第30話 ドジっ子

 がやがや、がやがや。

 わいわい、わいわい。


 いっぱいに展開したテーブルに並んだ、カレー。ガッツリ食べたい人にはもも肉のカレー。さっぱりはササミ肉のカレー。他にも魚貝系のカレーを用意した。

 それにぴったりと合うのは、芋パン。こっちは出汁を入れたりして改良してある。

 後はサラダにドリンク。

 サラダはレタスにトマト、オニオンやアボカドなんかも用意して、自分で好きなサラダに出来るようブッフェスタイルにした。

 ドレッシングはさすがに二つくらいしか作れなかったけど。


 とはいえ、これがヒットした。


 みんな野菜に飢えていたのか、サラダが良く売れた。

 まぁ、部族の皆で採集した、高品質な野菜だしねぇ。カレーにもしっかりと旨味が入ってくるぐらいなのだから。


 で、その肝心のカレーだけど。


「お肉焼けたー!?」

「こっち、もうすぐ上がるよー!」

「芋パンもこっち、もうすぐ!」

「カレールーどこだー?」


 もうバカみたいに売れて、あたしたち調理組は大慌てで追加を作っていた。

 いやもう、ほんと、全員の胃袋どうなってんだ!?

 もうキリキリ舞いで、汗を何度も拭いながらあたしはフライパンを振りまくる。このカレーは意外に作業工程が多いから大変だ。

 だから余るくらい作りまくったはずなのに、むしろ足りなくなるって何事だ!?


「いやぁ、ここまで美味しいのは本当に久しぶりだからねぇ。家庭的なのに、まるで高級レストランで食事をしているような味だから」


 あたしにとっては予想を上回っている結果なのだけど、佐藤のおばちゃんは予想していたらしい。崩れない笑顔で調理をしてくれている。そのフットワークの軽さはあたしの三倍はある。

 さ、さすが歴戦の主婦……! 強すぎるっ……!


「ここに来てからはずっと非常食に近かったし、たまに採れた食材も美味しくないし、結構参ってたんだよねぇ」

「話では聞いてましたけど、それだけヒドかったんですね」

「ええ、そうよ。だから、今回のイベントは、みんな楽しみにしてたんだよ」


 カレーをかき混ぜながら、おばちゃんは淡く微笑む。


「だから、ね。みんな、茜ちゃんに感謝してると思うよ」

「え?」

「町を守ってくれて、その上でこんな美味しいものも作ってくれて。本当に。茜ちゃんは救世主みたいなものだからねぇ」

「きゅ、救世主?」


 ちょっとそれは言い過ぎなんじゃないかしら。

 思わずたじろいでいると、子供がやってきた。見覚えがあるのは当然。さっき助けたばかりの男の子――悠一くんだ。

 すっかり元気になったらしい。空っぽになったお皿と、口に所々ついたカレーやら何やらがそれを物語っていた。


「おねーちゃんっ!」


 にかっ、と、白い歯を見せた笑顔。ああ、子供って本当にいいよね。こういう、遠慮のない全力の笑顔をあっさりと浮かべてくれるんだもん。

 釣られてあたしも笑うと、お皿を差し出してきた。


「ごちそーさまっ! おいしいごはんをありがとうっ! あと、たすけてくれて、ありがとうっ! おねーちゃんは、めがみさまだねっ!」


 め、女神様と来たかっ!

 いや、でも、男の子だしね。それに、野獣やら何やらと比べれば、なんと甘美な響きか。


 あたしはありがとう、と言おうとして、鼻の奥がツンと痺れた。


 あ、ヤバ、これ、泣きそうになるヤツ。

 必死にこらえる。泣くな。泣いちゃダメだ。今ここで泣いたら、せっかくお礼を言ってくれたこの子が心配する。不安になる。

 そんなの、しちゃダメだ。


 ぐっ、と腹の底に力を溜めて、あたしはそっとお皿を受け取ってから違う方の手で男の頭を撫でた。


 ちょっとだけ。

 涙が引くまでのちょっとだけの時間稼ぎ。がんばれ、あたしの手。顔。涙腺っ!


