第3話夜の章③
春と梅雨の合間の日差しは好きだ。やわらかく、でもどこか悲しげだから。
天気がいい日の昼休みは、深雪といっしょに中庭でお弁当を食べることにしている。
深雪はその長い足をベンチに投げ出し、気持ち良さそうに伸びをした。わたしは食べ終えたお弁当箱を仕舞いながら、彼女のめくれたシャツを直す。
校舎のほうから、男子の集団がやってくるのが見えた。その中のひとりがこちらに手を挙げる。深雪の知り合いだろうと目をそらすと、呼ばれたのはわたしの名前だった。
「尾松ちゃん!」
わたしは思わず顔を上げた。そこには駆け寄ってくる坂口洸太の姿があった。
「元気?」
彼はわたしの近くまで来ると、そう言ってにかっと笑った。
「このまえ、会ったばっかりじゃん」
驚きも疑問も、彼のこの人懐こい笑顔を見ると吹き飛んで、わたしはつられて微笑んだ。
坂口くんは真正面から見ると、そんなに整った顔ではない。鼻も高くないし、二重も中途半端だ。でも、魅力的、という言葉が似合う男の子。
知り合いなの、と深雪は意外そうな顔をして、坂口くんを見た。
「文化祭の実行委員。いっしょなんだよ、今年から」
「ああ、そうなんだ。びっくりした、はつか、あまり男子と接点ないから」
そんなことないよ、とわたしが言うよりも早く、坂口くんが大きく笑った。
「尾松ちゃんはさー、男子の隠れアイドルだからね」
「はあ!?」
思わず大きな声が出てしまい、口を抑える。深雪がおかしそうに、わたしの肩を軽く抱いた。
「わかる。派手な子たちに埋もれちゃってるけど、かわいい顔してるもんね」
「そのうち、誰か突撃しに行くよ。芦原、ちゃんと守ってやんないと」
だよね、と笑う深雪の腕の中から彼を見上げると、彼はふ、とやさしく笑って、
「顔、真っ赤じゃん。かーわいい」
わたしはまたうつむくしかなかった。
「こうたー!」
突然上から声が降ってきた。鈴の鳴るような声に、わたしはぎくりとする。何も悪いことをしていないのに、見られてはいけないところを見られた気がした。
わたしの顔を覗き込んでいた坂口くんは、声がした瞬間、ほんの数秒陰った目をしたかと思うと、穏やかな顔で校舎を見上げた。その顔にはさっきわたしを見たときのやさしさとは、全くべつのやさしさがあった。
つられて、声のした校舎のほうに目を向ける。
ベランダから、吉森千穂が顔を出していた。
「国語の教科書、貸して」
吉森千穂はただまっすぐに坂口くんだけを見て言った。彼はああ、と手を振り返して、校舎のほうへと走って行った。
わたしは身体が冷えていくのがわかる。
やっぱり彼女は一度だってわたしを見なかった。
「吉森さんとさ、喋ったことある?」
教室に戻る途中、深雪が訊いた。わたしは少し迷ってから、首を縦に振った。
「へー。どんな子?」
「……根っからのお姫様って、感じかな」
ふうん、と深雪は興味なさげに呟いた。こういう話題は新鮮で、
「なんで?」
とわたしは言った。深雪はあっさりと、
「いや、男たらしって噂あるじゃん?」
「ああ、そうだね」
「実際、どうなんだろうね。坂口と付き合ってんのかな?」
わたしは思わず吹き出してしまった。「珍しいね? 深雪がそんなこと気にするの」
「はつか、坂口のこと気になるみたいだから」
えー、とわたしは大げさに声を上げてみせた。
「そんなことないよ。たしかに、かっこいいなとは思うけど」
「思うんだ?」
「でも深雪も思うでしょ」
まーね、と彼女は背伸びをした。それからちらりと吉森さんのクラスのほうへ目をやった。
「好きなら、奪えばいいと思うけどね」
深雪の口から出た言葉に、ぎょっとした。あまりに彼女に似合わない気がして。
彼女はさっきと変わらない顔をして、わたしの隣を歩いている。
わたしは深雪ちゃんてばだいたーん、とわざとおどけた。
「ま、知らんけど。坂口と吉森さんが付き合ってんのかは。あの子、いろんな男子と噂あるでしょー」
「野瀬くん」
わたしは何の迷いもなく、その名前を口にした。
「え?」
「あと、野瀬くんでしょ。3組の」
珍しいね、と彼女が言った。
「ふだん、あんた男子の話しないから」
「そうかな?」
そうだよ、と深雪が言ったとき、ちょうど予鈴が鳴った。
わたしたちはまたお昼を食べる約束をし、別れた。ぼんやりと、昨日見た野瀬の目を思った。
坂口くんの目とも違う。三白眼に宿る、暗い影。その違和感は何なのだろう。
教室に戻ると、隣の席で野瀬は文庫本を広げていた。わたしは彼に視線を向けないように、自分の席に着く。
「……昨日の放課後、教室にいた?」
掠れた、でもたしかに男の子の声だった。わたしはぎこちない動きで彼のほうを見た。彼は何の含みもなく、わたしを見ていた。
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