第2話 寝起きのウゴッホ
……うう。
深い微睡みからの覚醒がやってきて、あたしは不快感から逃げようと寝返りをうつ。
ふかふかのシーツは柔らかくて、とっても気持ち良い。
この枕も柔らかさが絶妙だ。肌触りもサラサラで完璧。思わず頬擦りしてから、私は二度寝を決め込もうとして、気付いた。
おっと、ちょっと待て。
瞬間的によみがえる、ウゴッホの記憶。
どういうこと?
もしかして夢だった? あのウゴッホは夢だった? だったらなんて悪夢だ! いやでも目覚めてくれてありがとう!
まさか悪夢に感謝する日が来るとは思いもしなかった。
でも、今何時だろう。いや、休みだから気にしないで良いんだけど。でも、さっきから何かカチカチカチカチ音が聞こえるし。
「……ん?」
思いきって起き上がると、そこにはひたすらゲームに打ち込んでいる男が座っていた。あ、あれって、超限定版PLPじゃん!
じっと注目していると、男は真剣そのものの表情で、指を最高速で動かして集中している。こっちのことなんて気にもかけてない。
あー、うん、分かるよ。これ、邪魔しちゃいけないヤツ。
理解しつつ、あたしは周囲を見渡す。
……どこかの仮眠室? というか、医務室?
どこか懐かしい雰囲気があるのは、学校のような作りだからか?
少なくともあたしの部屋ではない。
じゃあ、どういうことだと色々と考えつつ視線をやると、PLPに集中してるから顔は良く見えないけど、パーツとしては大人しい感じで整ってると思う。黒髪は男にしてはちょっと長めなのかな? 猫毛な感じを七三に分けてる。男は《
ってことは、役場の人? じゃあ、ここは役場?
よく見れば、ベッドにもシーツにも夢叶町という刺繍が刻まれている。
いやでも夢叶町には住んでいない。悪名という意味で名前は知っているけれど。
あれ、どういうこと?
もう本当に意味が分からなくてシーツを手繰り寄せてから、自分の格好に気付いた。まるで爆発にでも巻き込まれたかのような、ボロボロのピンクスーツ。
「「「ウゴッホ! ウウゴッホォォオオオ!!」」」
そして。開いた窓から入って来たのは、少しだけ冷たくて、爽やかに白カーテンを揺らす風と、野性味だけが溢れる掛け声。
あたしはそれだけで察した。
ちくしょう夢やなかったんかい!!
がっくりとその場で項垂れて、あたしは頭痛を覚えた。
そのタイミングで、男の持っていたPLPからファンファーレが鳴った。耳に慣れたそれは、クエストクリアのものだ。
「ふう。……あ、目が覚めたの、野生のOLさん」
「よしちょっと待て」
迷わずあたしはツッコミを入れた。
同時に思い出す。そう言えば、気絶する前もそんなこと言われた気がするぞ。
「あの、いきなりで申し訳ないんですけど、なんですかその野生のOLって」
「え、そうポップアップが出てたから」
男――といっても同年代――は、少しだけきょとんとした顔を見せて、あたしの頭上を指さした。
釣られて見上げるけど、何もない。
怪訝に眉を寄せていると、彼はそれで理解したのか、PLPを置いてからポンと手を叩いた。
「そうか、まだプレイヤー認識出来てないんだね」
「え、何、それ」
「とりあえず、僕の指の動きを真似てみて」
マイペースに彼は言うと、指を上下に動かす。真似てみると、ひゅ、と音がして。
目の前に何かが現れた。いや、何か、じゃないわ。ひどく見慣れたそれは、FFWのステータスウィンドウだ。
瞬間、世界が一気に変わった。
自分の視界に色々と現れたのだ。
これも見慣れたもの。この赤い色は体力を示すものだし、こっちはスタミナ、こっちは魔力。間違いなく、FFWの画面に表示されるものね。
「……ど、どういうこと?」
「まぁ、信じられないと思うけど、そういうこと」
「いや、だからどないなん」
思わず説明を求めると、彼は顎を指でさすりつつ、PLPを起動した。って。
「いや何で!?」
「うん、メンドーだなって」
「本当にひどいわね!?」
すると、彼はPLPを手渡してきた。受け取ると、画面が点いている。
「何も説明しないなんて言ってないよ?」
「これを見ろってこと?」
「そう。FFWっていうんだけど、それ」
「知ってるわ。私もプレイしてたから。去年、サービス終了して寂しかったのよねー。せっかく後少しで、マスターになれたのに」
