雷神の鎚(後)
「断星剣ライトニングポラリス、展開」
レオンティーヌのその言葉が、何もない空間に不可解な裂け目をつくる。
バキンッという耳障りな音がしたと思ったら――空中浮遊するレオンティーヌの右隣に、青い光の漏れる亀裂が縦に走っていたのだ。長さは一メートルちょっとぐらいだろうか。
次の瞬間、迷うことなく空間の裂け目に右手を突っ込んだレオンティーヌ。
「マスター。少し眩しいぞ」
残る左腕でしっかり俺を抱き締めてくれてはいるものの、ともすればずり落ちてしまいそうで少し怖かった。
「お、おう。とにかく、頼んだ」
俺は『箱』が吐き出したカードをドローすることもせず、レオンティーヌの細く冷たい首筋にしがみつくばかりだ。
ゴツゴツした白銀の鎧がどうにも邪魔くさいが、愚痴を言う余裕もなかった。ただ……圧倒的な数的劣勢に陥っているこの状況、それでもレオンティーヌならばどうにかしてくれる――そう信じていた。
そして、空間の裂け目から『レオンティーヌの剣』が引き抜かれる。
俺は最初、それが剣であるとは認識できず、美しく磨かれた鉄板にしか見えなかった。縦幅二メートル弱、横幅一メートル、厚さ三センチ、そんな鉄板から長い持ち手が伸びているだけの物体と。
剣と気付いたのは、天空に掲げられた鉄板の表面に切れ目が走り、まるで花が開くかのような変形を始めてからだ。
鉄板の中央が割れて開いていくにつれて、その断面から真っ青な光が溢れていく。
しかし青い光は放射状に拡がるのではなく、実体をはっきり感じるまでに収束し、まっすぐ夜空に伸びて巨大な剣身となった。ただの鉄板が、天を衝く光の剣と化した。
「これは……もしかすると、ボクの魔法以上……」
『剣の魔法使い』である冴月晶さえも苦笑いするしかない。だって、どれだけ目を凝らしても切っ先が見えないのだ。もしかしたら宇宙まで届いているかもしれないのである。
はたして……エゼルリード側から見える光景はどんな美しさなのだろう。
夜空を分けた青い光線を放ってはおけなかったのか。
――――――――――――――――――
エゼルリードが村中に響き渡る恐ろしい低音で鳴いた。
それで、すべての大型悪魔が俺とレオンティーヌめがけて飛びかかってくるが、もう遅い。
――デモンズクラフトのカードを五枚捨てることができなければ、レオンティーヌの剣は止まらない――
“カレイドドール・凜然たる姫騎士レオンティーヌ”。
『攻撃力四、防御力六。召喚条件・手札三枚破棄。このモンスターは、あなたのフィールドにいるカレイドドールと入れ替えでしか召喚できない。このモンスターが攻撃する時、相手は手札を五枚捨てることができる。相手が手札を捨てない時、相手モンスターに【光輝:七点ダメージ】を与える』
「流星光底!! 星をも断ち割る光に消えよ!!」
鋭い叫びを発し、レオンティーヌが巨大な剣を薙ぎ始めた。
剣が動いても光で出来た剣身の形は崩れることもなく、まず真上から東に流れ、東から西へと夜空を派手に切り裂いていく。
冬の雲を断ち、大挙して俺たちに押し寄せていた大型悪魔の群れを片っ端からぶった切り、遠くに見える山の頂上付近まで容易く切り落としたのだ。
冗談みたいな一撃だった。
シンプルながらも破壊範囲が広すぎる。視界にいた大型悪魔すべてを光に巻き込むだけでなく、夜に染まって遠くにたたずむ山の首まで飛ばすとは思っていなかった。
それで俺は、眼前の脅威が消し飛んだことを安堵するよりも、図らずも地形を変えてしまったことを不安に思う。
「さ、さすが――だけどレオンティーヌ、山を斬るのはやりすぎだ」
「ちょっとではないか。これでも剣の軌道は調整したのだぞ」
