第43話 副町長の厳しさ、飯の美味しさ

「え、飲みにいくっていっても……そんなのあるんですか?」

「あるわよ、ちゃんと。オトナな店がネ」


 ぱちん、と色気たっぷりのウィンクを新庄課長はあたしに送ってきた。


「ぉぉう、ウゴッホ」

「ちょっと待って茜ちゃん今のウゴッホは何かしら。割と聞き逃せなかったのだけれど」

「いえ、聞き逃してください」


 即座に詰め寄って来る新庄課長に両手を向けて拒否を表明しつつ、あたしは言い切る。

 言えない。断じて言えない。

 危うくハートを撃ち抜かれそうになって思わず漏れたなんて。


 っていうか、ていうか!


 あたし自身もなんで「ウゴッホ」って言ったのか分かんないのよ! なんでだ、どこまで侵食してくるんだウゴッホは!

 頭を必死にかきむしりたくなるのを我慢して、あたしは愛想笑いを浮かべる。


「あらあら、強情ね」

「本当だねぇ。強い女性ってのは良いけど、頑なになられると、男としてはどう接して良いか分からなくなっちゃうよねぇ」

「ってうわどっから湧いてきたんですか町長!」

「人をゴキブリか何かみたいな扱いしないで? せめて人間扱いして? っていうかしっしってしないの! 本気で傷つくぞ!」


 半泣きになりながら町長は抗議してくるが、何の気配も感じさせずちょこんと人の隣の席に座っている方が悪いと思う。せめて声かけて欲しいものだ。


「それは、まぁ、人徳というものですわ、町長」

「今日も部下はホントーに厳しいねぇ! もっと優しい世界はないの?」


 本当にこの町長はいつもいつもお調子者である。呆れるくらいに。


「ということで、僕も審査員として参加していい?」


 と、にこにこ顔で宣う町長。イヤ待てや。


「ダメに決まっているでしょうが、アホ町長」


 何がどうということで、なんだ、とツッコミを入れるよりも早く、副町長が入って来た。もう眉間に皺がとてつもない。

 カツカツと足音をわざと立てることで威嚇しまくりながら、副町長は町長に歩み寄っていく。一瞬で町長の顔が青くなった。


「バ、バカなっ……あれだけ理由付けて撒いたというのに……!」

「いや、信じてませんから、そんなもの」

「一言だね!?」


 町長の目の前で仁王立ちになった副町長は、大きくため息をついてからその頬を思いっきりつまんで引っ張った。

 とたんに上がる、町長の悲鳴。

 いや、子供かいな。子供の説教かいな。見た目完全におっさんやのに。


 まるで親子のようである。


 いやまぁ、親子のような関係に近いんだろうけど、この人たち。

 なんだかんだで仲良しなのが良く伝わって来る。


「まったく……あなたは本当にこの一件のこととなると自我を忘れなさる。これでは公正な審判も下せないでしょう。よって、私も同席させていただきます」

「ちょっと何言ってるのか分からないんですけど」

「何か問題でもあるのか? 相沢くん」


 真顔で堂々と詰め寄られ、私は顔をひきつらせた。いや、問題も何も。そもそもこの状況が既に問題なんであって。どっちかと言うと、「そんな下らないこと、今すぐやめろ!」とか怒鳴りつけてくれる立場でしょうよ、あーた。

 むしろそれを期待していたんだけど、あたし。

 でもそれを口にするのはさすがに憚られるので、愛想笑いで切り抜けることにした。

 すると、副町長は深いため息をついた。


「……言っておくが、このような状況になったのは、煮え切らない君の態度もあるんだぞ」

「え?」


 意外な人物からの意外な咎めに、あたしは戸惑いを覚えた。

 ええ、なんであたし睨まれてるの。


「ハッキリとさせた方がいい。男は期待を持たせられれば、全力で頑張ってしまうものだ。時として、周囲が見えない程、傍から見れば暴走といっても差し支えない程に。それは狂おしい程に好きにさせる君が魅力的だからということでもあるんだが」


 副町長の声は鋭い。だからこそ、あたしは口を挟めない。


「それをいつまでも続けさせるというのは、時として罪が重い。君は気性的に見て、そんな小悪魔なことはしないと思っているのだが?」

「い、いや、でもこれは、その、アスラが勝手に……でもきっと、アスラのそれは、恋というか、なんていうか、ほら、アレですよ。幼稚園児が先生に恋をするというか、そういう感じなんですよ」


 だって、アスラは純粋だし。

 それに、あたしのどこを好きになったというのか。いや、明確だわ。明らかだったわ。あたしの強さだわ。うん、女子力とかそういうの全くもって関係ねぇ。

 忸怩たる思いで愕然としていると、副町長が不審に眉を吊り上げた。


「何を落ち込んでいるのか、まったく理解出来ないのだがね。君は少し男をなめているぞ」

「え?」


 分からず声を放つと、副町長は腕を組みながら、口を開いた。


「どんなに幼くとも、恋は恋だ」


 ずばりと射抜かれて、あたしは全身が硬直する。


「そのために全力で動くのが男というさがだ。それを子供だからと断じるのは良くないと思うぞ、私は。全力で来ているのだから、全力で応える。例えそれが拒絶だったとしても、だ。ことに、アスラは年齢的に言えば子供ではなかろう」

