雷神の鎚(中)

「冴月さん!! あれがエゼルリードです!?」


 踊り子リーサが手近を飛行していた悪魔の頭を踏みつけて、更に高く跳び上がる。


 冴月晶の投げた十字剣が悪魔の胸を貫き、悪魔は血しぶきを吹きながら百メートル下の地面へと落下していった。


 そして。

「十五……いや、二十メートル近くありそうだ……」

 風に吹かれながら、村の奥に見える神社の大鳥居へと指を伸ばした俺。

 しかしすぐさまその人差し指を真横にスライドさせ、「ちょ――いきなりっ!?」猛然とこちらに向かってくるのが見えた小悪魔の群れに向けるのだ。


 踊り子リーサへの攻撃命令。


「それじゃあ目と耳を塞いで、口を開けて欲しいですの」

 少女人形はそう言うと、いきなり下半身を回転させ始め――


 踊り子リーサの攻撃方法を把握していなかった俺は、思わず「えぇぇ……」と驚きの声を漏らしてしまう。


 だって、俺を肩車した上半身を残して、彼女の下半身だけがまるでドリルみたく高速回転し始めたのである。チュチュスカートの中から特大の物体が二つ飛び出したのが見えた。


 細長い筒のようなシルエット。

 その底部で激しく光る噴射炎。


 見間違えるわけがない。それは、まぎれもなく立派な現代兵器――巡航ミサイルだ。


 夜空を切り裂いたミサイル二本が、小悪魔たちの只中へと猛然と向かっていく。


「目と耳を塞ぐですの!!」

「和泉様っ叫んで!!」


 踊り子リーサ、そして冴月晶に強く叫ばれ、すぐさま俺は動いた。左手に手札を握ったまま両耳を塞ぎ、目を固く閉じ、「だああああああああああああ!!」あらん限りの声で叫ぶ。


 目蓋を下ろしているはずなのに視界は白一色に染まり、強烈な衝撃波に鼓膜が震えた。


 そういえば――こうしないと爆発の衝撃で鼓膜が破れるんだったか――いつか、何かの本で読んだ気がする。


 頭を振って目を開けた俺。空いた右手で両目をこすり、そのまま握り拳をつくって後頭部を叩いた。いつまでも脳みそがぐわんぐわん揺れている気がした。


 目をしばたたきながら巡航ミサイルの着弾地点を見れば……四散していく煙を月明かりが照らしているだけで、結構な数いた小悪魔たちはことごとく姿を消している。


 冗談だろう? と思いつつ、“カレイドドール・愛らしき踊り子リーサ”のカードスペックを思い返した。


『攻撃力二、防御力二。召喚条件・なし。このモンスターが相手モンスターを破壊した時、またはこのモンスターが相手モンスターの攻撃・特殊能力によって破壊された時、あなたはデッキの上から二枚を公開する。あなたはその中のカレイドドールを一枚手札に加える』