「まあまあ和泉様。あれくらいの破壊、ソロモン騎士でも時々ありますから」
冴月晶にそうなだめてもらって――時々あるのなら、まあ――と、気を取り直してエゼルリードを指差した俺。
レオンティーヌの一撃によって、空に立つ俺たちの前には何もいない。
そして実のところ、レオンティーヌの攻撃はまだ終わっていない。
「ライトニングポラリス、ライフルモードへ移行」
さっきの山を斬った一撃はレオンティーヌの攻撃時に発揮される特殊能力だ。あれに加えて、攻撃力四を有する通常攻撃が相手を追撃する。
展開されていた鉄板が一度閉じて、再び変形を始めた。
今度は縦にスライドする形で、スナイパーライフルのような形状へと。ライフル全体の三分の一を占める大きな銃床は、肩口にあてがうのではなく、脇に挟んで使うらしい。
銃身上部から真上に飛び出した特徴的な逆さグリップを握ると、レオンティーヌは、照準を合わせる素振りもなく即座にトリガーを引いた。
とはいえ、狙いはまさしく正確無比。
――――――
銃口に青い光が灯った次の瞬間には、太いレーザービームがエゼルリードの顔面中央を打ち抜いているのである。
しかし。
「くそ。やっぱり決め手には――」
「なりませんね。威力が足りません」
「まったくもって無粋な輩よ。大人しく倒されておればよいであろうに」
案の定、再生を許してしまった。またもや傷口から噴出したドス黒い血が、ツタのごとく絡み合い、肉となり、皮膚となり、大穴の空いた顔を補って元に戻すのだ。
翼を開いてまたもや悪魔を生み出しそうなエゼルリード。
しかし俺たち三人は空中浮遊で悪魔エゼルリードの様子を見守りながら、いまいち動け出せないでいる。冷たい風が耳元でうるさい。
「レオンティーヌ。さっきの剣なら殺しきれるか?」
「両断は容易い――が、幾たび切り刻もうとも、あの見苦しいまでの生への執着心……元の木阿弥となるであろうな」
「ボクもレオンティーヌと同意見です。やはり、マジックカードで跡形もなく消し飛ばすべきかと」
「なるほど……当初の予定から変更なし、ですか……レオンティーヌで決めきれれば、それが一番だったんですが……」
と――その時だ。俺の胸元から大人しく事態を見守っていた三毛猫が「んなぁぁあ~」と不満げに鳴いた。なんとなくそれが、『勝負』に出ることを怖がる俺への叱咤激励のように聞こえ、俺は思わず顎を伸ばす。
顎先で三毛猫のひたいに触れつつ。
「わかったわかった。ダイス運にビビってちゃあ、カードゲーマー失格だな」
そう覚悟を決めた。
「行きましょう冴月さん、レオンティーヌ。“雷巨神の鉄槌”を使います」
思いがけず声に力が入ってしまった言葉。
しかし、すぐさま返ってきたのは、「全身全霊でお供します。バックアップとお膳立てはお任せを」俺以上に張り切ってしまいそうな明るい笑顔だった。
レオンティーヌまでもが、陶器製の歯を見せて笑っている。
「それでこそ我がマスターよ。このレオンティーヌも、命ある限りその意思に従おう」
すると――――俺たちの団結に呼応するように、エゼルリードが羽ばたいた。翼から悪魔を吐いたわけではない。二度、三度大きく羽ばたき、神社の鳥居から浮き上がったのだ。
ひどく重量感のある離陸。
ゆっくり大きく翼を打ち、巨体の真下に空気を溜めながら少しずつ高度を上げていく。
そんなエゼルリードの羽ばたきを睨みながら、冴月晶が俺に対しての言葉を紡いだ。
「問題となるのはマジックカードを撃つ状況です。エゼルリードを完全消滅させる威力を狙うわけですから、何の手当てもしないなら――村ごと消し飛びます」
そして、彼女の言葉が進むにつれて俺たち三人の背後に銀剣の軍勢が召喚され、一秒ごとに数百本単位でその数を増やしていくのである。
