どこかで見た獣と復活の異神(後)

 知識は『強さ』に直結する。


 ワイズマンズクラフトであれ、デモンズクラフトであれ――どのカードがどんなデッキで使われているかを記憶し、その対処法を突き詰めていけば、『対処しなくてもいい瞬間』を探し求めれば、カードゲームは強くなれる。

 むしろそれしか『道』がない。


 ドロー効果を使うタイミング。

 モンスター除去の見極め。

 打ち消し効果の使用。

 対戦相手のライフポイントの詰め方。

 そもそもデッキの構築から。


 俺たちカードゲーマーは常に選択を求められているのだ。


 自らの選択肢はできるだけ多く、相手の選択肢はできるだけ少なく。その立ち回りの基礎となるのがカード知識とルール理解だった。まずは識らなければお話にならない。


「くそ――もっと聞いておくんだった」


 たった今俺が使用したマジックカード“雷雲の落とし子”が黒髪少女の雷撃魔法とぶつかり合って世界が白一色に染まる中、俺はそう口走って舌打ちした。


 何はともあれ、俺の脳内に魔法の知識がない。


 黒髪少女が放った炎の槍も。

 数十に及ぶ風の刃も。

 自動追尾してくる細い光線群も。

 巨大氷塊の垂直落下も。


 すべてが賭けだ。『今、打ち消し効果を使うべきか否か』という賭け。


 俺はカードゲーマーだから選択しなければならない。


 それで俺は――アポ様の防御力を超えてくるなよ――と願いつつ、“宿り血の殲滅意識”の効果発揮を見送った。

 打ち消し効果一つでライフポイント一点だ。不安だからといって無駄撃ちはできない。


 アポ・メカネス・テオスの足下から噴き上がった『熱のない炎』が炎の槍を呑み込み、風の刃に対する盾となり、光線の群れすらも拒絶する中、俺はどうするかと考える。


「……適当に攻撃しても逃げられるか……」


 直径百メートルを超える氷塊の垂直落下を異形杖の突きで迎え撃ったアポ・メカネス・テオスが、打撃の衝撃力で巨大氷塊を大量の氷片に分解しつつ俺に言った。


「しかし、それをなんとかするのが和泉慎平というものであろう?」


 相変わらず無表情な人形神だが、どことなく声が弾んでいる。激しい戦闘に沸き立っているというよりは俺への期待だろうか。


 俺の方もニヤリと笑い、「なんとかします」優しい人形神に応えたいと思った。


 ――――――


 一拍の間を置いてから俺たちの周りに出現した『耳障りな不協和音を生み出す漆黒の球体たち』。


 俺は即座に嫌な咳を吐いて、血涙に濡れる目でまばたきをする。


 たったそれだけ。たったそれだけで黒髪少女が生み出した漆黒の球体は全部台無しだ。『最初から何もなかった』かのように、この世界から消え去った。


「ごほっ、ごほっ、がはっ、おえっ」


 警戒した黒髪少女が一瞬動きを止める中、アポ・メカネス・テオスが静かに立つ中、俺だけが激しく咳き込んでいる。咳をする度に地面に血を吐いている。


「ごほ――――はあ……しんど……」


 “宿り血の殲滅意識”発動でライフポイントは残り三点。


 血を吐き終わってふらふらと顔を上げる俺は隙だらけだった。だからこそ黒髪少女が杖を振り上げて俺に飛んでくる。

 アポ・メカネス・テオスよりも俺の排除を優先したらしい。


 赤銅杖と異形杖の甲高い激突音。

 アポ・メカネス・テオスが俺の正面に滑り込んでくれた。


 魔法少女と人形神の打ち合いは――四度。


 大上段から袈裟懸けに振り下ろされた一撃、弾かれた勢いでクルッとひるがえって横に薙いだ一撃、斜め下から天空へと昇ろうとする一撃、アポ・メカネス・テオスの下腹部に斬り込む一撃。