「そ、それはそうですけど」

「だとすれば、君のそれは礼儀に欠けるな。どうしてそこまで怯えているのか、私は君を知らないから何とも言えないのだが、もし全力で応えられる状態でないのであれば、はっきりとそう示すべきだ。君のそれは、単純に幼いからという理由付けで逃げているに過ぎない。それに期待だけ持たせているこの状況、君にとっても良い環境ではないのではないか?」


 畳みかけられる。

 歳を重ねたからこその、地盤のような強さを持って。


「言っておくが、好きになられたのだから自分も好きで応える、という意味ではないぞ。それはまた別問題だからな。要するに、どっちつかずは罪だということだ」

「……はい」


 あたしは俯いて、下唇をきゅっと噛む。

 そうだ、あたしは、なんてことを。弄ぶつもりはなかったのに、弄んでいることになっている。それは良くない。


「君は答えを出してやるべきだ。今、誰かを好きになれないのであれば、そうであると」

「分かりました」


 あたしはぐっと覚悟を決めて頷いた。


「女に限らないけれど、モテるって大変よねぇ」


 すると、水の中にある氷をからんと鳴らしながら、新庄課長は呟いた。


「いつ何時でも、誰とも知らない人からの好意をぶつけられるんだもの。辛いわよねぇ」

「あ、いや、それは……」

「でも、だからこそ、ハッキリと示さないとってところには同意だわ。それでもしつこい奴にはちょっと貫通根つけるとか、色々と物理的に後悔させてやるとか、そういう制裁を加えてやればいいのだし」

「発言が割と怖いです、課長」


 思わず指摘すると、新庄課長は「あらそう」とあっけらかんとしていた。

 まぁ新庄課長は見るからにモテそうだし、色気もあるから、そういうゲスい勧誘も結構あるんだろうな、と思ってしまった。


「ということで、出来たよ、ご飯。まさか人が増えるとは思わなかったけど、多めに作っておいて良かった」

「長、俺、できた! 飯、たくさん、豪快、いちばん!」


 そうこう悩んでいるうちに、矢野がテーブルにご飯を持って来た。

 ほとんど同時に、アスラも大皿を抱えるようにしてやってきた。


 どん、とテーブルに置かれる。


 あたしはさっきまでの逡巡をあっさりと忘れそうになった。それぐらい美味しそうな匂いがしたからだ。

 アスラの料理は、あの時振る舞ってくれたのと同じ、芋パンと鶏の塩焼きだ。この滴るオレンジがかったかのような脂は間違いなくアルバードである。ちょっとしたスパイスが使われているのか、香ばしい。

 野性的ではあるけれど、一番素材を前面に出してるって感じよね。


 対して、矢野の料理は見慣れたものだった。

 チキン南蛮かな。とはいえ、タルタルソースではなく、甘酢っぽいソースがかかっている。もしかしたら油淋鶏ユーリンチーなのかも?


「どっちも美味しそうじゃない。早速いただきましょ」

「そうだな、冷めると良くない」

「ちょっと副町長、僕を差し置いて先に食べるつもりなの?」


 箸を手に取った副町長に、町長は口をアヒルのようにすぼめながら町長が抗議する。だがそれを気にする副町長ではない。

 さっとまずアスラの鶏肉に手をつけた。


 あたしも同じように手をつける。


 ああ、柔らかい。お箸を入れただけではらはらとほぐれていく。その合間から、肉汁が絶え間なくじゅわーって出てくる。こりゃたまらん。

 思わず女子らしさの欠片もない感想を抱きつつ、あたしはくちに運ぶ。


「うんまっ」


 あたしは思わず声を漏らしていた。

 もぐもぐと咀嚼すればするほど染み出してくる肉の旨味。相変わらずの濃厚な甘さとコクに、唇がツヤツヤになる。けど、今回はそれだけじゃあない。

 分かりやすいスパイスが舌を刺激するのだけれど、そこから旨味が広がる。この強い塩気にも似た感触に、香ばしさ。


「これって、醤油?」


 思わず口にすると、アスラはとても嬉しそうに頷いた。


「ンヴォォオオオノオオオオオ! (そのとーりっ!)」

「よし落ち着け」


 あたしはさっと片手をあげて制する。


「正確に言えば、醤油タネね。こう、イチジクくらいの見た目と大きさで、ぎゅっと絞ると醤油が出てくるのよ」

「……そういえば、そんなアイテムもありましたね」

「山奥にしか自生してないのが弱点なんだけどね」


 新庄課長は肉を頬張りながら嬉しそうだ。

 確かに醤油ってすごく日本人にとってすればなじみ深いものだから、その気持ちは分かる。それにしても、ここまで香ばしくするのは凄いわ。


「醤油タネ、肉、美味しく、なる」


 アスラは鼻息荒く言う。かなり自信がありそうだ。

 確かに、アルバードの美味しさを引き立ててる感じになってて、あたしも美味しいと思う。パンにも合うしね。


「それじゃあ、次、いきますか」


 次は――矢野のごはんだ。


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