「読神様は好きにやっていいと仰っていましたが、さすがにそこまで好きにやるとは思っていないでしょうし。一手間、二手間かけましょう」
切っ先をエゼルリードに向けて等間隔に浮かんだ銀剣数千本。月明かりを反射し、ソロモン騎士・冴月晶に操られるその瞬間を無言で待ち続けていた。
「ええと、そうですね……ボクがエゼルリードを地面に張り付けて、耐久力のある物理結界を組み上げますから――」
「そこに『鉄槌』をぶち込む、と?」
「はい。仕上げをよろしくお願いします」
そう言って可愛らしいウィンクを飛ばしてくれた銀髪美少女。足場にしていた十字剣で空を駆け出し、銀剣の軍勢も丸ごと引き連れてエゼルリードへと向かうのである。
剣の群れが俺とレオンティーヌの隣を次々と通り過ぎていった。
俺は、今までドローしないでデモンズクラフトの箱に溜まっていたカードを一気に引き抜くと、レオンティーヌに言う。
「俺たちも行こう。まずはあのデカブツを地に堕とす」
レオンティーヌが不敵に笑って応えた。
「容易いことだ。魔法使いを差し置いて、私が活躍しても良いのか?」
俺は新しく手札に加えたカードをざっと確認しながら、レオンティーヌの自信に満ち溢れた言葉に苦笑いを浮かべる。
「勢い余って村を破壊しなけりゃあ、なんだっていいさ」
「よろしい。ならばあの悪魔、そしてマスターにも、空中戦闘機動のなんたるかを見せてやろう――っ!」
と、レオンティーヌの声に力がこもったことに気付いた瞬間、俺の視界が一気に横に流れた。
いや、違う。
重力を無視してぐるりと回ったのだ。一回転どころではなく、少なくとも十回以上はぐるぐる回ったはずだ。
気付けば――なぜか目の前にエゼルリードの巨大な顔面があり――イスラ・カミングスの美貌が、顎が外れんばかりに大きく口を開いた。
それで、高圧洗浄機の噴射がごとくに勢いよく吐き出されたのは、ドロドロに溶解した悪魔たちだ。爪や牙、角、骨、目玉の混ざった黒い液体が飛んでくる。
――――――――
しかし間一髪、強固なる大盾が展開された。
レオンティーヌの背中にある六枚の鉄翼のうち三枚が分離し、スズメバチみたく直角に飛行し、俺の前に隙間なく整列したのだ。
防御力六。
エゼルリードの嘔吐攻撃は、“カレイドドール・凜然たる姫騎士レオンティーヌ”の防御力を上回ることができず、俺に傷一つ付けることもできなかった。
「和泉様!?」
一拍遅れて飛んできたその声に振り返れば――俺とレオンティーヌの後ろには冴月晶がいて、もともとエゼルリードのあの一撃は彼女を狙ったものだったのだろう。
ヒロインの危機に駆けつけたヒーローのようなもの。
しかし今の俺は、「うっ、ぷ――気持ち悪――」冴月晶に声を掛けることもできない。
レオンティーヌによる高速回転付きの空中疾走。人並みの三半規管が今さらながらに急加速と高速回転の影響を受け、吐き気と眩暈を我慢するのが精一杯だった。
どうにかこうにか右手の親指だけ立てた。それを冴月晶が見てくれたかは知らない。
銀剣の軍勢を引き連れた魔法少女だって、サーフボード代わりの十字剣の上で手一杯だ。
悪魔。悪魔。悪魔。悪魔。空間に散らばった赤子ほどの大きさしかない蝙蝠人間。
銀閃。銀閃。銀閃。銀閃。月光に光りつつ自由自在に宙を走る銀剣たち。
悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴。ギャア――という短く耳障りな悲鳴。
黒血。黒血。黒血。黒血。雨のごとくに黒津根村に降り注ぐドス黒い血液。
地上三百メートルを超える夜空でエゼルリードが羽ばたきと同時に大量の小悪魔を生み出し、それを冴月晶操る銀剣の軍勢が片っ端から切り刻んでいた。
