1-02 異世界文化事情
「あー、もう、ギブアップ!ディーネ、教えてっ!」
軍学校から出された課題の束を放り投げ、お手上げのポーズでシェリー姉様が叫ぶ。この光景を見るのも二度目、夏の休み以来だ。シェリー姉様は特に算術が苦手なようで、夏もこうして課題を放り投げていた。夏に課題を手伝ったせいか、今回は投げ出すのがあまりにも早い。
私はと言えば、流石に生前の知識があるので基礎教養に問題はない。数字が10進数ではない可能性も覚悟したが、幸いそこに変わりはないようだ。やはり両手の指の数が関係しているのだろうか。地理や歴史については、まだ生まれたばかりで動けない間にMAPやログを眺めていたせいですっかりと覚えてしまった。言語系に至ってはチートのおかげでほとんどカンニングしている様な状態だ。最初の頃は独特の言い回しで苦労していたが、今ではそれもあらかた覚えてしまった。
現代日本になかった学問としては、錬金学と神学がある。錬金学はだいたい化学のようなものだが、魔術陣学や魔術の基礎が混じっている。魔術系に関してはレイアの手伝いで弄っているうちに仕組みを解析したから、特に問題なく解くことが出来た。神学はもっと簡単だった。なんせ、出てくる神様はほとんどが会ったことがある相手だったからだ。
夏の休みの時、悩んでいたシェリー姉様の姿に思わず口を出してしまったのだが、私が解いたのでは意味がない。それでもシェリー姉様を放っておけなくて、夏の休みの時は家庭教師代わりを務める羽目になってしまったのだ。そして、今回は初めから諦めた、というわけだ。あまりいい傾向ではないかもしれない。
「姉様、少しくらいは自分で考える努力をするべきではないか?」
シルヴェリオスが真似をしたらどうするのか。もう少し姉としての自覚を持って欲しい。とはいえ、まだ6歳の女の子にそれを求めるのは酷だろうか。精神年齢が成人の私と違って、シェリー姉様は年相応なのだ。「うー、ディーネの意地悪っ」なんて涙目で訴えられてしまえば、私も弱い。大好きな姉を助けたいと思うのは、妹として当然なのだから。
「では、お勉強を始めよう。」
そう言うわけで、勉強会の始まりである。この世界の教育水準は大人でも日本の中学生レベルがほとんどだ。私でも十分に教えることが出来る。シェリー姉様は地理や歴史は得意だから、算術と錬金学を中心に教えていく。シェリー姉様が習っている算術はまだ足し算引き算だが、せっかくなのでもう少し先まで教えてしまおう。
こういうのは一度苦手意識を持ってしまうと、「苦手だ」と自分で自分を洗脳してしまう。解すなら早いうちが良い。一度宿題を脇に置いて、計算を徹底的に教える。そして、飽き始めた辺りで宿題を見せる。
「あ、あれ?こんな簡単だっけ?」
すらすらと解けるのが楽しくなったのか、シェリー姉様はどんどん問題を解いていく。気がつけば、算術の宿題は全て終わってしまっていた。「終わったー!」と叫びながら大喜びしている様子はとても微笑ましい。
算術に集中して時間を費やしたので、気がつけばもう夕食の時間になっていた。王族や貴族の食事は決まり事が多いものだと勝手に思っていたのだが、作法が要求されるのは他国の使者との外交くらいで、普段の食事は割と自由だ。貴族の殆どが軍人であり、戦場で食事を摂ることが多いせいだろうか。今の貴族の殆どは10年程前のランサット共和国との戦争を経験している世代だから、というのもあるだろう。
ランサット共和国というのは、かつてウェルギリア王国に侵略戦争を仕掛けてきた隣国だ。彼らの目標は王国ではなくその南のギルザリア帝国だったと言われているが、その前哨戦で躓いた形になる。その戦いでランサット共和国は滅亡したため、今は王国の一部になっている。国の北半分がまるまる旧ランサット共和国領だ。
戦いは劇的だった、というのは闘神アスカノーラの言だ。主力軍が国境で侵攻軍を抑えている間に、前国王だったお祖父様が少数精鋭を率いて共和国首都を強襲、大統領府を陥落させたらしい。その戦いで首脳部を失ったランサット共和国は壊滅、王国に併合されることになった。戦争のために重税を課されていた共和国の国民は諸手を挙げて併合を歓迎したという話だ。
ちなみに、その戦いでお祖父様を気に入ったアスカノーラがうっかり祝福を施し、お祖父様は王位を父様に譲る羽目になったんだとか。15歳という若さで王位を継ぐ事になった父様は、色々と苦労も多かったらしい。父様が神の祝福を快く思っていない理由の1つだ。