 それで俺は股の間にある小さな頭を見下ろし、首を傾げるのである。

「攻撃力二?」

「攻撃力二ですの」

「あれが?」

「ですの」

「……次は、もう少し優しい感じの攻撃でお願いできないかな?」

「ええ~。一切合切吹っ飛ばせば手短ですのに」


 そんな会話の終わりに踊り子リーサの特殊能力が発動。『デモンズクラフトの箱』から勝手にカードが二枚飛び出し、空中でくるくる回転し始めた。


 見えたカード名は――“カレイドドール・笑顔の裁縫師アレット”。そして、五十枚のデッキに一枚だけ差していた“冥府喰らいのネビュロス”だ。


 ネビュロスとエゼルリードの怪獣対決も見てみたかったけれど……そんな馬鹿なことを思いつつ、“カレイドドール・笑顔の裁縫師アレット”を手札に加えた。


「回っていらっしゃいます? デッキ」

 隣を跳んでいた冴月晶がそう声を掛けてきて、俺は「そこそこってとこです。最善を期すなら、早めに“アポ・メカネス・テオス”を握っておきたいんですが」なんて苦笑い。


 時間経過で『箱』が吐き出したカードをドローしようとするが。

「――ぁぶ――っ」

 踊り子リーサが民家の瓦屋根に着地した衝撃で手元が狂ってしまう。気を取り直して引いたカードは、マジックカード“雷巨神の鉄槌”。悪くないと小さくうなずいた。


 しかし俺が一息ついたその瞬間、どこから湧いて出たのか、瓦屋根の上で何十もの小悪魔たちに四方八方を囲まれる。


 とはいえ――

「本当、有象無象の雑魚ばかり。キリが――っ!! ……ありませんね」

 俺と踊り子リーサから離れないでいてくれる冴月晶が白マントをひるがえし、十字剣を一閃させただけで、そのすべては切り刻まれて地に落ちるのだけど。


「あの……これ、私、冴月さんの邪魔になってるだけのような………」


 俺は思わずそんな苦笑を漏らし、咄嗟に掴んでいたマジックカード“氾濫する焔”を手札に戻した。すると冴月晶がクスクス笑いながら横に並んでくる。


「どうかお気になさらず。和泉様に見てもらっているとボク、二割増しで調子がよくなりますから。今日は特に、刃の滑りが最高です」

「はははっ。そう言ってもらえるなら、ついてきた甲斐がありました」


 俺がのんきに手札確認なんかをしていられるのも、冴月晶が怒濤の勢いで小悪魔たちを斬り殺してくれているからだ。


 読神沙也佳の屋敷を飛び出してからすでに五分近くが経過。


 なのに、俺がやったことと言えば――さっき一度だけ踊り子リーサに攻撃命令を出したぐらい。あとは、少女人形の肩の上から冴月晶と小悪魔群の空中戦を観戦していただけだ。ソロモン騎士が強すぎて、手を貸そうにも手を貸すタイミングが見つけられないでいた。


 当然、カードを使わないものだから手札も十枚を超えている。


 ……今回、俺の出番はないかもな……ありがたいことだが。

 俺がそう思って小さく息を吐いた瞬間。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――


 氷点下の空気を伝って、怪獣映画のような野太い雄叫びが耳に届いた。


「にしても……大きな悪魔ですねえ」

「“冥府喰らいのネビュロス”には劣りますが、強大な存在であることには間違いありません。ソロモン騎士でなくば打倒は不可能でしょう」

「あたくしの攻撃力だと倒すのはちょっと厳しいですの」


 誰のお宅か知らぬ屋根の上から神社の方角を見やる。


 ついさっきも空中から見た朱塗りの大鳥居――高さ十五メートルを優に超えるそれを止まり木代わりにしている巨大悪魔が視界に入り、月明かりにぼんやり浮かび上がるその偉容に俺は唸るしかなかった。