レオンティーヌが鋭く叫ぶ。
「魔法使い! 悪魔本体は私とマスターが堕とす! 有象無象の片付けは任せたぞ!」
手にした十字剣で小悪魔三体を一気に薙ぎ払った冴月晶が返した。
「堕とす場所は考えてくださいよ!? 村の中に堕ちたらっ、いくらボクの結界でも――!」
縦横無尽に踊る巨翼。
風を引き裂くかぎ爪。
真っ黒な吐瀉物を噴き出すイスラ・カミングスの顔面。
ハリウッドの怪獣映画さながらに大空を暴れ回るエゼルリードだが、冴月晶とレオンティーヌの二人だって空中戦では負けていない。
むしろ。
「なかなか上手く飛ぶではないか!! だが――遅すぎるっ!!」
レオンティーヌの機動力はエゼルリードを上回っているようだ。
度重なる嘔吐攻撃を鉄翼の大盾で完璧に防ぎきり、エゼルリードの隙を突いて背後に回る。
エゼルリードは慌てたように翼を叩いてもんどり打ったが、その時点で空中戦の主導権はレオンティーヌが握ったようなもの。
常にエゼルリードの視界の端をうろつきつつ雷のごとく空を駆ける。
無用とも思えるきりもみ回転も加えつつ、神社の方までエゼルリードを誘導していった。
「調子に乗って! エゼルリードのゲロを喰らっても知りませんよ!?」
「不要な心配だな! この程度の曲芸飛行、取るに足らぬ児戯にすぎん!」
小悪魔を一匹たりとも討ち漏らすこともなく冴月晶もしっかり付いてきている。
「絶対! 絶対に和泉様を落っことさないでくださいね! それだけは気を付けて!」
「無論! 命より大事なマスターだからな!」
「なーん」
やがて三毛猫まで可愛く鳴いて、多分平気なのだろう。
半死半生でいるのは。
「――――ぐ――――ぎ――――が――――」
レオンティーヌに左腕一本で抱き締められた俺だけだ。
目玉が飛び出したり、ブラックアウトするほどではないが……レオンティーヌの胸部装甲に口元を押し付けて、思いっきり歯を食い縛って、遠心力と吐き気に耐えていた。ジェットコースターと言うには強烈すぎる。
途中、たまらずマジックカード“雷雲の落とし子”を切った。
ダイスを振る瞬間だけでも休みたいと思ったのである。止まった時の中で深々と一呼吸。ダイスの出目は確認しなかった。発動には失敗したから、一、三、五のどれかだろう。
その十秒後――今度の休憩は、今は特別使う必要のない防御系マジックカード“生き残りの障壁”だ。これも発動失敗。しかし、なんとか思考に余裕は生まれた。
そしてその直後、俺たち三人とエゼルリードは空中で組んずほぐれつしながら、大鳥居の向こうにある古びた神社の直上へと到達する。
「さあっマスター! 剣を振るう許可をもらおう!」
ここまで盾としてきた三枚の鉄翼を背中にドッキングさせたレオンティーヌが声を張った。急停止の後、ホバリングの仁王立ち。
すると、両翼を思い切り広げたエゼルリードが、真っ正面からこちらに襲いかかってくる。巨大なかぎ爪を広げ、俺たちを握り潰すつもりだろう。
叫んだ。
「やってやれ! レオンティーヌ!」
目を回したままとにかく精一杯叫んだら、最後の最後で思いっきり声が裏返ってしまう。
しかしそんなこと俺のレオンティーヌは一切気にしない。
「ライトニングポラリス! 展開!」
全力で攻撃命令に応えてくれた。特殊能力が発動する。
スナイパーライフルに変形していた金属の塊が再び開き――星すらも両断する光の剣が伸びた。
天空に昇る形での一刀両断。
エゼルリードの股の間から脳天に向けて、何の抵抗もなく青い光の刃が走る。
最終的に全長何十キロメートルという長さまで伸びた剣身は、俺たちの遙か頭上にあった千切れ雲まで切り裂いて、再び宇宙まで抜けたはずだ。