思わず愚痴ると、彼は意外そうな表情で目を点にさせた。
「マスター……って、相当やりこんでないと無理だよ?」
「そうね。確かに、サービス開始からずーっと、コツコツとだけどやってたからね。プレイ時間ならかなり長いんじゃないかしら」
「……好き、だったの?」
何故か上目遣いで彼が訊いてくる。まぁ、確かにそうなのかも。
だってこのゲーム、プレイヤー数が悲しいくらい少なかったもんね。だから、同じゲームやってたって知ったらちょっと驚くのかも。
「うん、好きだよ」
だから、あたしは訂正する。過去形じゃなくて、現在形に。
思いが伝わったのか、彼は顔を緩めた。
「そっか……」
「それで、なんでこの画面? っていうか、FFWが立ち上がってる?」
「そう。立ち上がってるんだよ」
彼は――頭上に表示されているポップはゲーオタ公務員と出てる――立ち上がると、ゆっくりと窓に向かって歩いていく。
ふわりとまた風が入って来る。
そういえば、FFWって風の質感を凄く大事にしてるゲームだったなぁ。本当に細かい動きのグラフィックがあって。
「この世界は、FFWと強いつながりがある。というか、ほとんどそのまんま、FFWなんだよね。プレイヤーとして認識すると、ステータス画面が表示されたり。フツーの世界じゃあ有り得ないけど、ここじゃあ成立してる」
「……まずそれを事実として飲み込めってことね?」
彼の言外の主張を理解して確認すると、彼は頷いた。
オーケー。そういうことにしよう。まずそこを理解しないと話にならないんだったら。
実際、あたしも異世界転移したってのは思ってたのだ。ほら、最近アニメとかにもなってて、そういう小説が流行ってるって知って、興味が出て色々と読み漁ってたってのもあるけど。
「で、あたしたちは異世界転移してきたってわけね。このゲームみたいな世界に」
「そういうこと。野生のOLさんは個人として……僕らは、町ごと」
ま、町ごと!?
あたしはいそいそとベッドから這い出てから、足下に用意されていたスリッパを履いてから窓枠に移動する。
そこに広がっていたのは、初めてだけど馴染みのある町の光景だった。アスファルトの地面に、交差点。ビルや、少し向こうには駅や住宅街も見える。行き交う人々の数はかなり少ないけど、格好はとても文明人だ。
……まぁ、その向こうはファンタジー感溢れる自然が広がってるんだけど。
なんというミスマッチ。
なんて思いながらも、あたしは納得した。本当に、この町は転移してきたらしい。こんなんで納得しちゃうあたしもあたしか。
「どうして転移しちゃったのかは分からないんだけどね」
「……とりあえず、元の世界には戻れないの?」
「色々と調べたんだけど、FFWをクリアしたら元の世界に戻れるらしいんだ」
「あれ、ちょっと待って、あれMMOでしょ? ゲームクリアなんて概念なかったでしょ」
思わず指摘すると、彼は頬をかきながら外を見る。
「……一応、村を世界で一番のものにするって目的があったと思うけど」
いや、確かにそれはあったけど。
チュートリアルで説明された一文をあたしは思い出す。
「それをやるしかないってこと……? あれ、どれだけの数のクエストこなす必要があると思うの……?」
「把握しているだけでも一〇〇を越えてたね。サービス終了で情報しかないヤツとかもあるし、ジョブチェンジしないと進行出来ないとか、特定の時期しか発生しなかったりとか」
「そうそう、まさに鬼畜仕様そのものだったよね……」
思い出してあたしはうんざりする。
でも、それをこなすのも楽しかったのよねぇ。
「だから、僕たちがそれを成し遂げようってしてるんだ」
「……僕、《たち》?」
おうむ返しに訊くと、彼は頷いてからあたしの方を見てから、ズボンのポケットから名刺ケースを取り出す。
お? お?
差し出されたのは、当然一枚の名刺だ。
「……夢叶町特別振興対策課……
「そ。FFWやりこんでるってことは、野生のOLさんも」
「おいやめろその呼び名」
「……君もゲーオタだよね。だったら、聞いたことあるんじゃないかな」
彼は少しだけ沈黙してから言い直す。
「夢叶町の悪夢。通称、ゲーオタ課のこと」
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