 青白い体毛が美しい人面鳥。

 ただし、鋭いかぎ爪から頭頂部までの高さは、大鳥居を優に超えていて……だとしたら、あの巨大な翼を広げた翼開長は五十メートルに達するかもしれない。

 今は翼を折りたたみ、獲物を探すフクロウみたく小首を傾げていた。


「……頭だけ……あの女性の顔なんですね。イスラさんでしたっけ?」

「はい。エゼルリードは元々顔を持たず、召喚者の顔をそのまま写し取るそうです」

「へえ」


 すると、不意に冴月晶がソロモン騎士の本領を発揮する。

 右手を夜空へと掲げ、幾重にも声が重なり合った不可思議な呪文を歌った。


「氷壁に眠りし刃 戒めを歌う聖女の涙 北に天使の翼落ちればソリュートに死す 空へと伸びる鋼鉄は女神の喉を裂き ミルナイアは虚空の音を聞くだろう――」


 吐き出した声さえも凍り付きそうな寒さ。

 しかし冴月晶が歌った詩は、凍り付いて砕けることも、北風に吹き飛ばされることもなく、まるで澄み切った鐘の音のようにどこまでも広がっていくのである。


 それが――尋常ならざる魔法の始まり。


「ぅお……っ」

 いったい何が起きるのかと冴月晶を見守っていた俺は、いきなり月明かりが遮られてしまったことで思わず空を見上げ、そして声を漏らした。


 いつの間にか俺たちの頭上に浮かんでいた巨剣。


 しかし俺は最初――それを、宙を舞う巨船の底部と見間違えてしまう。

 なにせ刃渡り百メートル以上。細身とはいえ身幅だって十メートル近くはあったのだ。初見では、冴月晶が握る十字剣のギガンティック版と見破れるわけがなかった。


 十字剣と気付いたのは、巨剣がゆっくり半回転し、刃を上下に向けてくれたからだ。その薄さで、『突如出現した物体』が巨大すぎる十字剣であることに気付いた。


「すげえ……」


 驚嘆の呟き。すると、まるでそれがスタートの合図であったかのように、音もなく巨剣が前方へと滑り出す。

 ハッとして隣を見れば、冴月晶がかなり遠くに見えるエゼルリードを指差していた。


 ――巨大なる怪物にはそれ以上に巨大な武器で――

 この尋常ならざる巨剣を巨大悪魔にぶつけようというのだろう。


 動き出した巨剣はあっという間に加速し、およそ俺の動体視力では追えない速度にまで到達する。


 ――――――――――――


 音はなかった。

 巨剣はどこまでも静かに、雪が降り積もるよりも静粛にエゼルリードの顔を貫き、その強大なる余波でエゼルリードの胴体を足の方まで切り裂くのである。


 結局、俺が見たのは、縦に割れて横に広がっていくエゼルリードだけだ。巨大悪魔を貫いた巨剣はそれ以上の破壊はもたらさず、いつの間にかこの世界から消え去っていた。


 あれ? もしかして倒した?