ランサット共和国領は1年の半分が冬という極寒の地だ。北は海に面しているが、冬の間は凍るため交易は陸路に限られる。王国に併合されたおかげで共和国時代よりも交易に幅が出たため、旧共和国民の生活も向上している。そのため、気候の差はあれど生活の格差は少ない。王国民の気質が元々温厚だったせいか、旧共和国民が蔑まれるようなこともないようだ。戦争で国土に被害が出なかったのも大きいだろう。
その戦いは神々の間でも語り継がれるほどで、当時12歳でその作戦を立案したメルキュオーレ叔母様も賢神マーレユーノの祝福を受けている。その他、眷属神の祝福を受けた者も多く、当時はかなりの混乱が起きたらしい。神殿の権力が増大した一端でもあり、私の生誕時に神官達がなだれ込んで来た遠因でもある。
そもそも、祝福を受けた者が政治に関わることが出来ないようになった原因は国の成り立ちに起因する。当時東のタールセン聖王国から独立して成立したウェルギリア王国は、聖王国における神殿の肥大化した権力への反省として、政教分離を掲げたのだ。最近は聖王国との関係も改善しているが、独立直後は宗教絡みの紛争も多かったようだ。今でも神殿は治外法権が半ば黙認されており、叔母様がなんとか抑えているような状態らしい。私を直ぐに神殿に入れろ、という声も未だに大きいと聞く。
「近代史は難しいです……」
シルヴェリオスが食事の席に着くなり、そう父様に零す。つい最近起きた出来事だが、王族であるシルヴェリオスは軍学校に入る前には覚えて置かなければならない。王族が自国の歴史を知らないというのは拙いらしい。他の兄弟と同じ様に育てる、という方針の私にも同じ教育が施されているが、父様と周囲の間には多少の温度差がある。あまり真剣に教えなくても良いという雰囲気があるのだ。そのせいもあってか、私が歴史をすらすらと諳んじた時には大層驚かれたものだ。
シルヴェリオスの嘆きにそんな事を思い出しながら食卓に目を向ける。今日の食事は空麦のパンにケルケの肉とラクレの根のスープだ。空麦は空色の麦のような植物で、薄く風の属性を帯びている。地球と同じ様にパンにして食べることが多い。ケルケは羊のような毛皮を持つ動物で、主に家畜として飼われている。味は羊と仔牛を足して2で割ったような感じだ。防寒具の材料にもなるし、乳は飲用になる。ラクレの根は見た目も味も玉葱だが、球根ではなく地下茎なのでさつまいものように1つの株から複数採取できる。
レイアムラートの食材は他の異世界でも人気が高い。神殿に捧げられたこれらの食材は使徒達の手で加工されて他の世界に輸出される。これらの売上が世界の運営費になるのだから、この世界の人々には頑張って欲しいものである。
「明日は神殿騎士団の訓練に同行するのだろう?今日は早く寝なさい。」
食事を終えると父様からそう声をかけられる。私と姉様は明日、神殿騎士団の訓練に同行することになっている。半分は私達の鍛錬が目的であるが、もう半分は神殿騎士団長のお祖父様が孫娘と触れ合いたい、というところだろう。
神殿騎士団とは、神意に従って侵獣の討伐を実行する特務部隊のようなものだ。侵獣は世界に害を為す存在で、世界にとってのコンピュータウィルスやバグに相当する。蔓延すれば世界が崩壊するのだから、発見次第駆除するのが基本になる。放置して侵獣の規模が拡大してしまうとアスカノーラの現出が必要になるケースに発展する場合もあるからだ。そうなると世界にある程度のダメージが与えられることも覚悟しなければならない。バックアップがあるとはいえ、復旧にかかる手間を考えれば小さなうちに駆除できるに越したことはない。
神殿騎士団の訓練で使用されるのは疑似侵獣、と呼ばれるものだ。侵獣そのものは神出鬼没で生態系があるわけではないので、訓練のためにはそれらしいものを準備する必要がある。そのために用意されるのが無害化された侵獣……疑似侵獣だ。無害化されて危険が少ないとはいえ、真剣に戦わなければ大怪我くらいはする相手だ。神殿騎士団の働きに世界の運命が関わっている以上、訓練は疎かにできない。
神殿に思うところのある父様も、神殿騎士団の活動に私が参加すること関しては好意的だ。侵獣の討伐という人命に関わる活動でもあるし、お祖父様……父様の父様が騎士団長を務めているのも理由だろう。それに、おそらく私は成人したら神殿騎士団の預かりになる。慣れておくのも必要なことだ。
そう言えば、明日の訓練には使徒も同行するらしい。神々には直接会ったことがある私も、末端の使徒に会う機会は殆どなかった。少々楽しみでもある。明日の訓練に思いを馳せながら、私は眠りに就いたのだった。
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