 そのどれもが人間の反射速度の遙か上だ。

 そのどれもをアポ・メカネス・テオスの異形杖が――弾き、押し返し、流し、受け止め――容易く防いだ。


 最後の形は『大人と子供のつばぜり合い』。


 背の高いアポ・メカネス・テオスが覆い被さるように黒髪少女の赤銅杖を止めた。

 黒髪少女は背中を弓なりに反らしながらアポ・メカネス・テオスの重さに耐えている。


 ……止まったか……。


 そう思って俺は一歩前に出るのだが――次の瞬間、黒髪少女の左手が赤銅杖を離れて俺の顔面に向いた。呪文詠唱無しで光線の魔法が放たれた。


「……………………………………心臓止まるかと思いました」


「油断はせぬことだ。獣は、いつだってお前の首を狙っているのだから」


 アポ・メカネス・テオスが三本腕の一つを伸ばして手のひらを広げてくれていなければ、黒髪少女のビームに顔面を消し飛ばされていたことだろう。


「獣。獣――“聖痕の獣”ですか。確かにそうだ」


 俺はそう苦笑してから、アポ・メカネス・テオスの圧力で更に背中が反り返った黒髪少女へと近づき、『妙高院静佳の顔』を覗き込んだ。


「………………」

「………………」


 俺を睨み付ける黒髪の超絶美少女とちゃんと目を合わせてから、こう言う。

「こんなもんですか、妙高院静佳」


「――――!?」


 黒髪少女は動けなかった。安っぽい俺の煽り、そして『お前は妙高院静佳だ』という断定を受けて、思いっきり瞳孔を開いただけだった。


 俺は、口元を少しだけ弛めつつ、『アポ・メカネス・テオスとのつばぜり合いにかかりっきりになっている』黒髪少女――妙高院静佳の顔へと手を伸ばす。


「どういうわけでこういう状況になってるかは、まったく知りませんがね」


 人差し指で触れたのは――ピジョンブラッドのごとき赤い右目――その目元だ。このまま指を突っ込めば光を奪えるとも思ったが、それはやらない。


「なんというか」


 その代わり――小首を傾げてこう尋ねた。


「静佳さん。あなた、前に闘った時より雑魚になってないです?」


 俺自身の吐血と血涙をぬぐったせいで血に濡れている指先をずるりと下に動かして、妙高院静佳の目元から頬に向かって赤い涙を落書きした。


 とどめは――嘲笑――だ。


「こんなものですか、妙高院静佳とあろうものが。――ハハハハッ!」


 アポ・メカネス・テオスとつばぜり合いする妙高院静佳に顔を突き付けてからの嘲笑。和泉慎平の口から出たとは思えない、死ぬほど嫌みな声だった。笑いに震えた声だった。


 そして、俺が笑いに震えるならば。


「かぁど、げぇまあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 妙高院静佳は大激怒に震えて俺にツバを飛ばす。


 怒りのままにアポ・メカネス・テオスの剛力を数センチだけ押し返し、俺の顔面に前蹴りを飛ばした。


 ――――――


 妙高院静佳が片脚になった瞬間、アポ・メカネス・テオスが上から妙高院静佳の体勢を潰す。

 それで妙高院静佳の前蹴りは俺の頬をかすることになった。

 

 白金の脚甲に包まれた爪先が俺の頬肉を薄く裂いたが、俺は「やっぱり。静佳さんじゃないか」と小さく笑い直してアポ・メカネス・テオスの背後に回るのだった。


 あの美貌で、あの声で、和泉慎平がカードゲーマーであることを知っている女の子なんて、妙高院静佳しかこの世に存在しない。


 双子の妹、読神舞佳なんかでは断じてない。


 魔王の呪い――妙高院静佳を縛る『漆黒の鎖』が発動しない理由は気になるが、それは二の次三の次だった。


 だって……もうすぐアポ・メカネス・テオスが殴り倒されるだろうから。


「獣よ。聖痕の獣よ。汝を救うものは腐り落ちた愛ではない」

「うるさい!! うるさいうるさいっうるさい!!」

「汝を助くものはここにいる」

「黙れぇええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 ついさっきまで無言で通していたはずの妙高院静佳が、ツバをまき散らしながら、アポ・メカネス・テオスとの打撃戦を再開している。


 アポ・メカネス・テオスの背中越しでは全貌は見えないが、妙高院静佳の背後に黒い魔法陣が現れ、妙高院静佳の四肢が黒き稲妻を纏っていた。


 俺の五メートル後方、三毛猫と一緒のイスラ・カミングスが叫んで教えてくれる。


「身体強化の極致ですわ! その魔法なら、人の赤子でも大悪魔を殴り殺しますわよ!」


 とはいえ、効果が強大であればあるほどに代償も大きいのだろう。

 妙高院静佳が杖を振るう度、アポ・メカネス・テオスと杖を打ち鳴らす度に、彼女の四肢を包む装甲の隙間から鮮血が飛び散るのだ。

 妙高院静佳の剥き出しの肩と太ももから、いきなり血が噴き出した。


「早く逃げろってことですわ!! 聞いてますのっ!? 和泉さん!!」


「………………来るか」


 妙高院静佳の身長なんて百六十五センチに届かない。

 体重だって多分四十キロ台だろう。


 そんな十代の美少女が――――今、アポ・メカネス・テオスを打撃戦で一歩退かせた。


 妙高院静佳の振るう赤銅杖の速度が、アポ・メカネス・テオスの異形杖の速度を上回って大理石の肌に届いた。


 たかが地球の魔法少女が、異形の人形神の腕を、腰を、脇腹を打ち砕いた。


 大きく破損した腹部から二つに折れて崩れ落ちるアポ・メカネス・テオス。


 そして大理石の巨体が斜めに倒れると同時。

「かーどげーまぁあああ――っ!!」

 妙高院静佳が獣のごとき前傾姿勢で突っ込んでくる。

 

