第25話 悪夢をみているんだよ。

「な、何があったんですか、コレ……」


 呆然としながらも訊ねるが、誰も答えない。

 上道係長はがっつり影を背負いながら四つん這いになってるし、新庄課長は必死に顔を反らして何かから逃げてるし、恰幅の良い感じのおばちゃん――たぶん協力者――はキッチンに突っ伏してるし。


 なんだ、何に襲われたんだ。


 あたしは顔を引きつらせ、何がどうなってそうなったのか、天井に突き刺さっているボウルと菜箸を見る。いや本当に何があったねん。

 テーブルには謎の物体がうねうねしてるし、包丁は折れてるし、鍋は何故か溶けてるし、コップには化学物質か何か入ってるのかってくらいグロテスクな色をした液体が入っているし。


 これ、何の実験ですか。ミュータントでも生み出すんかい。カレーの材料で。


「どうしよう?」

「とりあえずまずは喚起ね。その上で片づけをまずしなきゃ。事情聴取はそこからね」


 とりあえず足を踏み入れ、あたしは掃除をすることにした。

 ゴム手袋を幾重にも重ねてマスクもつける。矢野も同じ感じだ。

 早速換気扇だけでなく、窓も開ける。それから、まずは何かくたびれた感じのあるプラスチックのまな板に触れて。


「ええええええ、なんでまな板がゲル状になってるの……」


 感触の気持悪さにあたしは顔を歪めた。

 それでも頑張って片付けていると、ようやく上道係長が復活してきた。


「う、うう、すまん……」

「なんで声が死にそうなんですか……」

「死にそうになったからだ」


 頭痛がひどいのか、上道係長はおでこを何度も撫でている。顔色もぶっちゃけ悪い。

 コップに水を注いで渡すと、ごくっと喉を鳴らして一気に飲み干した。


「呼び出して悪かった。いや、もう限界だったんだ」

「見たことのない惨状でしたからね。ボウルが天井に突き刺さるって何事ですか」

「俺もそう思ったよ。信じられなかった」


 真顔で上道係長は言う。その目線は、今だ外に向かって顔を反らし続ける新庄課長に注がれている。犯人はあの人か。


「最初は上手くいってたんだよ。用意されたレシピを見て、佐藤のおばちゃん、あ、そこで突っ伏してる人な。その人と一緒に調理して。そしたら、そこで現実逃避してる女上司がしゃしゃり出て来てな?」


 上道係長は今まで以上にトゲがある。というかむしろ恨みさえ乗っかってる気がする。


「で、まぁメインの調理に関わらない手伝いなら大丈夫だろうと思って任せたら、これだ。野菜を洗って千切って並べるだけのサラダに、用意してあるドリンクを注いでテーブルに並べてくれってお願いしただけなのに、どうしてこうなった」

「本当にどうしてこうなったんですか」

「悪夢を見ているようだった」


 思い出したくもないのか、上道係長はまた項垂れた。

 あたしは思わず新庄課長へ顔をやった。


「新庄課長……?」

「いや、いやね? ただ見てるだけっていうのも申し訳ないし、なんだかこう、ね。だから少しでもお手伝いできるかなーって。確かに料理は苦手なの。壊滅的というか、もはやペンペン草も残らないくらいに無理なんだけど、でも、他なら出来ると思って?」


 新庄課長は額に汗をかきながら必死に言い訳をしてくる。


「最初は順調だったのよ? レタスを千切ってたら、熱湯消毒してないことに気が付いて、お湯を沸かしてたら、もっと煮沸した方がいいよねって思って加熱してね。でもそれじゃあ熱いじゃない? だから、なんとかしようと思ってたら、ね?」

「待たれよ。大いに待たれよ」

「はい?」

「まずレタスを熱湯消毒ってなんやねん」


 あたしは敬語を使うことも忘れて問い詰めた。斬新すぎる単語のせいだ。


「いや、だって、ほら。野菜だし。それに、ね? ほら、テレビで熱いのに晒したら綺麗になるって」

「それはちょっと人肌に触れたら熱いくらいの温度でさっと洗うことです。熱湯消毒とかそんな次元じゃないです」

「あう」


 ズバリ指摘すると、新庄課長はうなだれた。

 他にも訊くと、ドレッシングを創造しようとしたとか、色々とやらかしてしまったようだ。その余波でカレーとか、色々とダメになったらしい。だからって何でこんな惨劇になるのか理解できなかったけど。