 そう期待しつつもデモンズクラフトの箱からカードを一枚ドローしていると。

「っ」

 不意に冴月晶が舌を打つ。「やはり簡単に終わる相手ではありませんね」と小さくため息を吐いた。


 どういうことだ? そう思って俺は月明かりに目を凝らす。そして確認できた光景は、俺を落胆させるのに十分なものだった。


「……な、なるほど……再生能力持ち……」


 縦に裂けたエゼルリードから吹き出すドス黒い血が形を持ち、生きたツタがごとくに絡み合い、両断された巨体を元の状態に戻していた。


 やがてイスラ・カミングスと瓜二つの顔面も完全に接合され……冴月晶の凄まじき魔法もその命までは届いていない。

 それどころか――無傷を誇示するかのように大きく翼を広げたエゼルリード。


 別に大鳥居から飛び上がったわけではない。直立したまま翼を開いただけなのに、巨大悪魔の周りで雪煙が吹き上がるのが見えた。


「…………っ」

 だいぶ離れているはずなのに人面鳥の圧倒的迫力に息を呑む。まばたきも忘れて愕然としていたからか、「……ん?」エゼルリードの異変にも気が付いた。


「……なんだあれ……?」


 夜に映える白翼の先端――風切り羽が闇色に染まり、夜に溶けていたのである。右翼も、左翼もだ。


 何かしてくる。そう直感して手札のマジックカードを掴もうとした俺。

 しかし、「あっは♪ 和泉さん、なかなか『よったいな格好』しとるなぁ」真横からそんな笑い声が飛んできて心底驚いた。


 即座に視線を回せば。

「二人ともご苦労さん。首尾はどう?」

 黒い着物の上に朱色の羽織を重ね、毛皮に包まれた草履を履いた読神沙也佳が、同じ屋根の上に立っている。手に提げているのは無地の紙袋だ。


 何の前触れもない登場ではあったが、冴月晶に驚愕の色はない。エゼルリードの動きから目を離すことなく冷静な言葉を返した。


「エゼルリードが動くところです」

「そっか。色々やってもらって申し訳ないね」

「いえ。ソロモン騎士なので」

「子細は気にせず好きにやってくれていいから。村の奴らの面倒は、あたしと舞佳で見てるし」

「悪魔どもがだいぶ村中に広がっているのでは?」

「でもまあ、消したのは千ぐらいやよ」

「それは――まあ、思ったほどではありませんね」

「去年の秋頃に大発生したカメムシの方が幾らか厄介だったかもなぁ。日当たりのいい場所に固まってな、気持ち悪いったら」


 美しい苦笑を浮かべる読神沙也佳。

 次の瞬間、彼方の方ではエゼルリードが翼を打った。大鳥居をかぎ爪で掴んだまま、まるでこちらに風を送り込むように、巨翼を一度だけ羽ばたかせたのである。


 月明かりの下、黒い風が見えた。


 いや、違う。羽ばたいたエゼルリードの翼の先から俺たちに向かって伸びてくるのは、黒い風なんかではない。


 雄叫びを上げる悪魔の群れだ。

 姿形も大きさも違う大小様々な悪魔がエゼルリードの翼から生まれ、雲霞のごとくに押し寄せてくる。数なんか数えられるわけがなかった。百とか二百とか言う数じゃない。


 しかし。

「ロウヘイムの果てに竜の骸 かつての激情今はなく 赤き巡礼の列を成さん」

 読神沙也佳の唇にて色っぽい声色の詩が紡がれると、村を横断するように『炎の巨壁』が大きく広がった。


 俺たちまであと一歩というところで悪魔の群れの前に炎の障壁が立ち現れ――急停止できなかった悪魔たちをことごとく飲み込んでいったのだ。


 轟々と燃え盛る炎の音に断末魔の叫びが混ざっては消える。


 めまぐるしく移り変わる赤色と橙色の向こうに悪魔たちの影が映り、しかし数秒後には形が崩れて見えなくなった。


 天を焦がすほどの大魔法。

 俺は涼しい顔の読神沙也佳を見やり、「――っ」息を呑むしかない。『箱』の吐き出したカードをドローしながら小さくうめいた。


「……と、とんでもない、ですね……」


 対する美女は、横顔に炎の赤さを宿しつつ薄ら笑う。

「別にたいしたことないやよ。生まれつき魔法の才能があっただけ」

「そ、そんなものですか」

「こんなもんより和泉さんの方が面白いわなぁ。なんなのその『ひねくれた力』。和泉さん自体は普通の素人さんやに?」

「いや、それがですね。ちょっと面倒な友人にですね……」

「押し付けられた?」

「ええ」

「あはっ。そりゃあそりゃあ、ご苦労さんなことで」


 と、読神沙也佳が手にしていた紙袋を俺に渡してくる。


 なんだ? と思って袋の中を覗いてみると、「あっ。あ――ありがとうございます。助かります」そこにあったのは読神邸の玄関に置きっぱなしになっていた俺のスノーブーツだ。


「凍傷でもになったら『事』やものなぁ」


 俺は「ですよね」なんて苦笑いしながら、踊り子リーサの肩の上、スノーブーツに足を入れた。

「マスター。トウショウってなんですの? マスターはダメージ受けていましたの?」

 そう首を傾げる踊り子リーサの両腕が俺の太ももをがっちりホールドしていて、降りることができなかったのだ。


「人間は寒さで壊れるのです。血の通った、弱い生き物ですから」


 即座に冴月晶が手伝いに入ってくれた。手にしていた十字剣を瓦屋根に突き立て、両手でスノーブーツの底を支えてくれる。


「ふぅん。マスターのライフが減っていなければ、あたくしはどうでもいいですの」


 ほんの少し手こずったが無事に両足とも靴を履くことができた。完全装備だ。これで多少の寒さであれば耐えられる。


 空になった紙袋を俺から受け取った読神沙也佳。

「それじゃあがんばってやさ。多少、やりやすくしといてあげるから」

 そんな意味深な言葉と共に、俺たちにバイバイと手を振った。


 それで俺と冴月晶、踊り子リーサの三人は、読神沙也佳がこの場から転移する瞬間を見届けることもなく、炎の壁へと目を向けたのだが――


 大きく横に広がった炎の壁から大量の火球が吐き出され、そのまま黒津根村の上空あちこちに浮かぶかがり火となった。


 昼間のごとく、とまではいかないが相当の明るさだ。

 もう月明かりなど必要ない。風切り羽どころか翼すべてを黒く染め、五メートル級の大型悪魔を続々と生み出し始めたエゼルリードもはっきり見えた。


 黒く染まって不定形となった巨翼が悪魔のシルエットを形作ったかと思うと、エゼルリードが翼を振る度に『一匹の悪魔』として顕現するのである。


 『箱』からカードを一枚手札に加え、冴月晶に問うた。

「あれ……あちらさんの本気でしょうか?」

「おそらく。ですが、正味、ボクたちの方が有利なのでは?」

「え?」

「和泉様の今の手札なら、大悪魔の十や二十」


 そこまで言われて――十や二十は無理だが……確かに、それもそうか――と、ひどく腑に落ちた。随分と貯まった手札のカード。もう一度広げてみると、大抵の怪物はなんとかなりそうな気がした。