「うん、良かったね。どういたしまして。それと、美味しいって言ってくれて、ありがとう。お姉ちゃんも嬉しいよ」

「えへへっ!」

「お腹いっぱいになった?」

「うん! ほらっ!」


 悠一くんは笑いながら、ぽっこりとしたお腹を見せてくれた。


「あんまりおいしいから、いっぱいおかわりしちゃった!」

「そっかー、そっかそっかー、お腹いっぱい食べられたかぁ……良かったね」

「うん!! ママがね、みんながね、かんしゃしないとって!」


 うぐ、ここに来て、更なる追撃か!

 こういう時、子供は嘘を言わない。だから、周囲の大人たちがそう言ってるんだって、素直に信じられた。


 くそ、ちくしょう。


 落ち着け。

 成功したってことじゃないか。今回の交流会が。

 それに、ここがゴールなんかじゃないだろ。

 これから畑を開墾して、畜産もして、みんなで、みんなで。


「そっかぁ、お姉ちゃんも言わないとね、ありがとうって」

「みんなにつたえてくるねー!」


 手をいっぱいに振りながら、悠一くんは走っていった。

 あたしも応じて手を振りながら見送って、とんとんと背中を触られた。


「はい、ハンカチ」

「……っ! んぐぅ、おばちゃあん……」

「はいはい。無邪気な子のお礼って嬉しいよねぇ。ほら、バックヤードにいっておいで。あんたは強がりだから、泣いてるトコ見られたくないでしょ」


 背中をさすりながらおばちゃんは言ってくれて、あたしはその厚意に甘えた。

 ハンカチを受け取って、素早くバックヤードへ移動する。

 誰もいないテントの裏で、あたしは壁に背を預けて、あたしはハンカチを目元にあてる。それが決壊の合図になった。


「う、うう、うううっ」


 なんだろ。なんだろ。なんでこんな涙が止まらないんだろ。

 一瞬の混乱。

 けどそれは、この世界にやってきてからの色々なことが全部丸ごと襲ってきたからだ。


 部族を守るため。


 そして、生き残るため。

 あたしはそんな、ある意味利己的なことばっかり考えてた。長になって、守らないといけない人たちがいて、だから自分を殺して。いや、殺しきれてなかったけど。


 でも、それでも、必死に走ってきて。


 なんか、それが報われた気がする。

 一歩も止まらないで、ずーっと、ただ目先のことを解決することだけで、本当にいっぱいいっぱいで。

 でも、それは間違いじゃなかったんだなぁって。


「んぐっ、ふぇ、ふぇぇぇぇええ…………っ」


 ああ、泣けた。なんか、女の子っぽく泣けた。

 ずっとなりを潜めていた女の子がやっと出て来てくれて、あたしは安心した。


 おかえり。あたし。


 ぽろぽろ泣きながら、あたしは自分をねぎらった。

 ぐずるように泣き終えて、しゃっくりまでして、きっと顔が凄いコトになってるんだろうなって確信できるくらいの頃、足音がやってきた。


「……アイっち?」


 こ。この声は、矢野っ……!?

 あたしは慌てて声とは真逆の方向に顔を反らした。


「どうしたの?」


 どうやら余計に心配を煽ったらしい。矢野が足音を立てて近付いてきた。

 やばいっ。

 あたしは本能的に逃げようとして、立ち上がった瞬間、思いっきりつんのめった。ってあたしのドジっ子ぉぉぉ────っ!