 最短最速で俺を抹殺するために、右手の赤銅杖を俺の腹部めがけて突き出した。


 ――――――


 俺は腰を落として備えていたが、人の反応速度を超える獣の突進に何ができるわけもない。


 ――妙高院静佳が握る巨大な赤銅杖に土手っ腹を貫かれた――


 衝撃はわずか。腹と背中を軽く殴られたと思うくらいだった。


 だが、数瞬後には腹部に強烈な不快感だ。赤銅杖にぶち抜かれた臓腑と背骨の断末魔が、俺の脳に次々上がってくる。

 まともに呼吸もできず、とにかく吐きたいと思った。


「さよなら」


 赤銅杖を魔力で輝かせた妙高院静佳がそう言う。


 だから俺は――――『俺の体内で発動した何らかの攻撃魔法』を、“宿り血の殲滅意識”で打ち消すのだ。まばたき一つで赤銅杖の光を消し去ってみせた。


 “宿り血の殲滅意識”の使用でライフポイントは残り二点。


 そしてボソボソ言う。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・」


 妙高院静佳が「はぁ?」と眉をひそめたから、俺は口から大量の鮮血をこぼしながらもう一度言った。

 死を間近にしてガクガク震える声で妙高院静佳の命運を宣言してやった。


「アポ・メカネス・テオスの効果を発動。妙高院静佳を攻撃」


 その直後だ。


「あ゛ぐ――っ」


 妙高院静佳が可愛く鳴いた。


 そして最後の力を振り絞って顔を上げた俺は、『美しき妙高院静佳の、美しき最期』を見る。


 俺を赤銅杖で貫いた妙高院静佳――そんな彼女の左胸から『二本腕となって蘇ったアポ・メカネス・テオス』の白く細くたおやかな右腕が伸びるのだ。


 アポ・メカネス・テオスの右手が、妙高院静佳の背中から彼女の胸を貫いて、いまだ脈打つ血まみれの心臓を取り出していた。


「巣立ちの時は来た。腐った巣は柔らかく、愛おしくも、今に汝の運命を穢すのだろう」


 それは………………数多の怪物、数多の悪魔、数多の怪異を屠ってきた魔法少女のものとは思えない、小さな心臓だった。


 ――そんなものが俺に捧げられている――


 妙高院静佳の胸を貫いたアポ・メカネス・テオスの長い腕がちょうど俺の胸元まで伸び、まるで俺に手渡すかのごとくに真っ赤な心臓を手のひらの上に乗せていた。


「獣よ。寂しがりの獣よ。――妙高院静佳よ」


 そして、アポ・メカネス・テオスの指が動き、妙高院静佳の心臓をそっと包み込めば。

「あ゛あ゛っ」

 また妙高院静佳が喘いだ。


 彼女の心臓はすでに体外に出ていて、血管もすべて引き千切れているはずなのに……はたして、アポ・メカネス・テオスに潰されゆく心臓の痛みを感じたのだろうか。


 泣いていた。


 力なく天を仰ぎ、頬を紅潮させ、唇をだらしなく開いた妙高院静佳の顔。

 あと何秒かで死を迎えるはずなのに……少女は、恍惚の表情と共に、涙を一筋こぼしていた。俺が彼女の目元に落書きした赤い涙模様が、うっすらにじんでいたのだ。


 やがて。


「汝を助くものはここにいるのだ。それだけは、ゆめゆめ忘れるな」


 死にゆく俺と死にゆく妙高院静佳を見下ろしたアポ・メカネス・テオスが静かにそう告げると――――ぐちゅ――――妙高院静佳の心臓は完全に潰された。


 腹をぶち抜かれた俺の意識も死の闇に包まれた。


 ――――――――――――――――――


 ――――――――――――――――――


 ――――――――――――――――――


「ぶはぁっ!!」

 多分、砂の地面に倒れ込んだ瞬間だろう。俺が呼吸と意識を取り戻したのは。

 身体が地面でバウンドしたのを感じた。


「はあ、はあ――っ。ライフ一……! 本気で死ぬかと思った……!」


 そう安堵しながら腹を探ってみると、妙高院静佳の赤銅杖はもう俺の腹に刺さっていないのである。

 抜けたわけではない。多分、『妙高院静佳ごと消え失せた』のだろう。


 現に、ゆっくり上半身を起こして辺りを見回してみても。

「……アポ様……ありがとうございました」

「よい。助けが必要とあらば、また訪れよう」

 俺の目が捉えたのは、姿が薄れて景色に消えゆくアポ・メカネス・テオスと、俺たちの戦いに絶句するイスラ・カミングスと、寝転がって腹を毛繕いしている三毛猫だけだった。


 しかし、だ。


「ん?」


 ふらふらと立ち上がってから気付いた。今の今まで妙高院静佳が立っていた場所の砂に、デモンズクラフトのカードが一枚落ちていることに。


「………………?」


 それほど血が付いていない左手をズボンでこすってからカードを取り上げると――それは、俺が見たこともない新カードだった。


 “雌伏の魔獣・妙高院静佳”という名の。


 こういう状況を予想していなかったわけじゃない。

 妙高院静佳を倒すにあたって、こういう展開を希望していなかったわけじゃない。


 しかし、ソロモン騎士・妙高院静佳を一枚のカードに変えた今、俺は深く深くため息をつくしかなかった。


「…………こんなレアカード……スリーブに入れて渡してくれ……」

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中年社畜カードゲーマーの魔法少女狩り【カードイラスト公開中】 楽山 @rakuzan

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