綺麗に二つに割れたエゼルリード。ご自慢の再生能力で頭からくっついていこうとするが――ドス黒い血がうごめいて癒合し始めた顔面に、いきなり大穴が空いた。
レオンティーヌの通常攻撃による追撃だ。ライフルモードに移行した『断星剣ライトニングポラリス』で癒合箇所を見事撃ち抜いたのである。
それでもう、空中での再生は叶わない。
右半身と左半身に別れてしまってはもはや飛ぶこともできず、エゼルリードは為す術なく古びた神社の境内に堕ちていった。
轟音。そして境内から湧き上がる大量の土煙。
しかし冴月晶は「完璧です和泉様! レオンティーヌ!」と、まるで土煙の向こうを見通しているかのように、周囲に展開していた何千という銀剣の軍勢を飛ばすのだ。
そして冴月晶の銀剣たちが組み合わさって現れたもの。
それは……。
「魔法使いもやるではないか! 人が造る物理結界にしては美しい!」
銀色に光り輝く『大聖堂』だ。幾つもの尖塔を備え、荘厳なゴシック様式のシルエットは、かの有名なケルン大聖堂のようにも見えた。
「今です和泉様!!」
「決めろマスター!!」
まったくの同時に叫んでくれた二人の美少女。とはいえ――俺の右手は、すでに手札から二枚のマジックカードを引き抜いている。ここまで温存してきた二枚の“雷巨神の鉄槌”を。
頼む、頼むよ、頼むから成功してくれ。
そう強く願いながら二枚の同名カードを同時に切った。
すると、俺以外のすべての時間が停止し、俺の手の中にはダイスが三つ。一つは発動の正否判定のために、残る二つはダメージ決定のために、だ。
カード右上に記された成功判定のダイス目は『四・五・六』の三つ。
そして、少し長めの文章が、カードのテキスト欄を埋めていた。
『相手モンスターに【電撃:X】のダメージを与える。Xはダイスを一回振って出た目に等しい。もしくは、あなたが“雷巨神の鉄槌”を二枚同時に使用していた時、相手モンスターに【電撃:X+三】のダメージを与える。Xはダイスを二回振って出た目の合計値に等しい』
“雷巨神の鉄槌”は、二枚同時に使うことで本領を発揮する必殺技のようなマジックカードだ。発動に失敗すれば一度に二枚のカードを失うことになるが、発動さえしてしまえば最低でも五点、最高十五点の大ダメージが待っている。
十五点と言えば、マジックカード“氾濫する焔”の四倍近く。きっと、“冥府喰らいのネビュロス”だって跡形もなく消し飛ばすだろう。
意を決して振った一つ目のダイスは『四』で、発動成功。
しかし俺は一つもホッとすることもなく、今度は二個同時にダメージ決定のダイスを振った。
カラン、カラン。
カラン、カラン
まるで『目に見えない机』がそこにあるかのごとく何もない空中でダイスが跳ね――そして俺の前に現れた出目は、『五』と『六』のビッグナンバー。
合計値十一という出来過ぎな結果に、思わず右拳を強く握りしめた。
しかし、臆病な俺はすぐさま不安に思い始めてしまうのである。いくらなんでも『十一プラス三』の電撃十四点はやり過ぎなんじゃないか……と心配になってきた。
「冴月さんすみません! ダメージ出過ぎました! 十四点です!」
時間停止の解除と同時に思い切り叫ぶ。
案の定、冴月晶が「十四点!?」と声を裏返しつつ俺を見返してきて、レオンティーヌまでもが「はっは! それは豪気が過ぎるなマスター!」と笑うしかないみたいだった。
だが、もう遅い。“雷巨神の鉄槌”は発動してしまっている。
まず最初に俺の頭上に現れたのは――高速回転する青い雷球。
次の瞬間、それが直径百メートル以上に広がって巨大な円環をつくりあげた。輪の内側にも電気エネルギーが満ち満ちて、激し過ぎる放電光を直視することなどできない。