「それにこのボクもおりますし」

「本当、心強い。しかし再生能力はどうしましょう?」

「あの手合いは完全なる不死身というわけではありません。欠片も残さないような一撃であれば――」

「倒せると?」

「はい」


 それで俺は、即座に二枚のカードを人差し指と中指で挟み、冴月晶に見せる。

「とりあえずダイス運次第にはなりますが、これで行けますか? 期待値は十点」


 冴月晶の美貌に微笑みが生まれた。

「多分大丈夫です。ネビュロスを焼いてもお釣りがくるダメージですし」


 そして次の瞬間――冴月晶と踊り子リーサは、足元の瓦を砕いて夜空へと跳び上がる。


 蝙蝠の翼を羽ばたかせた黒き巨人の突進に、俺たちの立っていた場所が狙われたのだ。


 五メートル級の怪物に突っ込まれたら家が崩れてしまう。読神沙也佳には好きに戦っていいと言われたが、被害を少なくするに越したことはないだろう。


 空中で大型悪魔とエンカウント。


 銀剣を握った冴月晶の腕が一瞬見えなくなったと思ったら、次の瞬間には悪魔の首が飛び、胴体が十文字に切断されていた。


 しかし――人差し指を伸ばした俺も、その悪魔を狙って踊り子リーサに攻撃命令を出している。まさか、冴月晶がすれ違いざまに悪魔を切り刻むとは思っていなかったのだ。


「あ。忘れてたですの」

 踊り子リーサの攻撃は、今度もまたチュチュスカートからのミサイル二発。


 ほとんど絶命間際であろう悪魔の肉片に当たり。

「ミサイルは駄目って言ったろぉおおおおお!」

 そのまま空中で大爆発だ。

 爆風によって、近くの家々の瓦だけでなく、俺たちも上空に吹き飛ばされた。


 とにもかくにも“カレイドドール・愛らしき踊り子リーサ”の能力発動。

 デモンズクラフトの箱からカードが二枚オープンされ、二枚とも防御系のマジックカードだった。カレイドドール名称のカードではないので、手札には加えられない。


「ちい」


 風にまぎれて消えた俺の舌打ち。


 ――――?

