どこかで見た獣と復活の異神(上)
ゲームを終わらせる力を持つカードのことをフィニッシャーと呼ぶ。
俺のデッキのフィニッシャー、“アポ・メカネス・テオス”は見事にその役目を果たし、たった一度の攻撃で土地神である黒龍を粉砕して見せた。正直、オーバーキルと言ってもいい惨状だった。
「……はは……ははは……」
全長一キロメートルの黒竜、その巨大な肉片があちらこちらに散らばった雪原と枯れ森に乾いた笑いしか出てこない俺。
いくら“月夜の鎧剥ぎ”の効果で黒龍の防御力を下げていたとはいえ、ここまで盛大にバラバラになるとは思っていなかった。こんなにも一方的に土地神を殺せるとは。
そうは言っても何事もなかったかのように復活するかも……そう思った俺は黒龍のバラバラ死体から目を離さないのだが、俺が殺した黒龍は二度と口を開くこともなく。
――カシャ――
やがて『デモンズクラフトの箱』が新たなるカードを吐き出すのである
俺は、カードを取りながらアポ・メカネス・テオスに率直な問いを投げた。
「終わりでしょうか?」
すると背の高い人形神から返ってきたのは、どこか不吉な予言だ。
「古き蛇が死に、近く獣が来るだろう。しかし和泉慎平、ゆめゆめ忘るることなかれ。獣の目は腐りかけた愛に潰されている。汝が獣と世界を思うなら、ただ真実のみを見つめ続けることだ。恐れや情愛に惑わされることなく、良き人らしく振る舞うがよい」
ありがたい神の予言。しかし俺にとってはだいぶ難解で、理解できたかどうかと言われるとひどく怪しい。
とはいえ……黒龍が死んだにもかかわらずアポ・メカネス・テオスが消えないということは、俺を襲う脅威はまだ終わっていないということだろう。
安堵してしまわないようにわざと唇を強く噛んだ。そして――『獣』ってなんだっけか? 最近どこかで聞いたような――と思考を巡らせた瞬間だった。
「イズミさ――っ。ヤバいですわ!」
俺の背中のイスラ・カミングスがいきなり引き攣った声を上げる。
彼女が慌てた理由は明らかだ。異常事態は当然俺にも見えていて、何が起きようとしているのか理解しようとキョロキョロ視線を回すのだ。
――どこかで見たような深紅の魔法陣――
――ソロモン騎士が使うような魔法陣が、雪の地面から大量に湧き上がり始めた――
三メートル級の魔法陣がまるで深海から立ちのぼる水泡がごとくに、数え切れない数、空へと昇っていく。
それは……。
それは実に幻想的な光景で……俺は、焦ることも忘れてついつい見惚れそうになってしまう。無理矢理にでも気を取り直そうと自らの頬を強くはたき、もう一度状況を確認。
『大魔法』の気配がした。
深紅の魔法陣が数を増やすにつれて、黒龍のバラバラ死体が粒子になって消えていくのである。おそらくは……土地神の死体を
「アポ様っ、これどうしたら!? 耐えられますか!?」
思わずアポ・メカネス・テオスに助けを求めた俺。
すると異形の人形神は、今までと変わらぬ穏やかな無表情で俺を見下ろし、静かに言った。
「定命なる二人の安全は保証しよう」
それで俺は――なるほど。アポ・メカネス・テオスを倒せるぐらいの火力が来るのか――と息を呑む。
グレイスカード“古き歌よ。我が友の歩みを支えたまえ”の効果を加えたアポ・メカネス・テオスの防御力は八点。防御力・八を超えてくるとは相当の大魔法だ。
「『新手』の位置はわかります?」
俺がそう問いかけると、無言で長い手を伸ばしたアポ・メカネス・テオス。雪を被った森の一角を指し示し、やがて静かに「獣よ、獣。そんなにも母が恋しかったのか」なんて呟いた。
「……?」
俺にはアポ・メカネス・テオスの言葉の意味はわからない。それに、使用者不明の大魔法が今すぐにでも発動しそうで、深く思考する時間もなさそうだ。
「来ますわイズミさん!!」
「大丈夫です!! アポ様が絶対――」
イスラ・カミングスと叫び声を交わし合った次の瞬間、広い雪原に充満した魔法陣すべてが同時に割れ砕け、俺たちの周りにあった世界が真っ赤に塗り潰された。