やがて、想像を絶する電気の塊が、形を成しながら円環から立ち上がる。
それは初め、枝を大きく広げた世界樹のようで……そのうち、青き輝きを放つ巨人の上半身に姿形を変えていった。目も鼻も耳もなく、ただ雷のような牙が並ぶ口で咆哮を上げる、筋肉隆々の巨人の上半身へと。
「で、でっかぁ……」
俺が声を漏らしたのも当然のこと。なにせ、巨人の背丈は、上半身だけで東京タワーの高さを超えていたのである。
すると不意に。
「それはもちろん、電撃十四点を打ち込もうというのだからな」
レオンティーヌがそう笑いつつ、冴月晶が足場にしていた空飛ぶ十字剣の上に立った。
彼女の意図が読めずに首を傾げた俺と冴月晶。
レオンティーヌは、背負っていた六枚の鉄翼すべてを背中から切り離し。
「魔法使いの結界に私の翼を貸してやる。一人であの威力に耐えるのは難しかろう?」
銀剣の大聖堂へと飛ばした。
苦笑いで冴月晶が問う。
「いいのですか? モンスターが余計なことをして」
すると、レオンティーヌの翼六枚が大聖堂を取り囲む形で空中に静止した。
「問題ない。ゲームの勝敗には一切関係せぬことだ。それに、電撃十四点の余波でマスターに怪我をされても困るからな」
「わかりました。お願いします」
直後――雷の巨人が太い右腕を思い切り引き絞る。まるで弓を引くヘラクレスがごとくに、雄々しく、雄大に、右のストレートパンチを構えた。
「冴月さん!! レオンティーヌ!!」
「大丈夫です! お任せを!」
「私を信じろっマスター!」
そして雷の巨人が拳を放ち、拳は巨大な電光の柱となって、エゼルリードを閉じ込めた銀剣の大聖堂に落ちるのだ。
落雷の瞬間、大聖堂の屋根が自ら分解して、極太の雷を内部に受け入れた。
轟音。
轟音。
長い轟音。
鼓膜が破れ、心臓まで止まってしまいそうなほどの雷鳴。
しかしそれでも、稲光が消えることはなかった。雷の巨人より新たな電力が次々に供給され、巨大な瀑布となって大聖堂に落ち続けるのだ。
――いくらなんでも物理結界一つで耐えきれるわけがない――
やがて大聖堂の壁のあちこちが青く光り、そこから幾筋もの雷が漏れ出した。
しかし。
――――――――――――
山へ、空へ、そして黒津根村へと向かおうとする無秩序な雷を防いでくれたのは、レオンティーヌの六枚の翼が干渉し合って創り出した正六面体のビームバリアだった。
銀剣の大聖堂。
鉄翼の光輝結界。
二つの強固な物理結界が、例え神社の境内すべてが灰燼に帰すとも、“雷巨神の鉄槌”による雷撃十四点ダメージを完全に封じ込めていた。
恐るべき雷光の祭典はそれから一分近くも続き。
「はあっ、はあっ、は、はあ――ぁっ」
俺たちの頭上から雷の巨人が消えた瞬間、冴月晶が幅広の剣身に膝を付いた。
明らかに疲労困憊で、いったい今の一分間にどれほどの大魔力を行使したのだろう。役目を終えた銀剣の大聖堂が、銀色の塵になって風に流されていく。
そして。
「まさか一番翼から五番翼までがシステムダウンとはな。六番翼も六十パーセントの出力低下……やれ。これではもう、まともな飛行などできまい」
レオンティーヌにいたっては、彼女の背中に返ってきた翼はたったの一枚だけだった。それもかなりボロボロで、あちこちが焦げ付き、甲高い異音を上げている。
そんな中。
「お、お疲れ様です、冴月さん。レオンティーヌも、すまなかったな。手を――翼を貸してくれて助かったよ」
「んなぁ~ん」
俺に出来ることと言えば、胸の三毛猫と共にねぎらいの言葉を口にすることぐらいで。
「エゼルリードは……うん……完全に消滅していますね」
