白き山並みとチェスターコート

 路線バスの車内にエンジンの音が響き渡る。


 行き交う車両によって踏み固められた圧雪路の凹凸をタイヤが拾い、思いのほか揺れが強い。

 バス後方――二人掛けシートの通路側に座った俺は、手近な手すりを掴んで揺れに耐えるのだった。酔い止めを飲んでくれば良かったな……そんなことを少し考えた。


 窓側に座る冴月晶は、有名アウトドアブランドのボストンバッグを膝に載せ――ガラスの向こうに広がる雪景色に目を奪われているようだ。


 レザー素材のスニーカーブーツ、黒タイツ、漆黒色のプリーツミニスカート、ファーフード付きのミリタリージャケット。

 今日も今日とて魅力溢れる冴月晶の視線を追って、「……ふぅ……」俺も窓の外へと首を回してみる。


 すると目に入ってきたのは――厳冬の風を耐え忍ぶ枯れ山、そしてそれを覆い隠さんとする白ばかりだった。道路沿いの電線にも重く雪が乗っている。


 重たい雲の隙間から差し込んだ陽光が白樺の樹を照らし、細い枝から大きな雪玉が落ちるのが見えた。

 道路脇に民家はなく、除雪によってうずたかく積み上がった雪の間を路線バスは唸りながら登っていくのだ。


 新幹線と特急列車を乗り継いで岐阜県飛騨市に入ったのが昼過ぎ。


 今年の冬は全国的に雪が少ないらしいが、さすがに豪雪地帯となれば話は別だ。都心では到底見ることができない積雪量に圧倒された俺は――なんちゃってスノーブーツじゃなくて、本格的な防寒長靴を用意した方がよかったかもな――そう思って思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 その時、不意に。

「うぉい! オレ以外パーってマジかよ!?」

「あははっ。言い出しっぺが一撃で負けてやんの!」

「変なこと考えるから、バチが当たったんじゃないの?」

「ほら行けよ。男見せてこい」

「浮かれてあんま迷惑かけんなよ」

 少しだけ音量を抑えたような、しかし十分ににぎやかな話し声。


 なんとはなしに首を回せば、バスの前方――運転手の背後付近を大きく陣取った男女五人の姿があった。


 それぞれがリュックサックやらの大荷物を抱えているし、服装だって派手目のマウンテンパーカーで登山家じみた印象だ。多分、地元の人間ではないだろう。


 やがてそのうちの一人――金色のスポーツ刈り――が立ち上がり、「ちくしょう。変なこと言うんじゃなかったぜ」座席の背もたれを伝いながらこちらに歩いてくる。その途中、「――っと」予期せぬバスの揺れに大きくよろめいた。


 俺は、なんでこっちに来るんだ? と一瞬眉をひそめたが、「こんちわっす」俺と冴月晶が座る席までやってきて頭を下げた金髪青年に会釈を返した。


「――どうも」


 するとそれと同時に、俺の左腕にわずかばかりの感触。多分、冴月晶が身を寄せてきたんだろうと推測した。


 金髪青年は人好きのする笑顔を浮かべ。

「あの。オレら、日律大学の温泉同好会なんすけど――あの、もしかして、お兄さんたちも旅行かなんかっすか?」

 俺ではなく、冴月晶に向かってちらほら視線を飛ばす。


 その冴月晶はといえば、胸の形が変わるぐらい俺にぴったり寄り添いつつ、金髪青年に余所行きの笑顔を向けていた。完全無欠の美貌を隠そうともしない。


 当然、大学生が彼女の正体に気付くことはなかった。


 サウスクイーンアイドルお得意の『認識阻害魔法』が発動中。

 目の前にいる美少女を記憶の中の『サウスクイーンアイドル・冴月晶』と結びつかなくさせるこの便利魔法は、その実、最高難度の魔法の一つらしい。あまりにも細かな魔力操作が必要なせいでソロモン騎士ぐらいしか使い手がおらず、自分の存在を完全に消し去る幻覚魔法の方がよっぽど簡単――そんな話を先日、水無瀬りんから聞いている。


「そうなんです、私たちも旅行で。久しぶりに温泉で羽を伸ばそうかと」

「マジっすか。高山の奥飛騨温泉じゃなくて、こっち選ぶなんて、お兄さん素人じゃないっすね。もしかして、名の知れた秘湯マスターとか?」

「いやいや。ちょっと別の用事もあったものですから」

「もちろん東雲旅館っすよね?」

「えーと、どうだったかな……確か、そんな名前だったような。ネットで見ただけですけど、結構大きめの旅館でしたよ」

「オレらも東雲旅館なんすよ。そこをベースキャンプにして、幻の野湯を探そうかなって」

「野湯?」

「人の手の入ってない温泉っす。自然に湧いてる奴なんすけど」

「まさか山に入るんですか? 真冬ですよ?」

「はははっ。うちの温泉同好会の活動、七割くらいは登山部っすから。冬はね、野湯見つけやすいんよ。ほら、源泉の熱で雪が溶けるでしょ?」

「ああ。なるほど」

「あの――なんか、すんません。いきなり声かけちゃって。なんつーか、多分目的地一緒だろうし、お兄さんたちもオレらとおんなじ、温泉好きなのかなって。失礼しました」

「いえいえ。温泉探し、気を付けて」

「うっす」


 それで金髪青年は彼の仲間たちが待つバス前方に戻りかけるも。

「あの――」

 突然、俺と冴月晶に振り返って言った。


「お隣、娘さんっすか? なんて言えばいいかわかんないんすけど、すんげえ美人っすね」


 そして彼は、幸運にも出会うことができた世界トップクラスの美少女の姿を目に焼き付けておこうと、口だけで笑って何度何度も冴月晶へと視線を送るのだ。


 俺は言葉を返さず、ただ愛想笑いを浮かべただけだった。


 それから金髪青年は仲間たちの輪の中に入るなり、「やっばぁ。やっぱめっちゃ可愛かったぁ」なんて声を上擦らせる。彼としては十分に声量を落としたつもりなのだろうが、興奮のせいか、こちらまではっきりと届いてしまっていた。


