第20話 隠し味はマムシです。
……あー、寝不足。
鳴り響く目覚ましを止めて、あたしは布団の中から這い出る。髪はぼっさぼさだし、明らかに肌の調子は悪い。けど、起きなければならない。
ばっちり今日も仕事なのだ。
明日は交流会。しっかりとしなきゃ。今日はスケジュールも詰まってる。
それなのに、なんであたしは深夜までゲームしてたんだろう。
軽く後悔しつつも、あたしは布団の魔力を振り切って起き上がってバスルームに入り込んだ。ちょっと熱めのシャワーで目を覚ます。ついでに髪もまとめあげた。
入浴は短めにして、あたしはさっと髪を乾かして着替えを済ます。気付けば出勤時間ギリギリだ。朝ごはんは食べてる暇なさそうだわ。
バタバタとしていると、リビングの方から物音がした。
「んー。おはよ……」
「おはよう、じゃないわよ。あんた、もう出勤……って、なんでここにいるわけ!?」
思わず飛び退きながらあたしは叫ぶ。
「え、だって、あまりに夜遅かったから、ここで寝るねって言ったじゃない」
「……そういえばそうだったわね」
「忘れないでよね。一瞬本気で仕留められるかと思った」
すっかり抜け落ちた記憶を手繰り寄せ、あたしは項垂れた。
何をしてるんだ。女子一人暮らしの部屋に男子を泊めるなんて……っ!
いや、まぁ、ちょっとお酒を入れたせいもあるんだろうけど!
首を左右に振って、あたしは意識を切り替える。
とにかくあたしは無事だ。何もされてない。寝た部屋も違うし、そもそもあたしの部屋はちゃんとロックかかってたし、うん。
「とにかく。あんたどうすんのよ。家に戻ってたら遅刻よ?」
「役所に着替えとか歯ブラシとか置いてあるから大丈夫。このままいく。あ、でも顔だけ洗わせて欲しいな」
「構わないけど……髭剃りなんてないわよ?」
いや、眉ぞりとかはあるけど。でも男の髭に負けないような便利なものはない。
「大丈夫、僕、髭ないから」
「あ、そう……」
そう言って洗面所に向かう矢野に、あたしはタオルの位置を教える。
短時間で洗顔を終えた矢野は、さっと身なりだけを整えた。
……寝癖。髪が跳ねてるけど。
でもそれを指摘して直させてやる時間はなかった。
とりあえず玄関からさっさと出てから、あたしはポーチからグッズを取り出す。
「はい、手鏡。んでブラシ。貸してあげるから、出勤中になんとかなさいよ」
「え、あ、うん。ありがと」
ちょっとだけ戸惑いながらも受け取った矢野を置いて、あたしはさっさと早歩きで距離を取った。同伴出勤したとか噂を流されたらたまったもんじゃない。
大通りに出て、あたしはウィンドウを開けて書類を確認する。
オールデジタル化されたこの町。割と便利である。
紙なんて貴重過ぎて使えない、というのが現実なんだけどね。
それくらいはあたしでも分かる。
表示したのは、今日のスケジュールだ。結構過密である。出勤したらすぐに部族の面々とミーティング、その後は交流会を行うにあたっての協力者との打ち合わせ。
その後は、お昼もかねて実際に試食して、午後からは畑の修繕と拡大、部族の面々に割り当てる仕事の会議。それが終わったら彼らに指示を出して、それから、もう一度素材を採集しにいって――と。
超忙しい。
こんな寝不足で大丈夫なんだろうか。いやー、無理よね。
栄養ドリンクの一本でも決めるべき。けど、そんなの売ってるのかしら。
「……なんであんたは元気にゲームしてるワケ?」
ちらちらと視界に入る矢野は、何故か冷静にカチカチとPLPでゲームしてる。
「ゲームしてると目が覚めるから。それに洗顔したし」
「あら、そう……」
元から睡眠時間短くても大丈夫ってヤツなのね。
「栄養ドリンク欲しいなら、そこの角を右。薬局が朝から開いてるから。じゃ、僕は先にいってるね」
「あ、そう。ありがと」
「遅刻はしないでね。僕はギリギリで入るから、僕に追いついたらセーフだよ」
「ありがと」
分かりにくい優しさね。
思いつつも、あたしは感謝しながら右に曲がる。すると、そこには確かに薬局があった。昔懐かしい感じ。もう消毒液の匂いがやってきそうなくらいだわ。
でも、効き目はあるかも?