「ああ。センサー感度を最大にしても、生体反応および魔力反応は一切感知できない。完全に倒しきったと見てもいいだろう」
上空から神社の境内を見下ろした美少女二人に、エゼルリード討伐の結果を教えてもらう始末だ。
冴月晶が空飛ぶ十字剣の高度を下げると、真っ黒に変色した地面がはっきり見えた。
不意に――消毒液のようなツンとした臭いが鼻を抜け、雷にも臭いがあったことを思い出す。知識では知っていたが、体感したのは初めてのことだった。
「マスター」
「ん? どうした? レオンティーヌ」
「決着はついた。私はもう行く」
「あ――そうか。そう、だったな……いや、今日はほんと助かった。他のカレイドドールたちにもよろしく言っておいてくれ」
「了承した。カレイドドールはいつだってマスターの味方だ。またいつでも私たちを頼れ」
「もちろん。自慢のデッキだからな」
笑顔の別れ。後生大事に抱き締めていた俺を冴月晶に任せると、レオンティーヌは青い粒子と化してやがて消えてしまった。
気付けばデモンズクラフトの箱もいなくなり……残ったものと言えば、俺の手の中のカード束――五十枚のデッキだけだ。
冴月晶が優しく笑う。
「良い子たちでしたね。リーサも、レオンティーヌも」
「ですね。言葉が通じた分、こうもいきなりいなくなられると――なんだか寂しい気もします」
「ふふふ。また戦うことになれば会えるのでは?」
少し意地悪な問いかけ。俺は「い、いやまあ……ははは」と苦笑を返し、注意深く地面に降り立った。
冴月晶の空飛ぶ十字剣が降りてくれたのは、エゼルリードが止まっていた大鳥居のすぐそば。そこから神社の方を見て、「さて、どうしましょう……」俺は後頭部を掻くのである。
「神社……結構、消し飛ばしちゃいましたけど」
境内の一番奥にあった本殿はそれなりに形が残っているようだが、拝殿と手水舎は“雷巨神の鉄槌”によって丸ごと消滅していた。
鎮守の杜も相当量の面積が消え去り……がらんどうの土地が円形に広がっている。
「……いやぁ……やっちゃってるなぁ……」
途方に暮れるしかない俺。
すると、足場にしていた十字剣を消した冴月晶が、落ち着いた声をかけてくれた。
「問題ありません。エゼルリードを討伐して被害がこの程度なのですから、被害なしと言っても良いレベルです。大丈夫。読神様が上手くやってくれますよ」
「そんなもんですか」
「そんなものです。それより――」
そう言葉を切って颯爽と歩き出した冴月晶。ソロモン騎士のマントのすそをひるがえし、ミリタリーブーツで雪を踏み砕きながら、道ばたにあった粗末な納屋へと向かうのだ。
近くの家の人間が農機具でも収めているのだろうが……立て付けの悪い引き戸を、冴月晶が力尽くで開け放った瞬間、俺は声を失ってしまう。
「この人をどうするか決める方が、先かと」
いきなり雪の道路に転がり出てきたもの――それは、チェスターコートの美女。“薔薇の使徒”のイスラ・カミングスに違いなかった。
しかし妙な違和感がある。その違和感の正体には、すぐに気が付いた。
昼間には確かに存在していたはずの左腕がないのだ。
肩口の辺りからチェスターコートごと千切れてなくなっていた。チェスターコートの左側半分が血で染まっている。
右腕で血まみれの左肩を抱くイスラ・カミングスはうつ伏せで雪に埋まりつつ、「お――遅いですわよ」首と顎を上げて冴月晶を見上げた。血の気の失せた真っ青な顔だった。
「昼に、携帯の番号を、聞いておくべきでしたわ。ソロモン騎士をここに呼び出すだけで、エゼルリードを失う羽目になるなんて――マジで大損ですわ」
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