荒れ狂う炎ではない。熱は生まれていない。
絶句してしまうほどに気味の悪い赤色がもたらしたのは、ただただ純粋な『滅び』だった。
足下の雪がいきなり赤黒く変色したと思ったら、やがて漆黒の粒子となって空中に噴き上がったのだ。赤に色付いた雪原のあちらこちらで大量の漆黒が立ちのぼり始めた。
そして後に残るのは、雪や枯れ草すらも失った不毛の大地。ありとあらゆるものを奪い取られてカラカラに乾いた土の地面だけ。
とはいえそんな土の地面も、まるで氷が溶けるがごとくに形を崩し、一面の砂へと姿を変えていく。
「……土地神の顕現殻を贄にした万物崩壊……こんな極限の禁忌、使えるのはソロモン騎士でも相当の上位ですわよ……」
「まったく、私たち相当運がいい。アポ様を召喚してなけりゃあ絶対死んでました」
震える声の俺とイスラ・カミングスがいまだ命を保っている理由――それは、アポ・メカネス・テオスが自身の防御すらかなぐり捨てて俺たちを守ってくれているからだ。
アポ・メカネス・テオスの長髪から生み出される『熱の無い炎』が俺の背丈を超えるほどに高く燃え上がり、『森羅万象に滅びをもたらす赤色』に対抗する防御結界となっていた。
その代わり――俺の右隣――『熱の無い炎』のすべてを費やして俺たちだけを守るアポ・メカネス・テオスの形が崩れていく。
「……アポ様……」
まずは四本腕のすべてが肩から外れて砂上に落ち、その後、背中に広がっていたパイプオルガン似の巨翼が大量の黒煙と化した。
腕と翼を失いつつも静かに立ち続けるアポ・メカネス・テオス……そんなほっそりとした神様の姿に、俺は、不安や焦燥なんかより申し訳なさを感じるのである。謝罪、感謝、心配、悔恨――何か良い言葉を掛けようとして、しかしどうにも思い付かない。
そんな俺の心を読み取ったのか、やがてアポ・メカネス・テオスが言った。
「我を案じてはならぬ。選択を後悔してはならぬ。汝、歩み続けねばならぬ」
「………………」
「我だけではない。汝は、心ある人形たちの思いを受け、ここにいるのであろう?」
「――――はい」
優しい神託を受け、より一層生き延びる決意を固めた俺。人形神の美しい横顔を一瞥すると、樹木一本残らず消えていく冬の森を見つめ直す。視界いっぱいにもうもうと立ちのぼる黒煙――その内側に存在しているであろう『敵』を睨んだ。
「獣に手を差し伸べるべきは、和泉慎平である」
再びもたらされたアポ・メカネス・テオスからの神託。すぐさま俺は「手を差し伸べるたって。そんな余裕、あればいいんですが」なんて苦笑するのである。
そして不意に、アポ・メカネス・テオスが『獣よ、獣。そんなにも母が恋しかったのか』なんて言っていたことを思い出し、ほとんど反射的にこう問うた。
「とはいえ、その『獣』とやらは、私の助けを望んでいるのでしょうか?」
返答はノータイム。まるで未来のすべてを見通しているかのように、アポ・メカネス・テオスが言い淀むことはなかった。
「今この時は困惑するであろう。だがしかし――獣がいつか、自らの足跡を振り返りし時、良き人より差し伸べられた手に感謝する夜が来る」
そして、そう言い終えた直後、アポ・メカネス・テオスの首が音もなく折れ、頭部が地面に落ちる。石の頭は転がることもなく、地面に触れた瞬間、泥団子のように割れ砕けてしまった。
かろうじて形が残ったのは顔面左側の三分の一程度だ。しかしそれもすぐさま黒い煙と化して、跡形も残らず消えてしまう。
次の瞬間。
「んにゃあああ~」
俺の懐で大人しくしていたはずの三毛猫が服の外に出たがったものだから、大慌てだ。
「待て待て待て! 今出たら死ぬ――っ。死ぬんだって! もうちょっと大人しくしてろっ!」
結局、アポ・メカネス・テオスの胴体が崩れ落ちたのをちゃんと確認する暇もなく、服の胸元を強く押さえながら、『赤色の世界』の終わりを迎えることとなった。