「とにかく、もう一度作るしかないわね」

「でも、時間があまりないよ? 採集もしないといけないし」

「それもそうね……じゃあ、部族のみんなと、新庄課長と上道係長にお願いしようかな。さすがに採集は間違えないでしょ?」

「大丈夫よ。出来ないのは料理だけだから」


 そこ、握りこぶし作らない。


「じゃあ、お願いします。あ、ウポッキャ族も増えたので、量はかなり多めに」

「分かったわ。彼らも連れ出していいの?」

「もちろんです」


 あたしは頷いた。

 本来ならアスラがウポッキャ族の長なのだが、何故かあたしになっている。おそらく、アスラが献上してきたものと思われる。

 彼らは彼らでまたサブリーダーやら何やらを決めてミーティングしないといけない。


 大家族のお母さんだねって矢野に言われたけど、まさにそんな感じね。


 問題は居住スペースだけど、ウポッキャ族はウゴッホ族より規模が小さかったので、なんとか用意出来た。けど、今後のことを考えると街の増築は早くも視野にいれないといけないって副町長が言ってたわね。

 それに、食糧問題もさらに深刻になったし。


 でも、それでも交流会は中止にならない。いや、町長はさせない。


 まずは打ち解けて、仲良くなること。信頼を築くこと。それが第一だろうから。

 あたしはメッセージウィンドウを立ち上げて、ウゴッホ族とウポッキャ族に指示を出しておく。ちょっとした人員を動員するので、ミランダとアスラの二人ともに出てもらおう。


「それじゃあ、また後で」

「ええ、また後でっ!」


 しゅたっ! と敬礼してから、新庄課長は上道係長を連れてさっさと出ていった。

 残されたのは、あたしと矢野と――おばちゃん。

 あれ、このおばちゃんは。

 記憶に引っ掛かって首を傾げていると、矢野がおばちゃんに近寄って背中を揺する。


「おーい。佐藤さん、起きて」

「う、うう……」


 直接的刺激はやはり効果的なのか、佐藤さんは目を覚ました。

 あ、やっぱり。

 このおばちゃん、薬局で助けてくれた人だ。恰幅の良さといい、表情といい。


「うう……なんて悪夢を見たのかしら……」


 むくっと起き上がりつつ、おばちゃんは青い顔を見せていた。いや、もうなんか申し訳ないを通り越してるんですが。

 思いつつも、あたしはコップに水を注いで差し出す。魔法で氷を作り出して冷やしてから、だ。

 おばちゃんは受けと取ると、一気にくいーっと飲み干した。


「ぷはぁ、生き返った。ありがとねぇ。って、あら。茜ちゃん?」

「はい、今朝がたぶりです」


 頭をぽりぽりしながら挨拶すると、おばちゃんはにこっと笑顔を深くしてくれた。


「あら、あらあらあら。まぁまぁまぁ。どうしてここに? あ、そっか。新庄ちゃんが言ってたわね、本当は茜ちゃんが担当なんだって」

「そうです。すみませんでした、離席してしまっていて」

「構わないわよぅ。茜ちゃんのことだから、きっと何か町のために動いてくれてたんでしょう?」


 手を振りながらおばちゃんは言ってくれる。

 なんだろう、この全幅の信頼。あたし、この人の目の前で何かした覚えはないんだけど。薬局であった時も、すごくフレンドリーだったのよね。

 それが戸惑いになったのか、おばちゃんはすぐに察したように手を叩いた。


「朝にも言ったでしょう。町を助けてくれる存在だって。それに、町長が認めたから、色々と任されてるんだろうし。それだけで信じるに値するよ」


 朗らかに言いつつ、あたしは真意を察した。今回の交流会で、示せって言ってるのだ。

 あたしが、あたしだから信頼できる存在である、と。

 本当に、このおばちゃんは油断できない。


「分かりました。頑張りますね」

「……本当に察しの鋭い子だね」


 力強く返すと、おばちゃんは苦笑した。