「ちょっと!」


 腕を掴まれて、あたしは思いっきり後ろにぐいっと引っ張られる。

 あ、やば、足がもつれて……っ。


 ぽふっ。


 柔らかいような、固いような。

 そして、懐かしいような感触。あ、人の胸だこれ。

 理解がやってきて、受け止めてくれたのは矢野だと気付いて。あたしは思わず矢野の顔を見てしまった。思ったよりも近くて、どきっとした。


 思わず目を見開くと、矢野はもっと驚いていた。


「な、泣いてる……?」


 ……あ。しまった、見られた。

 ちょっと見られたくなかっただけに、ショックかも。


 ちょっと困って苦笑すると、矢野はあたしからそっと離れた。

 そのまま、無言で引き返していく。あ、もしかしてどうしたら良いか分からない感じだったのかな? それとも、空気読んでくれた?

 だとしたら、ちょっと悪いことしたかも。


 ぐす、と鼻を鳴らして、あたしは涙をまた拭いた。


 すると、何か良い匂いがやってきた。聞くまでもなく、カレーだ。

 でも、凄く近い。

 どこから、なんて思う間に、正体はやってきた。矢野だ。

 山盛りのカレーとドリンクを持って、戻ってきたのだ。って、へ?


「お待たせ」

「いや、お待たせって、へ?」

「あれ、違った? てっきりお腹空いて、ご飯に中々ありつけないから、泣いてるんだと」


 あたしは子供か。


 反射的にツッコミを入れそうになって、あたしはなんだか可笑しくなってきた。

 あんまりそうは見えないけど、本気で心配している顔の矢野を見て、勘違いといえど、ご飯を持って来てくれて。

 矢野は、矢野なりにあたしを慰めようとしてくれてて。


「ふ、ふふ、あははっ」

「ど、どうしたの?」

「ううん、なんでもない。なんか、元気出ちゃった。食べよう」


 それに、お腹空いてるのは事実だし。

 忙しかったし色々あったしで、そう思う余裕が無かったのだ。今になって、きゅう、とお腹が可愛らしく鳴いた。

 あたしはありがたく山盛りのカレーをいただく。


 ちょこんと座ると、矢野も隣に座ってきた。自分もちゃっかり確保している。


 そういうとこ、ほんと矢野らしい。

 それも微笑ましくて、あたしはカレーを食べた。ああ、美味しいなぁ。


 さすが伝説の食材、アルバード。美味い。でも、魚も負けてない。どっちも美味い。

 みんなで作ったカレー。仲良くなるためのカレー。


「うん、いいね」

「だよねぇ。みんな喜んでくれてよかった」


 本気で安堵して言うと、矢野も微笑んでくれた。

 そういえば、陽射しもぽかぽかして気持ち良いのよね。なんか暑くもなければ寒くもない。本当に穏やかな感じ。

 少しだけ遠くで聞こえてくる喧噪。目の前に広がる、壮大な景色。


「こうして外で食べるのも、悪くないわね。っていうか、アレよね、小学校の時とか思い出さない? なんとかの家の学習、みたいな感じで、お泊りで行って、飯盒炊飯とか」

「……ああ、したね、そういえば」

「それで、どっか懐かしさってのもあるのかもね」

「そう、なんだ」


 あれ、ついてこれてない?

 何でもない様子だけど、ちょっとだけ戸惑った様子の矢野をあたしは見る。


 もくもくとカレーを食べている。けど。


「いや、ぶっちゃけ、そういうの、集団行動的な? 意味ないと思ってたから」

「サボってたの? まさか」


 言葉を引き継いで問うと、矢野は頷く代わりにカレーを一口した。

 いや、まぁ、確かに、見た目からしてそういうの苦手っぽいけど。でも全部サボってきたんかい。それはそれで根性だ。


「でもま。悪くはないんだね」

「まぁ、色んな感じ方があるから、人それぞれだけどね」


 言いつつ、あたしはカレーと食べていく。うん、本当に美味しい。


「食べたら戻らないとね」

「……うん」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。あ、でも、交流会の閉会式、たぶんまたスピーチ指名されると思うから、考えておいた方がいいよ」

「マジか」

「そういう人だから」


 そういえばそうだった!

 あたしは沈痛の表情を浮かべつつも、納得した。

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