 顔を突き合わせてこそこそと盛り上がる若者たち。

「やっぱりそうでしょ? 最初に気付いたのあたしだよ? だから言ったじゃん。後ろの子可愛くない? って」

「人生一。人生一だったぞ。あんな子、見たことねえ」

「ほんと凄いって。なによあの頭のちっちゃさ」

「サウスクイーンのアイドルたちもあんな感じなのかもな。あれもすっげえ美人揃いだろ?」

「ちょっと待てよ君たち。眼福って素直に喜んでる場合じゃないだろ。僕ら、このバスに乗って運を使い果たしたんじゃ――温泉、見つかるのか?」


 俺は思わず苦笑。

 隣を見やると、やはり冴月晶も困ったような顔で綺麗な眉をぽりぽり掻いていた。

 本当に小さな声で「申し訳ありません和泉様。お騒がせしてしまって」と俺にささやきかけてくる。


 俺は「大丈夫です」とだけ口にしてから、通路を挟んだ真横――こちらに目を向けていた黒コートの女に軽く頭を下げるのだった。


 一人掛けの座席にいたのは、外国人旅行者……いや、ビジネスマンかもしれない。

 どこかラテンの空気を感じるウェーブした茶髪と彫りの深い顔立ち、厚めの唇、そして綺麗に整えられた太眉。記憶の中を探ってみれば、スペイン出身のハリウッド女優がちょうどこんな感じの美人だっただろうか。グレーのチェスターコートに黒セーターとレザーパンツを合わせた格好は、豪雪地帯の山間部を走る路線バスにあまり似合っていない。足元なんか雪道を少しも考慮していないハイヒールブーツだ。


 そして――そんなラテン系美女の前後の席には、海外プロレスラーのごとくに大柄な白人男性が一人ずつ。前側が黒髪のポンパドールヘア。後ろ側が綺麗なスキンヘッド。黒のロングコートに身を包み、腕組みしたまま身じろぎ一つなかった。


 なんというか……異様な空気感の三人組だ。


 俺と冴月晶、大学生五人組、それから謎の外国人が三人ほど。

 車内にいるのはこの十人だけで、ふと思い返せば、『……さっきの大学生……よくもまあ、あの調子で俺に話しかけてこれたな……』と感心するのである。


 俺と冴月晶の隣にはずっと、存在感抜群の外国人が座っていたのだ。いくら冴月晶の美貌が気になったとはいえ、彼ら三人を丸ごと無視して俺に気安く話しかけてくるなんて、少しばかり不自然じゃないだろうか。


 そんなことを考えて俺が小さく首を傾げたのとほとんど同時。

「それにしても――変わったところで会うものですわね。“千刃”の騎士様」

 落ち着いたハスキーボイスが『ソロモン騎士・冴月晶』を呼んだ。


 その瞬間、俺は目を開いたまま固まってしまう。


 ……ソロモン騎士を知っている人間……なるほど、大学生がこの場違いな三人組に違和感を持たないはずだ。魔法関係者――三人ともまともな人間たちではないのだろう。


 得体の知れない魔法関係者に俺が恐怖を覚えそうになったその時。

「ごめんなさい。話しかけないでもらえますか“薔薇の使徒”。一応、ボクたちは敵同士なのですから」

 冴月晶がとても静かな声で言った。


 すると、くすりと笑ったチェスターコートの女。

「あら嬉しい。ソロモン騎士団から見れば、吹けば飛ぶような魔術結社。敵としての認識はしてもらっていたのですわね」

 そう言って愛想良く話しかけるも、お目当ての冴月晶はそっぽを向いて窓に映る景色を堪能し始めてしまう。あからさまにチェスターコートの女を無視する態度だった。


「やれやれですわ。ツレませんわね」

 わざとらしい大きなため息が上がった。


「“庭師・第一位”、“悪魔召喚士”――“薔薇の使徒”の最高戦力たるイスラ・カミングスがこんなへんぴな山奥にいるのですのよ? それなのにソロモン騎士の態度がそれってどうなんですの?」


 そんな口を尖らせた文句にも「………………」冴月晶は完全無視を貫き、やがて「――和泉様、温泉楽しみですね」なんて俺に笑いかけてくるのだ。


 俺は「で、ですね」と苦笑してから、イスラ・カミングスと名乗った女へとおそるおそる視線だけを向けてみた。


 すると俺が見たのは。

「ふん! 別にいいですわ! ソロモン騎士が横やりを入れてこないなら、それはそれで好都合ですもの。あとで泣きを見ることになっても知りませんからね」

 腕を組んで立腹したイスラ・カミングスが、その背中で薄い背もたれをバスンッと叩いたところ。


 次の瞬間、左袖を引っ張られたことに気付いて冴月晶に視線を移すと――――まったく笑っていない紫色の瞳と目が合った。


 ――だ――

 ――い――

 ――じょ――

 ――う――

 ――ぶ――


 唇の動きだけで俺にそう告げてきた冴月晶。心優しき聖女のような、獲物を見つけた猟犬のような……そんなソロモン騎士らしい笑みを浮かべて、上唇を舐めた。


 こうしている間もずっと、バスは終点の“下黒津根”を目指して雪の山道を進んでいく。

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