 こう見えてOLである。言葉の真意はちゃんと見抜けるように訓練したわ。

 お互い笑顔を交わしたところで、あたしは気を切り換える。


「とにかく、もう一度作りましょう。一応用意した材料は余裕を持たせていたはずですし、無事なものもありそうですし」

「そうだねぇ。この美味しそうな鶏ガラとかは無事だし、芋のパンも出来上がった具合だし」

「じゃあ、ちゃちゃっと作りましょう」


 だったらすぐに作れる。

 あたしは両手を合わせて、なるべく明るく言った。

 すぐに調理が始まる。さすがにおばちゃんは主婦だけあって手早い。あたしも頑張ってみるが勝てそうにはなかった。


「というか、このレシピは茜ちゃんが考えたのかい?」

「はい、そうです」

「辛さの調整とか、そういうのは悪くないと思うよ。ちゃんと出汁から合わせてるから、私らの舌にも馴染みやすいし、この鶏ガラ、信じられないくらい美味しいしね。でも」


 カレーをかき混ぜながら、おばちゃんは懸念を口にする。


「もう少し、幅があると嬉しいねぇ」

「幅、ですか?」

「この出汁でこの味なら、色んなアレンジきくでしょ? お肉も年齢層に合わせてもも肉だったり、ササミだったりとしてるみたいだけど、魚介類もあうんじゃないかい?」

「魚介類、ですか」


 それは考えたことなかったわね。

 まぁ、釣りをするって発想がなかったんだけど。確かに、この町は川が近い。FFW通りなら、あの川は肥沃な方で、魚とかも良く獲れたと思う。

 今後、生活していくにあたって、お魚や魚介類も大事になってくる。今回のカレーに組み込んで、大丈夫だって思ってもらえれば、食事の幅も広がるだろう。


 ただ、そうなると釣り道具関係を作らないといけない。


 今から生産して、釣りをするとなると、時間が厳しそうだ。


「あれ、ウポッキャ族って確か、漁業系じゃなかったっけ」

「そうなの?」

「うん。確かそうだったと思うけど」


 矢野のFFWにおける知識は本物だ。

 あたしはすぐに確認する。確かにそうだ。ウポッキャ族は川の近くに暮らす部族で、漁業を食の中心としている。これなら、魚を獲るノウハウも持っているはず。


「川魚と貝、か……だとすると、臭み対策が必要になりますね」

「確か、川の向こうの森にハーブがあったと思うけど。取ってこようか? 魚も幾つか獲れると思うけど」

「できるの?」


 思わず聞き直すと、矢野は当然のように頷いた。

 ああ、そっか。矢野くらいチートな弓使いになったら、獲れるか。


「じゃあお願いしていい?」

「分かった」


 そう頷いて、矢野はさっと出ていく。

 じゃあ、こっちはその間、その魚介用の準備しましょうかね。基本ベースはそのままで良いけど、お魚の出汁も足したいし。


 ぽん、とメッセージウィンドウが立ち上がったのは、トレイを出した時だ。


 矢野からである。


『色々と試したいだろうから、色々な魚とか貝類とか獲ってくる。ハーブとかも。だからご褒美が欲しいな』


 ――なんじゃそりゃ。

 あたしは呆れて目を細める。本当に子どもっぽい。でも、あたしを助けてくれたのは矢野だし、何かしらのお礼は必要っちゃ必要か。

 なんて思いながらスクロールさせると、次の文章が出て来た。


『試食のカレーをいっぱい食べたいっていうのもあるけど、休みの日に、遊びたい。ゲームで』


 ――ぷっ。

 あたしは思わず吹き出してしまいそうになった。

 ゲームか。ゲームがしたいか。

 でもまぁ、それで気が済むなら、それで良いか。


『了解。楽しみにしてるわ』


 あたしはそう返信して、メッセージウィンドウを閉じた。

 お腹を空かせてくるだろうから、たんまりと作りますかね。

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