――――――――――――――――――――――――
目が痛くなるような赤色が薄れて世界が色を取り戻した後も、俺たちを守り抜いてくれた『熱のない炎』は足下で小さく燃え続けており。
「……万物崩壊を喰らって生き延びたなんて、仲間にはとても話せませんわね。百パー嘘吐き呼ばわりされますわ」
「イスラさん。森の方に新手がいるようですから、見つけたら教えてくださ――わっ、ぷ」
俺は突然の北風に右腕で目元を覆った。
万物崩壊魔法によって大量に生み出された砂塵が、強風に乗って勢いよく舞い上がったからだ。もともとは土の地面だったであろう塵のいくつかが目に入って痛い。目蓋などまともに開けていられない。
とはいえ、だ。
「――くそ。多分、あれか」
右腕で目元を覆い隠しながらも俺は、腕の影から薄目で前を見ていた。涙でにじんだ世界を動く人影があった。
……砂塵舞い踊る世界で、随分遠くから平然とこちらに歩いてくる誰か……。
長い黒髪が風になびいている。
……どこかで見たことがあるような、美しい歩き方の誰か……。
「ヤバい。見たことあるな、あれ」
強烈な
ドローしたカードにざっと目を通して視線を上げれば――まっすぐこちらに向かってくる黒髪の人物がいつの間にか橙色の炎に包まれているではないか。
とはいえ、綺麗な歩みが止まることはない。
――――――
それどころかいきなり前のめりになって走り出した。
炎に包まれた黒髪の少女が一歩を踏む度、炎が橙から白へと色を変え、鎧のような形状を形作っていく。
その瞬間、俺の背中でイスラ・カミングスが「聖痕の獣!? なんでこんなところに!?」と叫び声を裏返らせる。
妙高院静佳と戦ったあの時のことを思い出して逃げ出したくなった俺。しかし自らの右頬を思いっきりぶん殴ることでその場に踏みとどまると。
「アポ・メカネス・テオスっ!!」
天に向かって我がデッキのフィニッシャーの名を呼ぶのである。
瞬間、いまだ俺の足下で小さく燃えていた『熱のない炎』が一気に燃え広がった。
半径十メートルにも及ぶ炎の海を生み出すと、その中央――俺たちのすぐそばで、炎の海からほっそりとした大理石の腕が姿を見せる。
続いてアポ・メカネス・テオスの涼しげな頭部、這い出るように上半身だ。
まるで地獄の底から現世に蘇ったかのようなアポ・メカネス・テオス。既にパイプオルガンのごとき巨翼を展開し、先ほどとの違いと言えば四本腕が三本腕になっていることぐらいだろう。右腕が二本、左腕が一本。
「万物崩壊喰らって復活とかっ、どんだけ異次元ですのよ!?」
イスラ・カミングスがまたも叫び。
俺は――静佳さんなら怖くないっ! 静佳さんなら『漆黒の鎖』が、魔王の奴の呪いが出るっ! でも舞佳さんだったら――と思考をぐるぐる巡らせた。
アポ・メカネス・テオスは能力を使ってフィールドに残した。
だが、だ! だがこれからどうする!? 何が起こっているか、どんな事情があるか、誰が味方で誰が敵かすら理解できていないのに、アポ・メカネス・テオスで迎撃するのか!?
俺は手札のカードと目前に迫る黒髪少女を見比べ。
「あの美人相手に考えてる余裕なんてないだろうっ和泉慎平!!」
結局、本能に刻み込まれた防衛本能、和泉慎平という人間の勘が行動のすべてを決定した。
白のハイレグレオタードに白ストッキング。
大きな襟の付いたボレロ。
翼が広がるような意匠で手足を覆った白金の重装甲。
その姿は、俺が命懸けで戦った妙高院静佳と寸分の違いもなく――とんでもない美貌の彼女が何もない空中から『赤銅色に光る大杖』を出現させれば、まさしく完全装備だ。
「アポ様! 全部使って戦います! 手伝ってください!」
次の瞬間、まるで獲物に襲いかかる虎がごとくに跳び上がった『妙高院静佳の顔と装備を持つ少女』。
俺はアポ・メカネス・テオスと並び立ち、手札のマジックカードを一枚切った。
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