 その時フッと嫌な予感がして、左を見たら。

「なっ!?」

 真っ赤に燃えた右手を持つ悪魔が腕を振りかぶっていた。


 瞬間、踊り子リーサが俺の両脇腹を掴んで、「マスター! 行ってですの!」さらに上空へと投げ飛ばす。


「リーサ!」


 上下逆さまになった俺は首を上げ、踊り子リーサが巨腕の一撃に砕かれるのを見た。


 陶器のごとく粉砕された胴体も。

 破損箇所からこぼれ落ちた機械類も。

 機能停止の直前に踊り子リーサが俺に向かって親指を立ててくれたのも、全部見た。


 ――はたして、これは怒りだろうか――


 俺の眼球に血液が流れ込み、脳神経の間を電気が走る感覚があった。世界が止まって見えた。


 踊り子リーサが破壊されたことで、再び彼女の能力が発動する。

 『箱』から飛び出してきたカードは“カレイドドール・寡黙なパティスリー フランセット”と二枚目の“カレイドドール・愛らしき踊り子リーサ”だ。


 一瞬、踊り子リーサのカードへと指が伸びかけたが、すぐさま“カレイドドール・寡黙なパティスリー フランセット”を取った。


 俺の目は、空に投げ出された俺を狙って飛んでくる大型悪魔を見ている。

 “カレイドドール・寡黙なパティスリー フランセット”のカードを投げ、召喚条件を満たすために手札のモンスターカードを一枚捨てた。


『攻撃力〇、防御力三。召喚条件・手札一枚破棄。このモンスターが召喚された時フィールドにいる攻撃力六以下の相手モンスターは、三分間攻撃ができなくなる』


 もはや眼前まで来た大型悪魔。

 それで俺はライフを一つ失う覚悟を決めるのだが――それでも、真っ赤に溶けた鉄のような悪魔の右腕には恐怖を覚えるしかない。


 だがしかし、だ。


「――っ!?」


 新たに出現した少女人形が、大皿に載せたホイップクリームたっぷりのパイを大型悪魔の横っ面に叩き付けて真横に吹っ飛ばした。


「……フランセット、来たけど……」

 背の高いパティシエ帽を被り、白のコックコートにピンクのチェックスカートを合わせた青い目の少女人形。球体関節の手で俺の左手首を取り、一緒に地面へと落ちてくれる。


「フランセット。助かったよ」

「……まあね……」


 俺は真っ逆さまに落ちながら、また一枚カードを夜空に放った。


 “カレイドドール・凜然たる姫騎士レオンティーヌ”。


 次いで、召喚条件である手札三枚破棄だ。

 現状不必要なカードを即座に見極め、“カレイドドール・笑顔の裁縫師アレット”、“カレイドドール・淫虐たる修道女オレリア”、“氾濫する焔”の三枚を落とす。


『召喚条件・手札三枚破棄。このモンスターは、あなたのフィールドにいるカレイドドールと入れ替えでしか召喚できない』


 瞬間、フランセットの小さな身体が真っ青な光を放ち始めた。


 短い手足がしなやかに伸び、平らだった胸や肉感のない腰回りにも女性らしい丸みが現れる。


 幼い少女から長身の女性へと。


 その変化はあまりに劇的で――可愛らしいパティシエ衣装だって、背中に六枚の鉄翼が広がった白銀の鎧へと姿を変えていた。


 ロボットアニメの主人公機のごとき装甲を纏ったような美女。

 氷のような……というよりは、生真面目が過ぎるせいで冷たく見える金髪碧眼の人形が、まっすぐに俺を見つめている。


 そして美しき人形は、空中で俺を赤子のように抱きかかえると、六枚の鉄翼から青い粒子を放出し始めるのだ。静かに落下が止まり、ゆっくり上昇していく。


 白銀の胸部装甲に頬を押し付けながら人形の顔を見上げた俺。すると、一見冷たい美貌が俺を見下ろし、ふっと微笑んでくれた。


「よくぞこのレオンティーヌを喚んだ。マスターの勝利に、この身を捧げよう」


 人形とは思えない優しい笑みだったが、レオンティーヌはすぐさま元の真顔に表情を戻してしまう。もったいないと思った。


「和泉様。お怪我はございませんか?」


 その声に顔を向けると、冴月晶も空を飛んでいる。


 如何なる剣をも自由自在に操る彼女……魔法で生み出した空飛ぶ大剣の剣身に立って、夜風に吹かれていたのである。


「大丈夫、無事です。リーサがちゃんと守ってくれましたから」

「よかった……申し訳ありません。すぐにサポートに入ろうとしたのですが、奴ら、思ったよりも手強くて」


 それで、俺と冴月晶が前を見れば――エゼルリードの前に壁のように並んだ大型悪魔の群れ。幾つもの蝙蝠の翼が大きく広がり、尋常じゃない威圧感だった。


「……な、なるほど……冴月さんでも手こずる相手が……」

「残り三十四です。エゼルリードが存在する限りは、際限なく増え続けるでしょうが」

「そういえば、さっきフランセットで一匹攻撃を止めたんです。あいつ、どこ行ったんでしょう?」

「あ。それでしたら既に仕留めました。まずかったでしょうか?」

「いえいえ、助かります。……しかし、そうですか……これは劣勢ですね」


 それからカードをドローし、しかし俺の声はそれほど暗いわけではない。


 冴月晶だってそうだ。


「はい、劣勢です」

 そう言う声には、ほんのわずかだが無邪気な笑いが混ざっているように聞こえた。


 当然だろう。

 生粋のカードゲーマーである俺たち二人。強力なモンスターカードの登場に――今からどんな力を見せてくれるのだろうか? と、内心ワクワクが止まらないでいるのである。


 大型悪魔の群れを静かに見据えながらレオンティーヌが言った。


「私を頼るか? マスター」

「ああ。めちゃくちゃ期待してるよ」

「そうか。ならば、最大出力で期待に応えねばな」


 そして抱きかかえられたままの俺は、満を持して前方の大型悪魔たちを――その向こうにいるエゼルリードを指差すのである。


「エゼルリードを攻撃。道を切り開いてくれ、レオンティーヌ」


 その瞬間――青から赤へと。

 レオンティーヌの美しい瞳が色を変える。


「――了承した。敵性存在を殲滅する」

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