避けられないようで、特にエミーの中に存在しない概念を説明しようとする時に顕著な様だ。「ここでも見れるのですよ」などと言いながら壁を触るとその一部がモニターになり映像が流れる。突然鳴った音にルッカ達が飛び起きる事になったのはご愛嬌だ。異世界からの魔導具には映像系の娯楽もあるのだが、地上にはなかなか入ってこないので下級使徒のリーシアも珍しそうにしている。
だが、和やかな気分で居られたのもそこまでだった。「昔にも神学はあったのですよ」と言いながら見せてくれた映像は、当時の最高神に関する映像だ。闇の女神ルートライム。この名前が残っているのは拙い。この世界を去ったはずの神の名が残っているということは、未だに権限が有効だという事だ。大慌てで全検索を行う。やはり再利用したデータの中に幾つか残骸が残っていた。それどころか、そのうちの幾つかは所謂バックドアとして機能していた形跡があった。世界を移した際に無効になってはいたが、移行前の世界では有効だったはずだ。ログを確認し侵入の形跡がないことにホッとする。
「あ、あの、ディーネさん?」
念の為に再チェックを行い、眷属神たちにダブルチェックを依頼したところでエミーから呼びかけられた。大慌てで作業に入ったため、こちらではいきなり気絶したように見えただろう。「少し疲れているようだな」と答えてなんとか誤魔化しておく。映像の中に出ていた女神は【夜の女神】に入れ替わっていた。エミーも「夜の女神様について言及があるのですよ」と嬉しそうに話している。どうやら作業は上手く行ったようだ。
ふと、『もしエミーが本当の私を知ったら受け入れてくれるだろうか』と言う疑問が浮かぶ。私の方がエミーよりもよほど他人に言えない秘密を抱えている。答えの出ない疑問に思いを馳せているうちに交代の時間になりルッカ達が起き出してくる。エミーもそろそろ睡魔に襲われ始めたようで入れ替わるように眠りに就いている。私も睡眠の時間を利用してダブルチェックの結果を確認しなければならない。全く、今日は忙しい日だな。私はそう思いながら影梟に警戒を引き継ぎ眠りに就いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます