第32話 ふりかけ失敗談
「……なぁ、一つ訊いていいか?」
「はい、なんでしょう」
限りなく暗くて、絶望的な表情を浮かべている上道係長に、あたしは乾いた笑顔を浮かべながら返事をした。
いや、ほんと。本当に大変申し訳ないと思っている。係長には。
「なんで、どうしてこうなった?」
「世の中、理不尽だらけですよね」
「その源が何を言うのかな?」
「だって、だって……!」
痛烈に責めてくる目線から顔を反らし、あたしは言葉を詰まらせた。
普段ならもう暗くなっている役場の、調理室。
そこにあたしと上道係長、そして新庄課長はいた。
服装は、役場の倉庫から引っ張り出してきた防護服。ちなみに新庄課長だけはエプロン姿である。これは仕方がない、必要な措置なのだから。
何せ、短時間で調理室を悪夢に染め上げた、何が起こるか分かったものじゃない。
もう何をするのかお分かりだろう。
そう。恐怖のクッキング講座である。
明日、矢野と遊ぶことになったあたしだが、非常に残念なことに服がない。あるのはスーツとジャージ。女子としてそれはいけない。
そこで新庄課長に相談してみたのだが、料理教室を開けば服を貸してくれることになったのである。だが、卵かけご飯でさえ失敗するという恐ろしさだ。あたし一人で手に負えるはずがない。
そこで助けを求めたのが、上道係長である。
当初は難色を示されたが、新庄課長のなんだかんだといった策略によって参加することになったのだ。
本当に申し訳ないとは思うが、こうなった以上は覚悟を決めていただこう。
「とにかく、何を作るか、ですよ」
「言っておくが、この前はサラダであれだからな?」
思い出された悪夢が鮮明によみがえってきて、あたしは頭を軽く抱えた。
じゃあ何を作れば?
「さぁ、早速始めましょう!」
そんなあたしたちの軽い絶望をよそに、新庄課長はファンシーなエプロンをひらひらさせながら手を叩いた。
と、とりあえず、何が作れそうなのかを確認しなければ。
えっと、食材は……卵と野菜、お肉、お米、各種調味料。あれ、一通り揃ってるわね。基本的なことなら出来そう。でも、だからって凝ったものを作るのは自爆行為だ。
さすがに役場を爆破させるわけにはいかないものね。
ここはお米があるわけだし……。あ、ふりかけがある。
「ご、ご飯にふりかけをかけるとか」
「それ料理っていうか?」
「手を加えるって意味じゃそうじゃないかなって思うんですけど」
あ、でもさすがにそれは料理じゃないって怒られるかな?
恐る恐る見ると、新庄課長は顎に人差し指を立てながら天井を見上げていた。
「ふりかけ……なんでか真っ黒になったことあるわねぇ」
「「ふりかけでも失敗するんだ!?」」
キレーにあたしと上道係長の声が重なった。
いや、何がどうなったらふりかけかけるだけで失敗するねん。
どうやら新庄課長の料理は色々と物理法則をぶっちぎるらしい。恐ろしすぎる。
いや、それよりも今は作戦会議だ!
あたしは即座に上道係長を見ると、向こうも同じだったらしい。
お互い頷いてから、さっとキッチンに隠れる。
「おい、どうする。これはもはやアレだぞ、失敗したら命はないぞ。生き残りをかけた
「冗談ですよねそれってツッコミを入れられない自分が悲しいです。そうですね、何を作るか……ですね」
しかも時間がない。じっくり吟味する暇もないのだ。
いっそあれだ。キュウリ洗ってマヨネーズつけるだけにでもするか? それならまず失敗する要素はない。
「何してるの、二人とも。私ね、作りたいものがあるのよ」
──……時と心臓が止まった。
……な、なんだって……!? ま、まさかのリクエスト!?
人生最後になるかもしれないリクエストに、あたしは戦慄した。
上道係長も、大きく目を見開いて、ぽかんと口をあけている。顔はもう真っ青だ。さもありなん。あたしもきっと同じだ。
こ、これは予想外……!
しかしこの流れを断ち切ることは、今、このタイミングでは難しい。なんとか諦めさせる方向に持っていかねば……。
「あ、あのっ、課長は何をリクエストされるおつもりなんでしょう?」
「あ、茜ちゃん、なんで声が裏返ってるの……?」
「気にしないでウゴッホ!」
「さすがに気になる語尾なんだけど」
うん、あたしもそう思った。
あたしに何があった、今。
自分で自分に疑問を投げ掛けていると、新庄課長は一つだけため息をついてから手を合わせた。
「あのね、私、卵焼きが作れるようになりたいの」
「卵焼き? 目玉焼きでも、スクランブルエッグでもなく?」
確認すると、新庄課長はもじもじしながら頷く。なんて危険な。隣の上道係長は愕然とし過ぎたか、顔を手で覆って横へ反らしていた。
ど、どうしよう、ここで死亡フラグ……!?
何とかしないと!
「あのね、卵焼きは、私のお祖母ちゃんの想い出の味なの」
「お祖母ちゃんの?」
「ええ。私、両親が忙しくて、ずっとお祖母ちゃんのご飯を食べてたの。まるで菩薩のように優しい優しいお祖母ちゃんでね……あ、両親も良い人たちなのよ、なんとかして時間つくって運動会来てくれたりとか、旅行いったりとか。お祖母ちゃんも絶対に連れてきてくれて」
おいおい、ちょっとこれは、この流れは……
「大学を卒業したら、お祖母ちゃんは亡くなってね。もう役目は終わった、みたいに、清々しいくらい、しれっと」
くっ、ええ話や……!
確かに、どこかに転がっていそうな、良くある美談。
でも、それをいざ、寂寥感満載の苦笑混じりに言われると、たまったもんじゃない。
く、目頭が……!
「で、お祖母ちゃんの味をなんとか再現したくって……でも、どこで食べても味が違って」
「そりゃ、お祖母ちゃんの味って、簡単には見付からないだろ」
ずびずび鼻を鳴らしつつ上道係長は指摘する。って、あんたボロ泣きやないか。
あたしも言えないけど。
「それでも近い味くらいあっても良いじゃない? でも、本当にないのよ。だから、再現したいなって」
「けど、課長、卵焼きなんて……」
「いえ、やりましょう!」
「おい!? 相沢!」
上道係長の心配は分かる。
卵焼きなんて高度な料理、挑ませればもしかしたら町ごと爆発するかもしれない。けど、けどっ……!
「あんなエエ話聞かされて、無下になんて出来るワケあらへんやん!」
「おい落ち着け、関西弁になってるぞ」
「母が関西人なんや、何もおかしいことあらへん!」
「知らないからな俺!?」
上道係長の至極真っ当なツッコミは、しかし流される。仕方がない。
あたしは上道係長の両肩をがしっと掴む。
「なんとかやってみましょう。ここでやらなきゃ人間が廃ります!」
「町が廃りそうなんだがそれは良いのか?」
「それは棚上げしておきましょう」
「でっかい棚上げだなオイ。しかしなぁ……ああもう、やるか! 骨が残ってたら拾ってくれ!」
なんだかとんでもない物言いである。
「しかし、味の分からない卵焼き、なぁ……っていうか、新庄課長はそもそも卵焼きあんま食べないだろ」
「ええ。なんか甘ったるくて、苦手なのよ。確かに、お祖母ちゃんの卵焼きも甘さがあったんだけど、なんか違うのよね」
新庄課長の言葉に、あたしはピンときた。
「あ、あの、新庄課長。もしかして、お祖母ちゃんは関西出身では?」
「そうよ。良く分かったわね」
「何となく、ですけどね。分かりました。同じ味を出せるかどうか分かりませんけど、ちょっと作ってみますね」
言って、あたしは鍋を取り出した。
「何をするつもりだ?」
「たぶん、新庄課長の卵焼きは、だし巻き玉子なんだと思います」
「だし巻き?」
「ああ、そういえば、お祖母ちゃん、かつお節使ってた気がするわね。あと、色は本当に鮮やかに綺麗な黄色だったわ」
新庄課長のそれは大きなヒントだ。
だし巻き玉子の出汁は何を使うのか、配分も家庭で結構違ったりするのである。
「じゃ、いっちょやってみますかね」
あたしはそう気合いを入れてから、調味料を選んだ。
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