自分で自分をもどかしつつ、あたしは薬局へ向かう。
「おじゃましまーす……」
ガタガタと立て付けの悪い木のドアをあけて、妙に薄暗い店内へ声をかける。
返事はない。
ガラス張りのショーケースにもなってるレジには、誰もいない。留守なのかしら。いやでも、店前の看板は営業中になってたし。
「あのー……営業中ですかー……?」
さっきより弱々しい声をかける。けど、やっぱり反応はない。
あ、あれー……?
「ちょっと、お嬢ちゃん。ダメだよー、そんな可愛らしい声じゃ。ここのお婆ちゃん、耳が遠いから」
困っていると、後ろからちょっと野太い声がかけられた。振り返ると、白いエプロン姿をした、恰幅の良いおばちゃんがニコニコとしていた。
「え? あ、あの……?」
「ほら、おばあちゃ────んっ! お客さんだよぉ────っ!」
あたしの肩を叩いて、おばちゃんは思いっきり息を吸って、大声をはりあげた!
って、うるさっ!
反射的に耳を塞ぐと、がたがた、と奥から物音がした。
「なんだい、もう」
出てきたのは、腰が曲がった、魔女かって見間違うような雰囲気のおばあちゃんだ。
「お客さんだよってんの」
「ああ、そうかい。って、見ない顔だねぇ。あんた、確か……」
「はい。この度からお世話になることになりました、相沢 茜です」
ぎょろっとした目で射貫かれて、あたしは慌てて挨拶をする。
「ふん、悪くないね。ちゃんと挨拶出来る子は成長出来るよ。何が欲しいんだい」
「え、あ。栄養ドリンクを……」
「なんだい。若いのに。寝不足かい? そういう時は寝るのが一番なんだけど、そうもいかないんだろうねぇ。えーっと、ちょっと待ちな。カフェインとかは大丈夫かい?」
「はい」
頷くと、おばあちゃんはさっさと棚からビンを一本取り出した。
「これでどうかね。いっとくけど、昼はちゃんと寝るんだよ」
「ありがとうございます」
お会計、と思ったら、ウィンドウにポップが出る。触れると、勝手にお金が引き落とされた。この貯金額、思いっきりFFWの時のものだわ。
あたし、軽く大金持ち。
「どうもありがとね」
「はい。あ、あの、ありがとうございました」
あたしは恰幅の良いおばちゃんにも頭を下げる。
「良いってことよぉ。お互い助け合いの精神さね。それに、茜ちゃんと呼んで良いかい?」
「はい、もちろん」
「茜ちゃんは私たちの問題を解決してくれるって聞いてるから。これからよろしくね」
「……! はい!」
差し出された手を、あたしは強く握った。
それからあたしは店を出て、早速栄養ドリンクをいただく。
ごくっ、と一口。
不思議な風味にあたしは眉根を寄せた。なんだ、今まで飲んでたのと全然違うぞ。
どこか酸味があって、徹底的なくらいに甘ったるい。だから喉に引っ掛かるような、あの独特の味わいじゃあない。
「なんだろ、これ……」
銘柄を確認しようと瓶を確認して。
オトミ特別ブレンドすぺしゃりてぃ。という一文に全部奪われた。
えっと、あのー、え?
しかもラベル手書きやん。
慌てて成分表を確認しようとするが、あったのは《企業秘密!》とだけ。おいちょっと待てい。色々と待てい。
もしかして、とんでもないのを飲んだか、あたし。
顔をひきつらせつつ、あたしは残りを飲むかどうか悩んだ。いや、決して不味くはない。どっちかというと、ハチミツっぽい風味があって、後味はジンジャー。他にも柑橘系の香りがふわっとする。
だから、ヤバいモノは入ってない。はず。
「ええい、ままよ!」
あたしは覚悟を決めて、腰に手をあてながらぐいっと一息であおる。
ごくごくっと、のど越しだけで味わい、あたしはぷはあぁっ! と息をはく。
「……なんだか凄いのみっぷりだね。実はファスナーとかついてて、中身はおじさんだったりする?」
ぴしっ。
「い、いいいいいいや、なんであんたがここにいるのよっ!? 先にいってたんじゃないの!? っていうかファスナーなんてないわ!」
矢野から何か違うものを見るかの目線をぶつけられ、あたしは動揺して問いただす。
「いや、事態が変わったから」
「え?」
「緊急出動だよ。こういう系のウィンドウポップは常に通知オンにしておいてね」
指摘されて、あたしは慌ててウィンドウを立ち上げる。真っ赤な文字のそれは、確かに緊急出動要請だった。
「敵襲、というか、スタンピート」
「なんですって?」
あたしは顔色を一変させた。
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